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「リーンスタートアップ」 No.954

日本には歴史のある会社が多い。創業から100年以上経過した世界の国の企業調査(日経BPコンサルティング・周年事業ラボ調べ)によると、100年企業が最も多かったのは日本で3万7085社。これは世界の創業100年企業7万4037社の50.1%にもなるというから驚く。日本は世界に誇る老舗企業大国だった。ちなみに2位は米国の2万1822社(29.5%)、3位にドイツの5290社(7.1%)と続いている。

長い企業経営の間、業績は常に右肩上がりで順風満帆といった会社はほとんど存在しないのではないか。清酒・味噌の醸造のように、一つの事業だけで存続している会社もあれば、スタート時点とは違う事業を起こして成功しているケースも多い。

市場にはすでに多くの商品やサービスが溢(あふ)れており、新規事業開発を目指すには、オリジナリティを打ち出していく必要がある。それ以前に、日本では立ち上げに時間がかかりすぎるといわれる。市場調査の徹底や役員・社員間の意思統一に時間がかかり、参入するタイミングが遅れてしまう。それぞれが思いつくまま案を出すだけの会議は踊るのだが、数年経過しても結局「何も成し遂げられなかった」という嘆きの声をよく聞く。

2008年にシリコンバレーの起業家エリック・リース氏によって提唱された新規ビジネスマネジメントが「リーンスタートアップ」である。計画に少々“?”マークがついたとしても、スピーディに展開するのが特徴。そして市場の反応を見ながらシフトチェンジしていく手法である。商品をお客さんへ出す際「完璧にしてから出したい」と思うのが普通だろう。しかし、提供する側が完璧だと思っていても、実際お客さんに届けてみると改良点が見えてくるものである。

リーンスタートアップは戦略会議などに多くの時間をかけるよりも、まずスタートを切り、うまく行かなかったら方向転換して成功するまでサービスや製品に改良を加えていくもので、かつてフェイスブックやGoogleによる成功で注目を集めた。「業種によっては向かない」という批判の声もあるが、化粧品、インテリア、雑貨、ファッションといったトレンドが読みきれない業界によっては、まだまだ有効である。

原材料高や従業員の給料アップほか、経営者にとっては課題が山積みな2023年卯年。春には長かったコロナ禍も終わる雲行きである。既存のビジネスだけでは先が見通せないなら、リスクを抑えながら新しいビジネスを模索してみてはどうか。

みかんの皮 No.955

「みかん 皮ごと 食べる」で検索すれば次々と情報がでてくるが、医師や栄養士もみかんを外皮ごと食べることを勧めている。外皮には、果肉以上に豊富に含まれる栄養素もあり、あらゆる病の予防になるという。確かに、みかんの皮を乾燥したものは、漢方で「陳皮(ちんぴ)」と呼ばれ、老廃物を排出し、血のめぐりをよくする効果がある。

みかんにかかわらず、自然の食物は“丸ごと”食べることでバランス良く栄養素を摂取できるのはよく知られている。魚なら頭から尻尾まで、野菜なら葉っぱから根っこまで調理を工夫し食べてきたのが日本人であるが、美味しさを求めるあまり、みかんの外皮のように取り除いてきたものもある。その筆頭が「コメ」だ。

白米をこよなく愛する私たちは、敬愛を込めて「銀シャリ」とも呼称する。銀シャリの「銀」は透き通るほどの白を意味する。これは雪景色を「銀世界」、白髪を「銀髪」と呼ぶのと同じである。シャリは仏教用語の「舎利」であり、つまり御釈迦様の骨を意味する。仏教では舎利、すなわち骨は土に帰ると肥やしになり、稲、麦、粟、稗といった穀物になって命をつなぐことから、日本では米のことをシャリと呼んで尊んできた。

しかしながら、過度な銀シャリへの憧憬が病を呼んだ。江戸時代、上流階級は精米した白米を常食していたが、数多くの将軍をはじめ著名人が脚気を患った。さらに明治初期、庶民への白米普及に伴い、その患者数は激増した。その病の要因は、白米嗜好による栄養の偏り、当時未知の栄養素であった「ビタミンB1」不足だった。

白米は玄米を精米したもの、玄米から糠と胚芽を取り除いたものだ。玄米は、ビタミン・ミネラル・食物繊維を豊富に含み、人間が健康を保つために必要とされる栄養素をほとんど摂取できるため、“完全栄養食品”といわれる。それなのに、精米するのは、美味しさと引き換えに大切な栄養素を削ぎ落とし食しているということ。みかんの皮を剥いて食べる理由と変わらないわけだ。ただし、みかんとはちがい、玄米食はいつの時代も一定の支持がある。

食物のみならず、取り除いたものの中には実は大切な何かが詰まっていることもあろう。もっとも、みかんの皮のように、大切な何かに対して盲目であるから、取捨するときはその価値にさえ気付かないことも多い。世の中には失ってからその大切さに気づくことが度々ある。

ピンク色 No.956

今年の桜は平年より開花が早いところが多いようだ。日本気象協会によると、満開となって見頃になる日は、東京3月23日、名古屋、大阪27日、京都が28日と予想されている。ちなみに日本一遅いのが北海道・根室市で5月16日。ゴールデンウイークも過ぎ、九州や沖縄などで夏日になるところがあるというのに。日本は広い。

桜はなぜここまで日本人の心を魅了するのだろうか。桜の季節は短く、ソメイヨシノなら満開になってから散るまでわずか一週間程度だ。春の限られた時期の桜花爛漫。人々は毎年の恒例行事のように、温かみのあるピンクの花を脳裏に焼き付ける。

広島県福山市内のある中・高等学校が、先月「ピンクシャツデー」を実施した。この取り組みは、ピンク色のシャツを着ていじめをなくそうというもので、同校では初めての試み。普段は制服だが、その理念に共感した生徒や教職員がピンク色のシャツ、マスクなどをつけて登校した。

「Pink Shirt Day(ピンクシャツディ)」は、カナダで始まったいじめ反対運動である。それは2007年にカナダ・ノバスコシア州のハイスクールで起きた事件が発端になっている。新学期の初日、9年生(日本では中学3年生)の男子生徒がピンク色のポロシャツを着て登校した。すると、ほかの生徒から「Homosexual(ホモセクシャル)」と揶揄われた上に暴行を受け、ショックで帰宅してしまった。出来事を聞いた上級生の12年生(高校3年生)の2人が行動を起こした。その日の放課後、ディスカウントストアで75枚ものピンク色のシャツやタンクトップを買いに走る。その夜、学校の掲示板やメール等を通じてクラスメートたちに「明日みんなでピンクシャツを着よう」と呼びかけた。思いは伝わっただろうか…

翌朝、用意できなかった生徒に配布するための衣料を入れた大きなビニール袋を手にした2人が見た光景は信じられないものだった。ピンク色のシャツなどを着た生徒たちが次々と登校してくるではないか。上から下まで全身ピンクの生徒もいる。シャツを用意出来なかった生徒は、リストバンドやリボンなど、ピンク色の小物を身につけて登校した。いじめられた生徒の姿もみえる。「傍観者になるものか」という2人の行動が生徒たちに連鎖。満開になった桜のように、学校中がピンク一色に染まった日だった。

時を経て、福山市の学校の例だけではなく、ピンクがいじめ撲滅のテーマカーラーとして認識され、世界的な広がりをみせている。

金継ぎ No.957

「金継ぎ」がちょっとしたブームである。コロナ禍でおうち時間が増えたことに加えSDGsの高まりもあって、家の中でできる趣味として注目されたのだ。金継ぎ教室をはじめ体験教室などが全国各地で開催されており、多くの生徒を集めているという。

金継ぎとは、ひびが入ったり、欠けたり割れてしまった陶磁器を漆で修復し、継いだ部分を金紛などで装飾する日本の伝統的な技法である。漆はウルシ科のウルシの木やブラックツリーから採れる樹液を加工したもの。乾燥させると人体に無害で強い硬化作用を持つことから、塗料として漆工などに利用されるほか、接着剤としても効果を発揮する。縄文土器からも漆を使って壊れた部分を直した器が見つかっており、古代から修復は行われていたようだが、継ぎ目に装飾を施す金継ぎ技法が誕生したのは茶の湯がはじまった室町時代だという。当時、茶の湯で使う茶碗は高価なもので、壊れたものを捨てずに修理したことから始まったらしい。

陶芸には“景色”という言葉がある。陶磁器は粘土を形作り窯で焼くことで完成するが、その時の窯の温度や炎のあたり方、釉薬をかけたならば、その流れ具合でそれぞれに表情が違ってくる。炎があたって焦げができたり、釉薬がたれて筋ができたりしまうことがあるが、この偶然に作られた変化を景色と呼び、その中に美を見出して鑑賞した。欠けてしまった器を金継ぎしたものも同じように景色と呼び、新しい変化を楽しんだ。不完全なものに美しさを見出して愛でるという感性は日本独特のもので、侘び・寂びに通ずる。実際に金継ぎされた器を見る機会があったが、どれも個性的で美しく、金継ぎでより魅力的なものになっていた。

近年、金継ぎは日本だけでなく海外でも“KINTSUGI”と呼ばれ話題となっている。もともと西洋には、直した箇所をわかるように修復することは少ないという。金継ぎの壊れたところをあえて目立たせて修復するという技法への興味はもちろんのこと、特に不完全なモノを受け入れ、新たな美しさを見出していくという考え方に魅了されたようだ。欠点をありのままに受け入れ見せていくという考えは、“金継ぎの哲学”として注目され、欧米では金継ぎの哲学に関する書籍も相次いで出版されているという。

モノを大切にし、モノの歴史も大事にするという考え方にとどまらず、人生哲学にも及ぶ金継ぎ。これからも大切に伝えていきたい文化だ。

私的警察 No.958

新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同等の5類に移行してひと月が過ぎようとしている。2020年1月に国内で初めての感染者が確認されて以降、やむなく生活様式を変えながらも徐々に日常の生活を取り戻してきた。

コロナ禍でさまざまな“私的警察”が登場した。最初に現れたのが「自粛警察」。店舗に「ライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます。近所の人」という貼り紙が。無観客のライブ配信を行っていただけなのに ・・・ 。またルールに従って営業している居酒屋に「この様な事態でまだ営業しますか?」という貼り紙がなされ、店側が「都の要請を遵守し、コロナの拡大防止に注意しながら、信念を持って営業を継続してまいります」と書いたところ、その記載に大きな「×」を付けられた上に「アホか」などと落書きされたというケースも。

「帰省警察」は、お盆の時期などに他県から帰省してきただろう車を煽ったり傷つけるという悪質なものだった。「ワクチン警察」は、打たない人に「なぜ打たないの? ほかの人のことを考えて」などと接種を促す。職場の上下関係があれば命令にも等しい。お笑いタレントの明石家さんまが、ラジオの中で「おれは打たないからね。66年間、1回も(ワクチンを打ったことが)ないんですよ。ここでワクチンを打つと体が変わってしまうので」と語ったところ、SNSやネット上では「影響力のある人なのだから発言を考えてほしい」と批判の声があったという。

先日、札幌市の地下鉄車両内で、旅行中の女性2人がマスクを付けずに会話していたところ、中年男性が腹を立てながら「マスクなしで、大きい声でしゃべるんじゃねえよ!」などと怒鳴ったうえ持っていた傘で威嚇したため女性たちは泣き出してしまった。興奮したのか非常通報ボタンを押し、駅員に対しては「おかしいでしょ俺マスクしてるのに!」と喚き散らしていた。動画を見ると車内はそんなに混雑していない。

「マスク警察」である。この男性は屈強な男性相手でも怒鳴るのか。車内の大半がマスクをしていない状態だったとしてもこのような態度をとったのか。多くのマスク装着の乗客を背景に、感染対策を疎かにする厄介者は許さないという正義のヒーローのつもりだろうが、自分の飛沫がより感染リスクを広げている。

―― 会社によくある喫煙室。マスクして静かに入室 → マスク外して煙草を吸いながら皆でおしゃべり → 退室するときしっかり装着、無言でパソコンとにらめっこ。間違った感染対策というよりコントだ。

卑弥呼はどこに No.959

いまなお神秘のベールに包まれている女王・卑弥呼。そして彼女が君臨していたとされる邪馬台国はどこにあったのか――。古代史最大のミステリーだが、このほど佐賀県・吉野ヶ里遺跡で行われた発掘調査で、その痕跡がなにやら出てくるかと期待されたものの、残念ながら人骨や副葬品などは発掘されなかった。

国の特別史跡である吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の大規模環濠集落跡で知られる。今回発掘が行われた「謎のエリア」では石棺墓が見つかり、覆っていた4枚の石蓋を外して内部の調査が行われていた。石棺墓というのは、板状の石で四方を囲み、遺体を入れる空間を作り、上を同様の石で覆った棺である。今回石棺の底が赤色の顔料で塗られていたことが分かった。これは、この時代の有力者の墓の可能性を示唆するものだという。

日本に邪馬台国についての記録はない。よってその場所などは、中国の歴史書『魏志倭人伝』から推測するしかない。それによると、倭国では2世紀の終わり頃から大きな争いが続いていたが、卑弥呼を王に立てたことで争乱が終結。邪馬台国を中心とする30余りの小国による連合政権が誕生した。祭祀などを司る呪術師として人民を巧みにコントロールしていた卑弥呼は、239年に魏の皇帝に使いを送り、お返しとして「親魏倭王」の称号と金印を贈られた。死亡は247年あるいは248年とされる。

邪馬台国の場所は、畿内説と九州説が有力である。畿内説は奈良県桜井市の纏向遺跡などで出土された鏡が邪馬台国の年代と一致することが主な根拠。九州説は『魏志倭人伝』に記された魏の支配下にあった朝鮮半島「帯方郡」(現在のソウル周辺)から邪馬台国までの道程などを根拠とする。ほかにも福岡など北部九州説、大分県宇佐神宮説、宮崎県の西都原古墳群説など諸説が乱立している。宇佐神宮説を採るのは松本清張、高木彬光、井沢元彦と、どういうわけか小説家が多い。井沢元彦氏は、日本列島で皆既日食のあった248年9月5日に卑弥呼が処刑されたと推測。さらに、宇佐神宮の祭神3柱の真ん中の二の御殿・比売大神こそが祀られている場所だとしている。

ところで卑弥呼亡き後、男性の王が立ったものの治める力はなく、邪馬台国は再び戦乱状態が続いた。このため、卑弥呼の親族といわれる壱与なる若き女性が王となったことで再び国は平穏を取り戻したといわれる。この時代、カリスマ性のあるシャーマンとして力を発揮したのは女性だった。

“Be water” No.960

「考えるな、感じろ」。いまではスポーツを指導する場面やビジネスシーンでもよく聞くようになったこの言葉は、元々ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』の冒頭でリーが弟子にカンフーを教える時に発した台詞。今年はブルース・リーの没後50年にあたる。

1940年米国で生まれ香港で育ったブルース・リーは、18歳で米国に渡り中国武術の指導者となる。武術を続けながらアクション俳優としてTVシリーズの準主役で活躍したものの、主演企画が実現できず香港へ戻る。1970年香港で撮った主演映画『ドラゴン危機一髪』が大ヒット、続く2作の主演作も大ヒットし、一躍、香港のトップスターに躍り出る。1973年に米国と香港の合作映画『燃えよドラゴン』が公開。世界各国で人気を博してカンフーブームが巻き起こったが、リーは同年7月32歳という若さで帰らぬ人となった。日本でも同年12月に『燃えよドラゴン』が公開され、リーのカンフーアクションや独特の雄たけびが大人気となったのはご承知の通り。死後50年たったいまも、カリスマ的な人気を誇っている。

7月20日の命日に合わせてテレビや新聞でも数々の特集が組まれているが、そんな中で知ったのは、2019年に香港で反政府デモが繰り返されたときにブルース・リーの言葉「Be water(水になれ)」がSNSで広がっていたこと。7月17日の「中日新聞」の特集記事の中で、香港を離れ日本で活動を続けている民主活動家のウィリアム・リー氏は、その経緯について「水はどんな形にも変化します。逮捕を逃れるためにどう対応するか、警官隊とどう渡り合うか――。抗議活動の方法を自らの頭で考える。もう少し賢く抵抗しよう、もっと柔軟に動こうという意味で“水になれ”が合言葉になります。香港人の抵抗の理念、戦略でした」と語っている。

“Be water”は武術家のみならず、哲学者としての顔を持ち、様々な環境で生きてきたブルース・リーならではの深い言葉だ。以下はその日本語訳の全文である。

「心を空(から)にしろ 形を取り去れ 型を捨てろ 水のように カップに水をそそげば、水はカップの形になる ボトルにそそげば、ボトルの形になる ティーポットにそそげば、ティーポットの形になる そして水は静かに流れることも、ものを砕いたり壊したりもできる 友よ、水になれ」

今年はリバイバル上映が各地で企画されている。この機会に再見してはいかがか。