コラム


 「男」たちの時代  No.333
 瀬島龍三――。お目に掛かったことはなくても、名前を聞いただけで気圧されるようなオーラを感じる世代が、日本の企業社会ではまだ少なくないのではあるまいか。その「昭和の生き証人」が9月5日、95歳で大往生された。

 1911年、富山県生まれ。陸軍士官学校を次席で、陸軍大学校を首席で卒業。太平洋戦争時は大本営参謀として主要作戦に参画。戦後11年間シベリアに抑留され、56年帰国。58年に伊藤忠商事に入社、1962年取締役、半年後に常務、1968年専務、1972年副社長、1977年副会長、79年会長に就任。かたわら、臨調委員としてJRやNTTの民営化に力を貸した――等々の経歴は、どのマスコミも紹介していたから蛇足だったろうか。

 5年前のフジテレビ系深夜番組「新・平成日本のよふけ」に出演している瀬島氏を見た。眼光鋭い精悍な風貌は薄れ、好々爺のような瀬島氏が「昔」を語っていた。

 45歳で「ビジネスマン1年生」になり戸惑う日々の瀬島氏を、当時の小菅宇一郎社長は自室に呼び、言ったそうだ。「瀬島さん、あなたには“商売”を覚えていただく必要はありません。商売をする者なら、わが社には他に腐るほどいます。世界は、日本は、これから大きく変わるでしょう。変わっていく中で、私たち商社はこれからどう進めばよいのかを、しっかり勉強し、私たちに助言し、補佐してもらいたいのです」 

 その言葉を受けて瀬島氏は実際にその後、航空機部門への進出を足がかりとして、繊維主体だった伊藤忠を総合商社に導く大きな役割を果たした。

 ある時は、社外流出した5000万円の関連会社株が、巡り巡って金融業者の超大物・森脇将光氏に渡り、瀬島氏がそれを買い戻す役目を命じられたという。森脇邸の奥座敷、抜き身の日本刀が飾られた床の間を背に、森脇氏が口を開いた。「日本が戦争に負けたばかりに、かつての大本営参謀が、いまこうして私のような者の所に足を運び、頭を下げて株券を取り戻しにいらした。お気の毒です。分かりました。株券はお返ししましょう。ただし、伊藤忠にではなく、あなたに」 「私にそんな大金はない」と答える瀬島氏に、森脇氏は続けた。「あなたの小遣いから酒を2升、持ってきてください。それで結構です」 5000万円の株券は翌日、2升の酒と交換された。森脇氏もさすがだが、何よりまず瀬島氏が「瀬島龍三」その人でなかったら、この話は成り立たない。

 こうした「男」たちが、この時代の日本には、居た。いまは、どうなのか――。

コラムバックナンバー

What's New
トップ
会社概要
営業商品案内
コラム
大型倒産
繊維倒産集計