コラム


 政治は国民を映す鏡  No.537
 失言で辞任する閣僚の後ろ姿を、これまで何人も見てきた。そのたびに呆れ、憤り、深い絶望感に襲われる苦い経験を重ねてきた。にもかかわらず今回もまた同じように腹を立てるのは、正常な感覚がまだ残っている証拠と喜ばなければならないのだろうか。

 視察した福島原発の周辺市町村を「死の町」と表現した鉢呂吉雄前経産相。風評被害に苦しむ地元感情を考えれば、口にしてよいかどうかは、泊原発がある北海道4区を選挙区にする議員ならなおさら、分かっていて当然だろう。それに加えての「放射能つけちゃうぞ」的言動も、非公式な立ち話とはいえ、大臣として程度が低すぎる。

 さらに筆者が何より彼の資質を疑ったのは、11日付中日新聞の社会面記事を読んでだった。「就任から9日目の辞任。『1週間目だったんですよ』と未練ものぞかせたが、『達成感はある』と話した」とあった。「達成感」だって? 大臣の椅子にたった1週間腰掛けただけ。仕事らしい仕事をほとんどしていないまま辞めざるを得なくなったのに、「達成感」だなんて、ふざれるな!――と思って当然だろう。ところが……。

 他紙を読んで、思い込みを恥じた。辞任会見で「大臣としてやり遂げたい仕事があったと思うが」と聞かれた鉢呂氏は、正確にはこう答えていた。「1週間だったんですが、いろんな勉強をさせてもらったという達成感はあります」 発言のごく一部を抜き出した先の記事とは、「達成感」の意味合いが微妙かつ重要に違うではないか。
「読者ウケ」を狙って発言の趣旨を都合よく解釈したり、部分を取り上げることで世論を煽ったりミスリードする風潮が、最近のマスコミには多過ぎはしまいか。

 朝日新聞「耕論」(13日付)に、写真家で作家の藤原新也氏が寄稿している。「(新聞が)重箱の隅をつつくように記事にする神経も尋常ではない。まるで小学校の反省会の『言いつけ』のようなものだ。胆力の衰えた幼稚な報道で能力未知数の政治家がたちどころに消えるのは、国民にとってただただくだらない損失だ」

 英国の作家サミュエル・スマイルズは、明治維新後の日本の近代化に大きな影響を与えた著書「自助論」の中で「一国の政治は、国民を映し出す鏡に過ぎない。立派な国民には立派な政治、無知で腐敗した国民には腐り果てた政治しかあり得ない」と書いている。そう言われても後ろめたさを感じないよう、目の前で起きた事象の何が正しいか、「稚拙な報道」に惑わされることなく見極められる眼力を、私たちは持たねばなるまい。

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