コラム


 国を支えているのは  No.522
 かつて筑豊で働いていた元炭坑夫・山本作兵衛さんが生前描き残した記録画など697点が、日本で初めての「世界記憶遺産」に登録された――というニュースを耳にしたが、その山本さんの名も「世界記憶遺産」の存在も、恥ずかしながら筆者は知らなかった。

 「世界記憶遺産」はユネスコが1992年、世界の歴史に関わる貴重な史料を保存する目的で始められた。現在までに76カ国の193点が登録されているが、これまでは「アンネの日記」や「フランスの手書きの人権宣言」「グーテンベルグ聖書」など多くの人々が存在を知る史料が大半だった中、今回のように日本国内でも地元以外に知る人がほとんどいない一庶民による絵や日記が登録されたのは極めて異例といえる。

 作兵衛さんは明治25年(1892年)、福岡県笠松村(現・飯塚市)に生まれた。14~63歳を筑豊の炭坑で採炭夫や鍛冶工として働いた。その体験と、20歳ごろから続けていた日記を元に、独学で墨彩・水彩絵を描き始めたのは65歳から。描いたのは明治末期~戦後における炭坑労働の様子、宴会や入浴などの日常生活から、災害や労働争議、縁起・タブー、さらにはリンチなど当時の社会の「暗部」にまで及ぶ。紙芝居絵のように1枚1枚の余白に解説文を書き込んでいるのが彼の絵の特徴で、作品は1000点を超す。

 その作兵衛さんの絵や日記を「世界記憶遺産」に登録申請した田川市は、実は当初は国登録文化財の旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓や「炭坑節」のモデルになった伊田竪坑煙突などを「九州・山口の近代化産業遺産群」として「世界遺産」に申請するつもりで準備していた。ところが、事前の審査で落選。しかしその際、関連資料として添えた作兵衛さんの絵が、海外の専門家から「極めてユニークな記録」と高く評価され、「記憶遺産」への申請を薦められたことが、今回の登録―認定のきっかけになった。

 そんな作兵衛さんの224作品が載る「筑豊炭坑絵物語」(1998年発刊)を図書館で借ることができた。数枚を除いてモノクロ印刷だったのは残念だが、それでも彼の絵からは当時の生活の、想像以上の厳しさを知る。「原発の事故収拾をはじめ、厳しい条件の下、危険と背中合わせで働き、社会を支えている人々は現在も少なくない。山本作品はそんなことも思い出させてくれる」と書いた毎日新聞「社説」(5月25日)に同感だ。

 国家というものは、こうした庶民一人一人の力で支えられているのだということを、いま「茶番劇」に明け暮れている政治家連中に、一体どうすれば分からせられるのだろうか?

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