2020年のレーダー今月のレーダーへ

ネーミング  No.920

隣家のおばあさんから自家栽培の果物をいただいた。見た目はひょうたんが崩れた形とでも言おうか。その場で皮をむいてもらって食べたのだが、とても甘くて美味しく、香りもいい。それは「ラ・フランス」という西洋なしだった。その名称は知っていたが、実物を見るのも食べるのも初めてで、原産地はフランスなのかと尋ねると、おばあさん曰く、もともとはフランス生まれながら、今では生産しているのは日本のみだという。栽培するのに欧州の気候が合わず、病気にもかかりやすいため手間がかかり、原産地ではほぼ絶滅状態とのこと。

日本に輸入されたのは1900年頃で、山形県で栽培されていたが、当時現地の人が名付けた名前は「みだぐなし」。1度聞いただけでは頭に入らず、思わずおばあさんに聞き返したが、これは、山形の方言で、見た目が良くないとか、醜い人という意味らしい。こんなネーミングの商品だから、いくら美味しくても、全く売れなかった。

その後、農家が研究を重ねて栽培技術が向上するとともに、生産が安定してきたのは最近のことで、地元の特産品にしたいと、必死に品種改良を重ねた努力の賜物だった。しかし当時の名前は「みだぐなし」だったため、商品の良さが全く伝わらず、なかなか売れずにこの果物の栽培をあきらめる農家が続出した。

そこで考案された新しいネーミングが「ラ・フランス」。意味は「これぞフランス」となろうか。実は和製フランス語だったのだ。いかにもおしゃれな語感で、以前のネーミングとは大違い、これが当たって売れ行きは少しずつ伸びていった。値段は少々高いが、高級感があり、ジャムやお菓子など用途は広く、安定した人気を維持している。

いまや清掃関連で日本を代表する大手企業に成長した会社の創業当時の話だが、社名を決めようとした時、創業者が提案した社名は「ぞうきん」だった。当然のごとく、周囲から猛反対の声があがった。「いくらなんでも、人に言いにくい」と必死に創業者を説得して別の社名に替えた。この企業は日本におけるFC展開のさきがけともなったことでも有名なのだが、もしも当初の提案通りの社名を名乗っていたら、ここまでの成長はなかったのではないだろうか。

商品が認知されてヒットするには、意味不明、地味、ありきたり、奇をてらったものでは難しいだろう。ネーミングの重要性をあらためて認識させられる。

『ヴェイパーフライ』 No.921

東京オリンピック・パラリンピックの開催が間近に迫る中、マラソンコースが東京から札幌に変更されたのには驚かされたが、さらにマラソン選手が困惑するニュースが入ってきた。「ヴェイパーフライ」が東京オリンピックでは禁止になるかもしれない ―― 。

マラソンに馴染みがない方は「ヴェイパーフライ」ってなんだ?と思うかもしれない。簡単に説明すると、ナイキ社から2017年に発売された厚底のランニングシューズのことで、靴底が3層構造になっており、中にあるカーボンファイバー製プレートが前方向への推進力を生みだしてくれる。

今年の箱根駅伝でも、全10区間のうち7区間で区間新記録が生まれたが、そのうち6人がこのシューズを履いていた。また、2018年の東京マラソンで15年ぶりに日本記録を更新した設楽選手や、その7か月後にさらに日本記録を更新した大迫選手、2017年に世界記録を更新し、2019年には非公認ではあるがフルマラソンで初めて2時間を切ったケニアのキプチョゲ選手など、多くのプロのランナーが愛用するシューズである。

世界陸連の規則で「使用される靴は誰にでも比較的入手可能なもので、不公平な補助やアドバンテージをもたらすものであってはならない」と定められている。「ヴェイパーフライ」は一般販売されているので入手に問題はないが、後半の「不公平な補助や~」の部分が、一部の選手に「不公平な利益を生んでいる」ことにならないかとして、調査チームが立ち上がった。そして複数の英国のメディアが「世界陸連はソールの厚さを制限する新規則を設ける方向だ」と報じたのだ。「ヴェイパーフライ」はシューズではなくマシーンと言う人もおり、その反発力はかなり高いものであることが伺える。

こうした事例は過去にもあった。近年では競泳の水着「レーザーレーサー」が記憶に新しい。北京五輪では多くの選手が着用し、世界記録が23個も誕生した。しかし、その要因は「レーザーレーサー」の効果だと言われ、大会後に禁止された。一部ウレタンを含む素材によって浮力が生じることが証明されたのも禁止の決め手だったとされている。だが、いくら規制をかけても、競争があれば技術は進化するというのは世の常であり、進化なくして発展はない 。なんであれ、マラソン選手にとってシューズは体の一部であり、自分に合ったシューズを見つけるには時間が必要。本来の力が発揮できるよう、早く結論を出して頂きたい。走るのは靴ではなく選手なのだから。

『ウイスキーはお好き』 No.922

先月、ウイスキー愛好家にとってまたもや悲しいニュースが流れてきた。アサヒグループホールディングス傘下のニッカウヰスキーが年代物の国産ウイスキー製品の販売を3月末で終了するという。終了するのは高級ウイスキー「竹鶴」の17年、21年、25年の3種類。2018年にはサントリースピリッツがウイスキー「白州12年」と「響17年」を販売休止にしており、年代物のウイスキーのみならず、キリンもいわゆるお手頃価格の「富士山麓 樽熟原酒50度」の販売を2019年3月に終えるなど、売れ行き好調にもかかわらず国産ウイスキーの販売終了が相次いでいる。

10年ほど前からのハイボールブームや、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝をモデルとしたNHKの朝ドラ「マッサン」人気の後押しもあって国内でウイスキーの需要は拡大を続けているが、その影響でメーカーは原酒不足となっているのだ。ならば、増産すればよいと素人は思ってしまうが、ウイスキーは原酒を作ってから樽で長いあいだ熟成させる必要があるため、簡単には生産できず、増産しようとしてもその効果がでるのは数年先になってしまう。たとえば、年代物の「竹鶴25年」の場合は、その名が示すように少なくとも25年以上前に仕込んだものをいくつかブレンドして作られているので、25年経てばよいというものではないらしい。

しかし、ここまでの原酒不足となったのは、80年代後半から90年代にかけてウイスキーの売上げが低迷していたことによる。このウイスキー冬の時代に、メーカーが軒並み生産量を減らしてしまったことが、いまの原酒不足に拍車をかけているようだ。近年は国際的な品評会で受賞を重ねる銘柄も増え、海外でも人気が高まっているだけに残念なことである。将来的な需要と供給を考えた在庫管理の難しさを改めて感じる。 ところで、ウイスキーやブランデーなどの蒸留酒は樽で醸造しているあいだに、少しずつ蒸発して量が減ってしまう。昔の酒職人は天使に分け前を与えているから良いお酒ができると考え、これを「天使の分け前(Angel's share)」と呼んだそうだ。

ウイスキーの熟成期間は長いが、現代の科学技術を持っても短縮することはできないという。長いあいだ天使に分け前を与えながらじっくりと見守り、熟成させなければ芳醇な味は生まれないのだ。ウイスキーが完成するまでの道のりは、時を重ねることの大事さも教えてくれる。

『祝!九州』ふたたび No.923

東日本大震災から9年を迎えた3月11日、2011年3月12日に九州新幹線が全線開通した時のCMがSNSにアップされていた。当時はずいぶん話題になっていたので、すでにご存知の方も多いだろう。

これはJR九州が新幹線鹿児島ルートの全線開業にあたり企画実施した『祝!九州(祝!九州縦断ウエーブ)』というイベントをもとに制作されたもので、「鹿児島中央駅から博多駅までの沿線を人のウエーブでつなごう」がコンセプト。募集に応じた1万人のほか、多くの沿線住民が集まり、新幹線に向かって様々なパフォーマンスを繰り広げた。カメラを搭載した、レインボーカラーに彩られた試運転車からその様子を撮影、映像の間に通過する駅名を差し込みながら、歓声を上げて新幹線を迎える人々の楽しそうな姿が次々と画面に映し出されるお祭りムード溢れるCMだ。

同年3月9日からTV放映が始まったものの、開通日の前日、11日に発生した東日本大震災の影響でオンエアは3日間で中止となる。その後CMを見た人がYouTubeにアップし、JR九州の公式ホームページでも公開、徐々にネットで反響が広がっていった。震災後の東北の人々からも勇気づけられたと評判になり、震災で長期運休となった東北新幹線・秋田新幹線が全線で運転再開する同年4月29日に、沿線で住民が手を振って迎えるという、同じようなプロジェクトが企画された。また、「祝!九州」のCMは第48回ギャラクシー賞のCM部門優秀賞、カンヌ国際広告祭2011のフィルム部門銅賞の受賞をはじめとして多数の賞を受賞しており、DVDも制作されている。

今回見たのは180秒のロングバージョン。開通を喜ぶ沿線住民の喜びが直接伝わってくる楽しいCMだった、にもかかわらず、なぜか見ていて感極まってしまった。書き込みにも「何度見ても泣ける」「涙が溢れた」「感動した」の感想が並ぶ。開通の前日に発生した大震災の悲しい記憶は消えないが、楽しかった日々の思い出も消えない。だからこそ、ウエーブでつながっていたあの頃の笑顔に心動かされるのだろう。

2016年に発生した熊本地震で被災した人たちからも、見ると元気づけられると、再び話題となったこのCM、先が見えない不安に覆われているいまこそ、再度の出番ではなかろうか。困難に立ち向かうとき、人は心を豊かにするものが必要なのだ。

CMはYouTube等で見ることができるので、未見の方はぜひご覧になってほしい。

にらみ No.924

疫病に対して予防法がわかっていなかった江戸時代、庶民は神頼み、願掛け、おまじないなどに縋るほかなかった。そして、たびたび起こったはやり風邪にかからないようにと、様々なおまじないが生み出された。

なかでもユニークなのが「久松るす」という風邪除けのお札。家族が風邪をひかないように半紙に「久松るす」と書いたお札を玄関や軒下に貼り付けたという。1710年(宝永7年)、大阪の油屋の娘お染と丁稚の久松が身分違いの恋から心中した事件が話題となり、これを題材に歌舞伎や浄瑠璃の作品がいくつも上演された。当時は、はやり風邪に名前を付けており、この頃に流行った風邪は人気の芝居、お染・久松に因み“お染風邪”と呼ばれていた。人々は、「ここには大好きな久松さんはいないのでお染風邪さんは来ないで下さい」という願いを込め、「久松るす」のお札を貼った。

ところで、歌舞伎では役者が芝居の重要な場面で、足を踏み出したり、首を回したりした後、力を込めたポーズで動きを止める演技がある。これを見得(みえ)と呼び、感情の高まりを印象づけるところに使われる。いまでいうクローズアップ効果を狙ったものだ。

見得にはいくつも種類があるが、なかでも“にらみ”は市川團十郎家に代々伝わる所作。その名のとおり目をカッと開いて睨むポーズで、片方は寄り目、片方が正面を見るという不思議な視線が特徴。この目でにらまれると邪気払いや厄払いとなり、1年間風邪をひかないという言い伝えがある。

実はにらみを披露できるのは市川團十郎家の役者のみで、現在は海老蔵だけ。市川團十郎家は江戸歌舞伎を代表する役者の名家として代々團十郎の名前を受け継いできた家柄。おりしも平成25年(2013年)に12代團十郎が亡くなってから不在となっていた團十郎の名跡が5月に復活する運びとなっており、多くの歌舞伎ファンは歌舞伎座での襲名披露で、にらんでもらうのを心待ちにしていた。

しかし、にらんでもらうのは少しお預けになってしまった。政府の緊急事態宣言を受け、松竹は4月7日、5月から7月まで3カ月にわたり歌舞伎座で予定していた「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」の公演延期を発表したからだ。歌舞伎界の一大イベントだけに誠に残念だが、歌舞伎をはじめいろいろな舞台、エンタメが少しでも早く観られるようになることを願って、私たちは“Stay Home 家にいよう”

バンクシー No.925

覆面アーティストとして世界的に知られるバンクシーが、英国の国民保健サービス(NHS)が運営するサウサンプトン総合病院に新作を寄贈した。作品は新型コロナウィルスの感染が拡大するなか最前線で闘う医療従事者を称えるもので、「皆さんがしてくれているすべてのことに感謝します。モノクロの作品ですが、少しでもこの場所を明るくできたらと願っています」というメッセージも添えられていた。

「ゲームチェンジャー」と名付けられたこの作品には、マスクをしてスーパーマンのようなマントを纏った看護師の人形で遊ぶ幼い少年が描かれており、傍らにあるかごにはバットマンとスパイダーマンが打ち捨てられたように放り込んである。いまやスーパーヒーローは看護師だ、ということだろうか。

バンクシーは作品に強烈な社会批判や鋭い風刺を込めていることで知られており、世界中の至るところで政治的メッセージの強い落書きアートを残している正体不明のストリートアーティストである。昨年、東京都港区の防潮扉で見つかったバンクシーが描いたらしいネズミの絵を都が展示したというニュースも記憶に新しい。また2018年、ロンドンの有名なオークションでバンクシーの絵「風船と少女」が、約1億5500万円で落札された直後にシュレッダーが起動し裁断されてしまったという驚きの事件もあった。これは高値のオークションに批判的なバンクシーが仕込んだものという。そんな彼のことだから、ネット上では、作品には何か意図があるのではという憶測が飛び交い、メディアや移り気な大衆への皮肉だろうとか、必要な時だけ医療従事者を称えて用がなくなれば使い捨てをする社会への風刺ではという意見も出ており、議論を呼んでいる。

とはいえ、この作品を寄贈された病院のみならず、多くの医療従事者たちがバンクシーの作品を見て勇気づけられ喜んだことは間違いなく、作品に含まれた意図ばかりを考えるのは、ほどほどにしておく方がいいのかもしれない。

ところで、この作品はしばらくの間は病院のみんなが見られるロビーに飾られ、秋以降にはオークションに出品されるとのこと。その収益はNHSの活動費用に充てられる予定だ。そして今は、早くもオークションでどれくらいの高値が付くのかということが話題となっている。オークション嫌いのバンクシーではあるが、今回はこの作品に高値が付くことを願っているに違いない。

読む価値のある本 No.926

マイクロソフトの創業者で読書家として知られるビル・ゲイツ氏は、毎年夏と冬に自身のブログでおすすめの本5冊を紹介している。今年も5月18日、この夏におすすめの5冊を発表した。また、今回は自宅で過ごすことが多い人に向けて、それ以外にも“読む価値のある本”やTV番組、映画を紹介している。目を通してみると、D・ミッチェル著『クラウド・アトラス』、R・アイガー著『ディズニーCEOが実践する10の原則』、J・バリー著『グレート・インフルエンザ』など、読んでみたい本が何冊もあった。

そんななか“読む価値のある本”のなかに、筆者もお気に入りで、いま読むのに最適な本があったので紹介したい。アンディ・ウィアー著『火星の人』とエイモア・トールズ著『モスクワの伯爵』だ。タイトルからは想像がつかないかもしれないが、実は2冊には共通点がある。『火星の人』は数年前に『オデッセイ』のタイトルで映画化されており、覚えている方も多いだろう。火星に一人ぼっちで置き去りにされたマット・デイモン演じる植物学者が、過酷な環境のなかで持っている知識を駆使して生き延びようと奮闘する姿を描いたSFだ。一方『モスクワの伯爵』は、1917年のロシア革命で一気に運命が変わり、モスクワの高級ホテルに軟禁されてしまう貴族を描いた作品で、どちらも限られた環境で生きることを余儀なくされた人物が主人公。これだけの情報だと、2作とも暗くて重いストーリーでは、と思うかもしれないが、自分に降りかかった運命を呪い、嘆き悲しむ主人公ではなく、あくまでも前向きというところも共通している。

『モスクワの伯爵』の主人公の伯爵は、ユーモアと教養があり、どんな状況でも紳士であることを忘れない魅力的な人物だ。ホテルのスイートから屋根裏部屋に追いやられても、狭い部屋をなんとか居心地よくしようと工夫を凝らし、日々の食事に楽しみを見出す。どうすれば伯爵のような境地になれるのだろうか。実は物語のなか、「自らの境遇の主人とならなければ、その人間は一生境遇の奴隷となる」という言葉が度々登場する。伯爵の育ての親、大公の教えだ。伯爵は折に触れこの言葉を思い出し、“自らの境遇の主人”になるよう努めてきたのだろう。

2冊とも約600ページと長いが、長編だからこそ長いあいだ読書を楽しめるわけだ。まだまだ遠出もできない状況だからこそ、読書で火星へ、そして20世紀初頭のモスクワへ想いを巡らせるのも楽しい。読後感もさわやかで心地よい、おすすめの本である。

寛斎さん逝く No.927

国際的ファッションデザイナーの山本寛斎さんが急性骨髄性白血病のため亡くなった。異母弟で俳優の伊勢谷友介さんは、インスタグラムで「やりきる人生、命を使い切る人生。最後までかっこよかったです」と追悼した。またファッションを通じて交流のあったタレントのデヴィ夫人は、自身のツイッターの中で「唯一無二の寛斎ワールドに大拍手。悲しみが止まりません。合掌」と死を惜しんだ。

1971年、ロンドンで日本人として初めてファッションショー『KANSAI IN LONDON』を開催して世界から注目を集めた。ショーを成功に導くコンセプトになったのが「和」の要素だ。歌舞伎に着想を得たデザインが大好評で、「日本の美しいもの、それが世界でも通用することを証明したかった」との言葉通り、西洋にはない日本の美を多彩に表現した。

勢いは止まらず、1974年パリで『Kansai in Paris』を開催し、1979年にはニューヨーク・コレクションに参加。既成概念を壊すようなアヴァンギャルドなデザインが流行に敏感な若者から支持を得た。1980年にはパリ、ミラノ、サントロペなどに「ブティック寛斎」をオープンし、世界的デザイナーとしての地位を確立。デヴィッド・ボウイの衣装も手掛け、スティーヴィー・ワンダーなど一流アーティストとの交流も広げた。1985年からは東京コレクションに参加。1993年モスクワでスーパーショー「ハロー!ロシア」を開催し、イベントプロデューサーとして活動の幅を広げていった。

いつも明るい寛斎さんだが、家庭環境は複雑だった。幼少期に両親が離婚して父方に引き取られる。しかし父親の育児放棄により転校を繰り返し、児童相談所に預けられたこともあった。その後、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着いたが「父のような男にはならない。結婚したら妻と子供を命懸けで守る」と決めていたという。

中学校に入ってからは家業の洋服縫製の手伝いをするようになった。友人から制服の改造を頼まれてミシンを踏むようになり、さまざまな縫製技術を覚えたことがファッション業界へのスタート地点だったのかもしれない。

母校である岐阜工業高校の制服は、当初は“学ラン”だったが、寛斎さんデザインの少しグリーンがかったブレザースタイルに変わった。そしてその体育館には、同じく彼がデザインした「山」と「朝日」をイメージした美しい緞帳が揺れている。

けっぱれ No.928

コロナ禍での巣ごもりによる運動不足解消にと、「ラジオ体操」をする人が増えている。そのなかで、「ご当地ラジオ体操」が再び脚光を浴びているという。

津軽弁や大阪弁など、地元の方言を使って“号令”をかける「ご当地ラジオ体操」が話題となったのは10年ほど前のこと。そもそもは、ラジオ体操と地元言葉を組み合わせることで、県民に地元の文化を再確認してもらうとともに、地元のPRをしようというもの。かなり前だが、筆者も実際に青森のご当地体操を体験したことがある。地元の伝統楽器である津軽三味線が伴奏に加わり、最後は「けっぱれー」で締めくくる楽しい体操だった。ちなみに「けっぱる」とは「頑張る」の津軽言葉である。

三味線といえば、7月に最大手メーカーの「東京和楽器」(八王子市)が8月で廃業するとのニュースが流れた。前身の会社を経て創業135年、邦楽界を支えてきた老舗の幕引きに業界では激震が走った。三味線は歌舞伎や文楽などに欠かせない邦楽器として知られるが、全国邦楽器組合連合会の調べによると、三味線の国内製造数は、1970年には14500挺(丁)あったのが、2017年には10分の1以下の1200挺にまで低下。同社でも10年以上前までは年間800挺ほど製造してきたが、最近は400~500挺にまで減少していた。コロナ禍も大きく響いた。舞台公演や演奏会などは相次いで中止、延期となり、修理や新調などの需要はパッタリ止まった。後継者の問題もあって廃業の意思を固めた同社の大滝社長は「見通しが立たず、私も若くない」と苦しい胸の内を語っていた。

しかし、同社の廃業のニュースに「伝統芸能の灯を消してはならない」という存続を願う声が多く寄せられ、和洋折衷のロックバンド「和楽器バンド」が支援に乗り出した。「伝統文化を支えるため、危機的状況の打破に少しでも貢献したい」と、ライブ収益の一部を寄付するなどのプロジェクトを行ったのである。同バンドの働きかけもあって同社および三味線への注目度が高まり、追加注文などが相次いだことから、同社は8月までの営業予定をとりあえず今秋まで伸ばすことにしたという。

「自粛生活で三味線をやりたいという人も出てきた」と話す関係者もいる。「引き継いでくれる人が名乗り出てくれれば大歓迎」と大滝社長は事業の存続に望みをつなぐ。16世紀から続く伝統文化を守るためにも、なんとか継続への道が見つかるよう「けっぱれ、けっぱれ!」とエールを送りたい。

「カルーセルエルドラド」 No.929

水と緑の遊園地「としまえん」が8月31日に閉園した。1927年の開業から数えておよそ94年。この間、どれほどの東京都民らが足を運び、笑い、そして愛してきただろうか。これも時代の流れとは分かっていながらも、なんとも寂しい限りだ。

そんな歴史を持つとしまえんのシンボルが、メリーゴーランド「カルーセルエルドラド」だ。といっても、としまえんで生まれたアトラクションではなく、製作国はドイツ。1907年に製作してミュンヘンのオクトーバフェストで初披露され、“トロットワール・ルーラン(動く歩道)”と呼ばれた。1911年にニューヨーク、コニーアイランドの遊園地「スティープルチェイス」に渡ると、“エルドラド”の名称で1964年の閉園まで名物として多くの人々を楽しませた。ちなみに、木造のカルーセル(回転木馬)すべてが手彫りされたもので、製作当時に全盛だったアールヌーボー様式の豪華な彫刻がなされ、現在でも高い価値を持つものと評価されている。

遊園地スティープルチェイスの閉園後、エルドラドは解体され倉庫に収められたが、その噂を聞きつけたとしまえんが購入し、日本にやって来たのは1969年のこと。その後、専門家の監修による修復作業を経て製作当時の姿に復元され、息を吹き込まれた馬たちは、再び多くの人を楽しませるために1971年4月3日から休むことなく回り続けてきたのだ。

2010年には機械遺産にも認定された「カルーセルエルドラド」。としまえんの閉園が検討されているとの報道が出始めると、これに乗れなくなることへの悲観の声が相次ぎ、練馬区議会も6月に「歴史的に貴重な機械遺産を練馬城址公園に残すこと」を明記した意見書を小池都知事に提出することを可決したというが、今のところ何も決まっておらず、復活の場を探っている状況だ。

としまえんの跡地には、『ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 ―メイキング・オブ ハリー・ポッター』が2023年にオープンする。映画「ハリー・ポッター」シリーズで実際に使用された衣装や小道具が展示され、撮影の舞台裏が体験できるとのこと。すでにロンドンでも同様の施設があるので、同シリーズの世界観を味わうことができる2番目のテーマパークとなる。形は変わっても、そこにある笑顔は変わらない、そんな場所になってくれることを願ってやまない。

値下げの背景 No.930

「無印良品」を展開する良品計画は10月1日、2020年の秋冬シーズンから日常着を中心とした衣料品72アイテムを値下げすると発表した。常に買いやすい価格を実現することで、期間限定の値下げセールをなくすという。値下げは2日から順次行っている。

値下げする72アイテムのすべてが衣料品の主力商品で、綿、ウール、ダウンなど自然素材にこだわった同社の定番品だ。値下げ幅も大きく、これまでに1000万枚以上の販売実績のあるタートルネックセーターは3990円を2490円にする。「“適正価格”をさらに推し進め、くらしの“役に立つ”ことを目指す」考え。

2020年8月期のデータ(6月~8月)をみると、衣服の客数は11.6%の2ケタ増にある一方、客単価は13.3%の2ケタ減となった(いずれも既存店ベース)。コロナ禍で在宅時間が増えたことから、家で着る普段着の需要が高まったため、カジュアルを中心とした日常着に強みのある同社は、来店客数は増加した。しかし、比較的単価が高いおでかけ着が落ち込んだことから客単価が下がったというところか。このデータをみると、客単価の落ち込みの改善が必要にも思えるが、同社は普段着を値下げする戦略に出た。値下げは客単価をさらに下げる方向にのみ働くわけでなく、まとめ買いを喚起し、客単価を上げる効果もあるとみたのだ。

背景には、新型コロナによる生活スタイルの大きな変化がある。「新型コロナウイルス感染症の威力は5年、10年で起こる変化を瞬時に変えてしまった。特にアパレル業界へのインパクトは大きく、ブランドやファッション神話は崩壊し、大量生産、大量値引き、大量廃棄への反省が一気に噴き出している」と同社は説明する。その反省を踏まえた答えが、売れ筋の日常着アイテムを強化し、期間限定の値下げに頼った販売をやめて、ロスを減らすことだった。

同社のみならず、オンワード、ワールドなどわが国を代表するアパレルがコロナ禍を機に、従来型のビジネスモデルからの脱却を目指し、構造改革を打ち出している。今、繊維業界は押し寄せる時代の波のなかで、大きく変わろうとしている。正確にいえば、かつてないスピードで変化が進んでいるため、変わらざるを得ないのだ。流通、メーカー、工場にも5年、10年で起こる変化の大波が1年、いや数カ月単位で押し寄せてくるかもしれない。それを見越して、いま何ができるかを考えていきたい。

『太秦ライムライト』 No.931

太秦(うずまさ)。京都に住む人や映画好きな人ならほとんど読むことが出来ると思われる難読地名である。

平安京以前の弥生後期~奈良時代、渡来系士族(渡来人)の「秦氏」が、山背国葛野郡、現在の京都市西部に中国大陸、朝鮮半島から移り住み、養蚕や機織技術を伝えたとされ、絹織物をうずたかく積み上げて朝廷に献上したことが地名の由来とされる。広隆寺や松尾大社、蚕ノ社、蛇塚古墳など秦氏に縁のある史跡や遺跡が太秦を中心に数多く遺されているが、東映や松竹など映画やテレビドラマの撮影所が立ち並び、テーマパーク「映画村」でよく知られる地域でもある。

太秦の撮影所を舞台にした『太秦ライムライト』(2014年)は、時代劇の主役を引き立てる陰の脇役にスポットを当てた映画である。主演は、実際に時代劇で半世紀以上に渡って斬られ役を演じ続け、“5万回斬られた男”の異名を持つ福本清三さん。

ストーリーは、時代劇人気の衰退と共に京都の撮影所も縮小、閉鎖が相次ぎ、全盛期に300人以上いたとされる大部屋俳優も30数人にまで減り続けるなか、意地とプライドを持ったベテランの脇役俳優が、戸惑い葛藤する姿が描かれている。また、「俳優(脇役)だけでは食べていけない」「CG全盛の時代に高度な殺陣の技術は不要」「(演技が未熟な)人気タレントを主演に起用する」など、映画の中では京都の映画産業が現実に直面しているであろうシビアな状況も浮き彫りにしている。

福本さんはインタビューで、「スポットライトは常に主役に当たり、脇役は決して光が当たらない世界ですが、その役に信念を持ち、同じ仕事を何年もし続けていると、いつか必ず報われる日が来ます。脇役が良い演技をすることで主役の輝き(魅力)が増し、作品がより素晴らしくなる」と語っていたが、その言葉通り、ハリウッド映画『ラストサムライ』(2004年)では、主演のトム・クルーズの見張り役に抜擢され、クライマックスでは斬られ役として見事その役割を全うしたのだ。

福本さんが斬られ役を演じ続ける姿を、スポットライトを浴びることなく、陰で努力し続ける職人をはじめとする働く人たちにぜひ見てもらいたい。多くの産業が、時代の変化で厳しい環境に晒されているいま、“いつか必ず報われる”という福本さんの言葉に、きっと勇気をもらえると思う。