コラム


 「守破離」の戒め  No.330
 安土桃山時代の茶人・千利休。織田信長、豊臣秀吉という2代の天下人に茶頭として仕えた利休は、それまでの茶会にみられた饗宴的な遊興性を排し、より精神性を重んじた草庵形式の「侘び茶」を完成させた。その、茶の湯の心得や作法に関するいわば100カ条を和歌の形式で表した「利休百首」が残されている。

 第一首目は、「その道に 入らんと思う心こそ 我が身ながらの 師匠なりけれ」(自分から習ってみようと思う気持ちがあれば、その人の心の中にはすでに師匠ができている)。そして第二首では「習ひつつ 見てこそ習へ 習わずに 善し悪し言ふは 愚かなりけれ」(自分で習いもせずに善し悪しを口にするのは愚かだ)。いずれも、茶道に限らず物事を学ぶに際しての「心構え」を説いている。

 その後に続く「百首」の中には、例えば「茶巾をば 長み布幅一尺に 横は五寸のかね尺と知れ」(茶巾は曲尺で長さ一尺、横五寸の大きさにせよ)とか、「掛物の 釘打つならば大輪より 九分下げて打て 釘も九分なり」(掛物の釘を打つ場合は、天井の回り縁から九分下に、釘も九分の長さを残して打ちなさい)など、極めて実践的な「マニュアル」とも言うべきルールを、微に入り細にわたって列挙している。

 しかし、利休が最後の百首目として詠んだ一句は、趣が違った。こうだ。

 「規矩(きく)作法 守りつくして破るとも 離るるとても 本(もと)を忘るな」――「守る」「破る」「離れる」の3文字を取って「守破離(しゅはり)」の戒めと言われる。茶道のみならず書道や華道、歌舞伎、あるいは剣道、柔道、空手・合気道など、文武両道のさまざまな世界で、道を極めるために欠かせない志の持ち方として広く語り継がれている言葉だ。

 最初の「規矩」は規則や規範、決まりごとのこと。だからこの歌は、まず「守」=その世界での規則や作法、師の教えを、ひたすら正確・忠実に守って習得する。次に「破」=鍛錬と経験を積み重ねたら、それまで身に付けたものを洗練させ、自分なりの個性を作り出すことに挑戦する。さらに「離」=これまでの経験や知識に捉われず、独自の境地を切り拓いてゆく――という「修行の3段階」を説いている。

 利休があえて百首目の締め括りに掲げることで伝えたかったのは、末尾の「本を忘るな」=「基本を忘れてはならない」の戒めではなかったろうか。最近さまざまな場面で「本」を軽んじ過ぎているような世相を見るにつけ、「守破離」の大切さを改めて思う。

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