コラム


  桜咲く   No.514
 先月27日に開花した名古屋地方の桜はいま満開。津は4月1日、岐阜、静岡は4日に開花した。それぞれ平年比4~9日遅かったのは、元旦からの平均気温の積算が600℃を超すと開花するという計算式に照らせば、それだけ冬が寒かったことを示す。

 平安後期の歌人・西行は、桜に魅せられた一人。1560首が収まる「山家集」には桜を詠んだ歌が約230首を数え、2位の松(34首)、3位の梅(25首)を大きく上回る。「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」(できるなら釈迦の命日である旧暦2月15日に、満開の桜の下で来世へ旅立ちたい)の一首も知られるところだ。

 その西行は、先祖に藤原鎌足を持つ武家に生まれたのに、まだ若い23歳に出家した。出家は、俗世間で築いてきたすべてのものを捨て去る行為。時の内大臣・藤原頼長は自身の日記「台記」に西行の出家を「裕福な家系に生まれ、武勇にも優れていた佐藤義清(=西行の俗名)の前途は誰が見ても有望だった。にもかかわらず出家・遁世したことに人々は歎美した」と賞賛し書き留めている。

 実際には釈迦の命日より1日遅い2月16日、西行は73歳で亡くなった。安芸国の似雲法師が大阪・河内(現大阪府南河内郡)の弘川寺に西行の墳墓を発見したのは、その他界から540年後の江戸後期。以降、似雲法師が西行を弔うため植え始めた桜が現在では約1500本、墓を抱く小山を装う。「花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思うわが身に」(俗世間への執着をすべて捨てたはずなのに、なぜこんなにも桜の花に心奪われるのだろう)とも詠んだ西行。まして世俗のアカにまみれた現代人が、美しく咲き、美しく散る桜に惹かれ、花見に出掛けたくなる気持ちは当然かも知れない。

 全国に多い花見の名所の一つに、岩手県釜石市の「唐丹町の桜並木」もあると知った。三陸大津波の復興と現天皇陛下ご誕生のお祝いを兼ね、1934年(昭和9年)に150本の桜が植樹されたのが始まりという。ただ、その唐丹町もまた今回の津波の被災地。「桜並木は無事だったろうか…」 ―― ずいぶん迷った末、意を決して地元紙に電話した。

 応対してくれた40代と思しき男性は、「さあ、どうなっているか…。何しろほかのことで手一杯なので」という当然の答え。この非常時に無神経な電話を掛けた非礼を重ねて詫びる筆者に、しかし「いえいえ、そうやって気遣ってもらえるだけでも嬉しいですからあ」と、電話の向こうの東北訛りは、とても温かかった。がんばれ、東北!

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