「暖冬」と長期予報した気象庁が慌てている。全国40地点で12月の積雪が記録を更新し、12月19日の名古屋も58年ぶりの積雪23p。通勤の足を奪われて大人は難儀したが、校庭で雪合戦に興じる子供たちの、あんなに屈託のない笑顔を見たのは久しぶりではないか。「温暖化」などという言葉が生まれるもっと昔は1年に数度見ていた気がする笑顔――豊かになった日本の、しかし子供たちは本当に幸せなのだろうかと思う。 先日のように降り出した雪を見ながらオジサン世代がつい口ずさむのは「雪の降る街を」。「ダークダックス」が歌っていたのをお聴きの読者が最も多いのだろう。 昭和24年から27年まで3年間、NHKラジオで内村直也原作の連続放送劇「えり子とともに」が放送されていた。ところが26年暮れ、次回の台本が出来上がり、リハーサル段階になって、台本が短すぎ、放送時間が余ってしまうことが分かった。そこで急遽、歌を入れて時間を埋めることになり、内村氏が一番だけを作詞、それに中田喜直氏が曲をつけ、たった1度だけ放送したのが、この「雪の降る街を」だった。 しかし、放送後の反響が大きかったため、翌年、これに二番、三番の歌詞を加え、フランス帰りの、初めての日本人男性シャンソン歌手・高英男が歌い、「ラジオ歌謡」で放送されて、今に残るまでの大ヒットになった――というのがその誕生秘話。内村氏が作詞のモチーフにしたのは、当時たびたび訪れていた山形県鶴岡市の情景ではないかというので、鶴岡市で毎年2月に開かれている「鶴岡音楽祭」では、フィナーレに出演者・観客の全員で「雪の降る街を」を大合唱するのが恒例になっている。 ――というだけでこの話題は、実は終わらない。この歌が広く世に知られ始めたのは高氏が歌ってからだが、では、番組の中でたった1度だけ歌ったのは、誰なのか。 大正4年生まれで、いまも現役女優の南美江(よしえ)さんだとの説がある。宝塚出身で、当時は文学座所属の37歳。あり得る話だが、照会したNHKには記録がなかった。南さんの現在の所属事務所も知らず、「ご本人に確かめるしかないが、さて、50年以上も前の話を、覚えていらっしゃるかどうか…」という不確かな返事待ちになっている。 「雪の降る街を/雪の降る街を/想い出だけが/通り過ぎてゆく」……果たしてどんな想い出が、通り過ぎていかれたのだろうか。もしかすると南さんの、90年の長い人生の間に、そしてまた、間もなく終わろうとしている、諸兄の短かったこの1年間に。 |
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