コラム


 辰年を迎えて  No.553
 新年のお慶びを申し上げますとともに、倍旧のご鞭撻を心からお願い申し上げます。

 十二支の中で唯一の架空動物である龍=辰が今年の干支。辰年は戦後6度目となる。では過去5回にはどんな出来事があっただろうか。1952年(昭和27年)――サンフランシスコ講和条約発効、血のメーデー事件、64年(同39年)――マグニチュード7.5の新潟大地震発生、東海道新幹線が営業開始、76年(同51年)――ロッキード事件発覚、88年(同63年)――青函トンネル開業、瀬戸大橋開通、リクルート疑惑発覚、2000年(平成12年)――介護保険制度発足、雪印集団食中毒事件発覚。また辰年はオリンピックイヤーに当たり、ヘルシンキ、東京、モントリオール、ソウル、シドニーでそれぞれ開催されている。

 ヤマト運輸が日本初の宅配便を開始したのも辰年、76年1月である。スタート初日わずか11個だった荷物は、2011年度には13億4800万個にまで増えた。しかし同社が「宅急便」を始めたとき、大方の人間は失敗するだろうと予測した。しかも「リスクが大きすぎると役員の総反対にあった」と「宅急便」の生みの親、故小倉昌男氏は著書「小倉昌男経営学」で書いている。しかし同氏は、デメリットを検証し、従来の運送会社のやり方にこだわらず新しい仕組みを整えることで儲かる事業になると確信し、事業化を推し進めた。

 さらに小倉氏は、宅配便事業を成功させるために2つの決断をしている。三越百貨店の配送業務からの撤退と松下電器産業との取引解消だ。三越の場合は50年以上の取引関係にあったが、当時の岡田茂社長の理不尽な要求に我慢がならなかったからで、松下の方は家電商品の大型輸送という仕事が「宅急便」と極端にかけ離れていたからだ。「二兎を追うものは一兎をも得ず」のことわざに倣い、「宅急便」に事業を集中させた。

 普通、大手の取引先がなくなることは会社にとって重大問題であり、それによって社内に動揺が起きても不思議ではない。しかしヤマト運輸は、トップである小倉氏がその理由と対策をはっきりと説明し、将来ビジョンを明確に示したことで、混乱どころか、「背水の陣で宅急便に取り組む態勢ができた」と同書で振り返っている。

 「龍となれ、雲自ずから集まる」――。武者小路実篤の言葉で、これを座右の銘にする森ビルの森稔会長は、「しっかりしたビジョンがあれば、事は進むという意味だ」と語る。

 明確なビジョンを示すことはトップの使命である。と同時に、社員とその将来像を共有することで一体感が醸成され、社内に活力が生まれることを、「宅急便」は教えてくれる。 

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