コラム


  「寝かせる」ということ   No.470
 大阪市平野区にあるその町工場は、戦後の創業以来、各種機械部品の「へら絞り」加工を行なってきた。しかし90年代に入って受注先企業の海外生産化が加速するに伴い、業績が悪化。そこで新分野の開拓を考え取り組んだのが、得意技術を活かせる楽器の「シンバル」作りだった。グループサウンズが大流行した60年代、楽器メーカーに頼まれ初心者用ドラムセットの安いシンバルを作った経験もあったからだ。ところが……。

 かつてのような安価品でなく、プロに認められるほど良質なシンバル作りは、予想以上に難しかった。満足できる音が鳴るシンバルを、なかなか作り出せずにいた。

 そんなある日。工場内に山積みされていた試作品の1つを取り出し、何気なく叩いてみた社長が驚いた。「ジャーン!」―― 音色といい音の深み、広がりといい、まさに追い求めていた申し分のない音が工場内に広がった。「えっ? どうして?」

 理由は間もなく分かった。ハンマーで叩いて出来上がったばかりのシンバルは、金属の分子が元に戻ろうとするストレスを抱えているため、音が硬い。それを数カ月放置しておくと、金属の分子配列が安定して落ち着き、本来の音が出るようになる。つまりシンバルは、しばらく「寝かせる」ことによって、初めて良い音が出るのだ。

 その町工場はいま「小出シンバル」ブランドを冠し、プロからもオリジナル仕様の注文を受けるなど、「唯一の国内シンバルメーカー」として注目されている。

 「寝かせる」ことの必要性と大事さは、いろいろ耳にするところだ。寿司ネタでマグロや白身魚、カツオなどは〆て半日以上経たないと美味しくないし、肉も捌いてから5日~1週間後が一番美味しいと専門家は言う。家庭で作るカレーだって翌日食べるほうが絶対にうまいし、京都・蛸薬師寺通にある創業130年の行列のできる店「丸寿西村商店」の焼いもは、買ってから10日~2週間後に食べるのが通だそうだ。

 「メールは、必ず一晩寝かせてから出す」とは作家・村上春樹氏。そして、横浜国大教育人間学部の酒井穣教授はこう言う。「アイディアを思いついた瞬間は、アイディアだけが熱を持っており、アイディアを支える周囲の知識との温度差が大きいため、アイディアを知識によってうまく補強することができない。アイディアも、寝かせることによって余分な熱が取れ、知識と無理なく混ざり合って醸成されるのだ」 

 なるほど。寝かせないほうがよいのは「資金」と「在庫」ぐらいかも知れない。

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