コラム


 心延え  No.542
 「心が温かくなる風景に、今年、あといくつ出会えることができるのでしょう。『いい秋ですねえ』 そんな言葉を交し合うことが、いまはとても嬉しいことのように思います。さあ、もう少し歩いてみましょうか」―― 優しいナレーションが流れた後、画面にはあの名コピーが浮かび上がる。「そうだ 京都、行こう。」 2011秋の舞台は京都・山科「毘沙門堂」。頭上を、足元を、真っ赤に染める紅葉の美しさに旅情を誘われる。

 大原「宝泉院」、嵯峨野「宝筐院」、洛北「曼殊院門跡」など京都には紅葉の名所が多い。けれど、いま挙げた場所での美しい紅葉風景を、写真に収めることはできない。「撮影禁止」になっているからだ。ほかに紫野「大徳寺大仙院」や伏見「醍醐寺三宝院」、雲ヶ畑「志明院」も。岩倉「実相院」は、庭園はOKだが、漆塗りの板の間に庭の紅葉が映る幻想的な美しさで知られる「床紅葉」は撮影を許されていない。

 ご本尊や神仏、あるいは修行の場である禅堂内部などの撮影を禁じる寺社は以前からあった。しかし最近は、境内全域を全面禁止にするところが増えている。理由は、撮影者たちの目に余るマナーの悪さだ。境内の狭い通路に三脚を立て他の見物客の通行の邪魔をしたり、立ち入り禁止の柵内に足を踏み入れて大事な庭の苔を削ったり、壁や柱にもたれかかって文化財を傷めたり。これでは撮影を禁じられて当然だろう。

 写真を趣味にする筆者も以前、某紙のアマチュア写真コンテストに載った一枚の入賞作を見て、複雑な思いにかられたことがある。桜を写したその作品はとても美しく、素晴らしかった。筆者はその撮影者をある場所で時々見かけて知っていた。ただ、知っていたのはそれだけではなかった。初老の彼がある時、構図の邪魔になったのだろうか、狙っていた花の手前に伸びていた小枝を、指で折って捨てた行為も。

 山下景子著「美人の日本語」は、かつて作詞家を目指していた著者が、いつか使いたいと思って書き留めておいた心に残る1日1語=365語をまとめた一冊。その中で「心延(ば)え」という言葉を、筆者は初めて知った。「心の内面が外に現れること」。「延え」は「映え」や「栄え」のように華やかで積極的な「はえ」ではなく、「延え縄」の言葉に残るように、心の内面が自然に外に繰り延べられ、押し出されるように現れる様子をいう。

 「心延え」は、慎ましやかな日本人らしいマナー、礼儀の基本。美しい紅葉を見て「心延え」を取り戻せたら幸せと思う。だから、「やはり 京都、行こう。」。

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