コラム


「無礼講」  No.363
 経営者や管理職諸兄にお読みいただくことが多い内容の弊紙だが、新年度に入って間もないこの時期は、「一応見ておきなさい」と渡されて新入社員諸君の目に触れることもありそうだ。というので今日の本欄は、そんなフレッシュマンに向けて――。

 入社後1週間も過ぎると、上司からこう声を掛けられることがあろう。「君の歓迎会も兼ねて、明日あたり一杯どう?」 そんな酒の誘いに「明日ですか? 明日は彼女と先約が…」とあっさり断ってしまうのは禁物。「仕事とプライベートは別」と頭では分かっていても、そんなドライに割り切れないのが旧世代の感覚なのだから。

 上司が部下を酒に誘うのは、コミュニケーションを密にすることだけが目的とは限らない。新人たちの知力や性格、物の考え方をできるだけ早く知り、彼らに今後仕事をどう教えていけばよいかを考える参考にしたいという思いがある。つまり酒の誘いは同時に一種の「アルコール・テスト」の意味も潜んでいるのだ。

 だから、上司がよく口にする「今日は無礼講で」という常套句も、そのまま真に受けないほうがよかろう。なぜなら、「無礼講」にもやはり「ルール」があるからだ。

 そもそも「無礼講」とは、先に「礼講」という言葉があった上での対語である。その「礼講」は、結婚式なら「三々九度」、渡世の世界なら「義兄弟の盃」のように儀式に則って進められる盃事(さかずきごと)のこと。媒酌人が居て、上座から順に運んでくる盃の酒を飲み干す作法を3度繰り返すその儀式には、絶対に守らねばならない「決まり」があった。出席者は、「礼講」の間、定められた席を決して離れてはならないことだ。その厳格な「礼講」が終わってやっと、下座の者は席を移って上席に酒を注いだり、互いに酌み交わすことを許された。「礼講」がまず先にあってこその「無礼講」なのだ。

 それに、座が「無礼講」に変わってもまだ、気を緩めるわけにはいかない。かつて後醍醐天皇は、武士を集めた乱痴気騒ぎの「無礼講」を3日間続けた。彼らに幕府を倒す意思があるか否かを確かめるのが狙いだった。つまり「無礼講」は、集められた人々の本心を探るための智略――いうなれば「アルコール・トラップ(罠)」にも使われたのだ。実際その「無礼講」で話された倒幕計画が外に漏れ、彼らは斬首刑になった。

 「いまはそんな時代ではない」と言い切れるほど実は進歩していないところが、悲しいかな人間社会の実態らしい。ですよね? 経営者・管理職・先輩社員諸兄。

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