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運命 No.756

東京・東麻布の、家賃数十万円の高級マンションとはいっても1DKの自室。捜査員に踏み込まれた時、元プロ野球選手・清原和博は左手に注射器とストローを持ち、部屋には袋に小分けされた覚醒剤のほか、注射器3本、パイプ1本、黒ずんだ吸引パイプ1本、携帯電話4台などが散らばっていたという。過去の栄光から転落し、離婚もし、荒んでしまった最近の生活ぶりが目に浮かぶようで、同性として、聞くのが辛い。

テレビ各局が続報を流す中、かつてのKKコンビで元プロ野球投手・桑田真澄氏もカメラの前で喋っていた。「小姑のように忠告し続けた時期があったが、数年前に『もう関わらないでくれ』と言われ、連絡するのをやめた」「野球のピンチには代打とリリーフはいるが、自分の人生には代打もリリーフもいない。(彼にはもう一度)自分の人生で、きれいな放物線を描く逆転満塁本塁打を打ってほしい」

その通りだ。その通りだけれど桑田さん。あなただからこそ、あえて口を閉ざし何も語らないでほしかった。それが清原へのせめてもの友情でありエールではなかったか。

今回の事件に絡めてマスコミのどこもなぜ、1985(昭和60)年の「ドラフト会議事件」に触れないのだろう。当時の週刊誌報道等が事実なら、巨人軍は会議前、入団を熱望する清原に対し、1位指名する意向を前もって伝えていた。にもかかわらず、当日1位に指名したのは、進学の意向を強く表明していた桑田氏。桑田氏も進学志望を翻してそれを受け、清原は結局、不本意ながら西武に入団せざるを得なかった。ニュース映像で流れた、大ドンデン返しに呆然とする清原の18歳の顔を、はっきり覚えている。

清原が薬物に走った原因が、彼自身の心の弱さにあるのは間違いなかろう。しかし、意外に小心だからこそ、野球少年・清原が、ずるい大人たちが仕組んだ、信じられないような罠に嵌められて味わった30年前の不信感が、その後の彼の生き方に影響を与え、いまこうして人生を大きく狂わせる原因の一つになったのではなかろうか。だとすれば、一方の当事者・桑田氏にはあえて、何も言ってほしくなかったと筆者は思う。

野村克也元監督が座右の銘とする以下の名言を、本紙は過去に2度取り上げた。もう一度、清原に届けたい。

「思考が変われば、言葉が変わる/言葉が変われば、行動が変わる/行動が変われば、習慣が変わる/習慣が変われば、性格が変わる/性格が変われば、運命が変わる」

運命を、決して薬物で変えてしまってはならない。

ファースト・ペンギン No.757

「ファースト・ペンギン(最初のペンギン)」がちょっとした話題になっていたことを、通勤途上のためNHK朝ドラ「あさが来た」を観ていない筆者は最近まで知らなかった。

ドラマ「あさが来た」は明治を代表する実在の女性実業家・広岡浅子をモデルにし、京都の豪商の次女に生まれ大阪の両替商「加野屋」に嫁いだ白岡あさが主人公。好奇心旺盛で行動力がある彼女は、道楽好きの夫に代わって店を切り盛りするだけでなく、炭坑事業や銀行、生命保険会社など新しい事業に次々に挑んでいく。

そんなあさに、ひょっこり訪ねて来た兄貴的存在の実業家・五代友厚が言う。「恐れずに“ファースト・ペンギン”になりなさい」(第54回=昨年11月末放送)

ペンギンは、好物のエビやカニ、魚が豊富な海の中を機敏に泳ぐことができる。ただし、海中には危険も多い。天敵のトドやシャチが待ち構え、突然襲われるかも知れない。だからペンギンの群れでは、誰もが真っ先に飛び込むことを躊躇う。そんな中、意を決し、最初に飛び込む勇気のあるペンギンが「ファースト・ペンギン」と呼ばれる。

ペンギンは、見かけによらぬ大食漢なのだそうだ。野生ペンギンが1年に食べるエサの量は約2000万トン。日本の年間漁獲量の5倍余に及ぶ。とくに赤ちゃんなんて、まるで胃袋に頭と脚とヒレを付けただけの「全身胃袋状態」なのだとか ―― などと話が横道に逸れかけたのを修正すると、ともあれペンギンは、自分自身と食欲旺盛な子供たちのために、危険を冒し、真っ先に海に飛び込む勇気を持たなければならない。

そんな「ファースト・ペンギン」の話を、高校生なら多くが知っているらしい。教科書「現代文」に脳科学者・茂木健一郎氏の随筆「最初のペンギン」が載るからだ。

「創造的な人間は、不確実な状況下で海に飛び込むという決断を下すペンギンと、生物の進化の歴史を通してつながっている。不確実性に直面し、それを乗り越えるための脳の感情のシステムの働きを通してつながっている」「一瞬先には何が待っているか分からないという、めくるめくような未来感覚こそが創造性を支えるのだ」(要約)

茂木氏は別著「脳と創造性」にも書く。「生物は皆不確実な世界の中で生きている。不確実さを徒に避けたり、確実な正解があるはずだと思い込むことのほうがよほど危険である。うまく生き延びるためには、不確実さに立ち向かい、乗り越えるための感情の技術を磨く必要がある」

なるほど。ペンギンに、負けているわけにはいくまい。

甘くはない No.758

「日本人が好きな果物ランキング」のベスト3は1位イチゴ(68%)、2位ミカン(64%)、3位モモ(64%)だそうだ。(=ニフティ、2014年アンケート)

ただ、1位にイチゴが挙げられるのは、本来はおかしい。なぜなら、正確に言うとイチゴは「野菜」であって「果物」ではないからだ。農水省の定義によれば、永年性の「樹木」に成る実が果物、1年生および多年生の「草」に実をつけるのは野菜。であればイチゴはどうみてもスイカやメロンと同様、「果実的野菜」(同省)ということになろう。

それと、イチゴの本当の「実」は、表面に並んでいる小さな粒々であることもあまり知られていない。あの粒々一つ一つの中にさらに小さな種(たね)が入っている。私たちが食べている甘い部分は、花托(=めしべの土台)が発達したものだ。

奈良時代の「日本書紀」に「伊致寐姑(いちびこ)」、平安時代の辞典「和名抄」に「伊知古(いちご)」として載るのは、滋養強壮の漢方薬として用いられた野イチゴ。

作物としてのイチゴがオランダから日本に伝わったのは江戸時代末期、本格的に栽培が始まったのは明治30年前後で、近代農業の振興を目的として東京に作られた農業試験場(現「新宿御苑」)で宮内省の園芸技師・福羽逸(はや)人(と)農学博士が「福羽イチゴ」を作出したのが国産第1号とされる。皇室用の「御料イチゴ」として供され、庶民には手が届かない存在だった。

その後、食文化の西洋化に伴いイチゴは品種改良が急速に進み、1980年代に35だった品種は現在250品種に及ぶ。著名なのは栃木県で開発されシェア3割を誇る「とちおとめ」(品種登録1996年)と、高級品種の福岡県産「あまおう」(同2005年)だ。

ただ、イチゴの品種の多くは10~20年サイクルで世代交代する。第1の理由は、イチゴはランナー(親株から伸びる茎)を使った繁殖が一般的だが、こうした繁殖を重ねているうちに品種の特性が劣化してくること、第2は種苗法で育成者権に期限が定められており、期限が切れると他者でも栽培できるようになることだ。

先の「とちおとめ」は栽培独占権が2011年で切れたため、栃木県ではこれとバトンタッチするタイミングで新品種のエース「スカイベリー」を開発し、いま攻勢を仕掛けている。

日本のイチゴ消費は世界一。傷みやすいため輸入は2%にとどまる半面、国内生産市場は競争が厳しく、決して甘くはないのだ ―― なんていう三流のオチにも、失笑せず軽く受け流してくれるのが武士の情けと思うが。

うるう年 No.759

作家・赤川次郎、二葉亭四迷、俳優・原田芳郎、飯島直子、歌手・田原俊彦、アナウンサー・膳場貴子 ―― 彼らに共通するのは何か? もしかすると中高年世代には、最近人気の膳場さんがヒントになっただろうか。2月29日生まれの著名人である。

「置閏(ちじゅん)法」と呼ばれる現行グレゴリオ暦における「うるう年」の設定ルールをおさらいすると、①西暦年が4で割り切れる年はうるう年 ②ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年 ③ただし、西暦年が400で割り切れる年はうるう年、ということだ。今年はそのうるう年。詳しい計算根拠を省略すると、今月1日現在の人口が推計1億2681万人の日本では、およそ8万4200人が29日、4年ぶりに誕生日を迎える。

彼らの戸籍上の生年月日はまさしく「2月29日」。にもかかわらず、仮に20年目でも「満5歳」扱いされないのは、「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年施行)で、加齢は誕生日前日の終了時、つまり28日午後12時をもってカウントし、事実上は3月1日生まれと同様に扱うことが定められているからだ。

では、「うるう月」はなぜ、2月などという中途半端な月に設けられているのか?

紀元前8世紀頃に「ロムルス暦」が生まれたが、当時の1年は「10カ月」。農閑期である現在の1~2月に当たる時期は、そもそも月日さえ割り振られていなかった。その後の改訂版「ヌマ暦」で「Ianuarius(英語のJanuary)」「Februarius(同February)」の2カ月が後ろに追加されたが、1年の始まりは現在の3月。つまり「February」は「2番目の月」ではなく「1年の最後の月」の扱いだった。その後「ユリウス暦」や現行「グレゴリオ暦」で「うるう年」方式が採り入れられた際、かつて「1年で最後の月」だった2月が時間調整の「うるう月」に当てられることになったのは頷けよう。

八十八霊場を巡る四国お遍路。1番札所・霊山寺から始め88番札所・大窪寺で終える全長365里(1460km)を、うるう年には88番札所からスタートする「逆打ち」で回ると、弘法大師に会え、「順打ち」3回分の功徳を得られるとされている。逆コースのほうが道が険しく、困難を乗り越える修行を、より多く積むことができるからだ。

元プロ野球選手・清原和博容疑者が昨年、苦痛の表情でお遍路に挑んでいたテレビ映像を思い出すが、どうやら48番目で諦めていたようだと最近のスポーツ紙が伝えている。いま一度奮起し、人生最大の苦境を、自身の覚悟でぜひ乗り切ってほしいと願う。