コラム


  荷風日記   No.499
 僧の修行は厳しい。規則正しい生活を義務づけられ、食事は質素で、どんなに寒くても暖を取ることはできない。だから、たいした覚悟もなく僧侶になろうとした者は3日も経たぬうちに音を上げて俗世間に戻ってしまう――「三日坊主」の言葉の由来である。

 この語が引用される最たるものは、日記だろう。今年も残すところあと2週間。「来年こそは」の思いで新たな日記帳を購入された方もおられようが、意気込んで最初から飛ばしすぎるのは禁物。短い文章でサラッと書き止めておく程度が長続きの秘訣だそうだ。

 作家・永井荷風が記した「断腸亭日乗」は、大正6年9月16日から死ぬ直前までの42年間、一日も休むことなく書き綴られた彼の日記であり、近代日記文学の傑作と言われる。日記は一般的には個人の記録であり、他人に読まれることを想定しないが、公表を前提に書かれたとされるこの日記は、戦前・戦後の世相や風俗の変遷を伝える貴重な資料であるとともに、荷風の人となりが如実に表われていて興味深い。

 たとえば。「永井先生はご在宅ですか?」「いません。……本人が言うんだから間違いない」 こういう門前払いを平気でするほど人間嫌いで有名だった荷風は、作家仲間や新聞・雑誌記者との付き合いを疎むだけでなく、身内との関係も希薄だった。昭和12年4月30日の日記には、長男である自分が、三男である弟の威三郎と絶交している理由について書いている。自分が芸妓を妻にしたら、母親を説得して家を取り壊し、別棟に住むようになった。母親の見舞いに行ったら、威三郎の子どもたちが自分に向かって「早く帰れ早く帰れ」と連呼した――など7項目を挙げ、「以上の理由により、余は母上の臨終及葬式にも威三郎方へは赴くことを欲せざるなり」と記す。

 荷風は材木商の娘、芸妓との2度の離婚のあとも数々の女性と浮名を流すが、どの女性との間にも子どもが出来ぬように細心の注意を払っていた。子どもは自分を束縛するもの、心配の種にしかならないやっかいなものとして拒絶していた節がある。

 徹底した個人主義を貫き、ひたすら自らを孤独に追いやった荷風は、己が望んだとおり最期は誰にも看取られることなく、吐血して死んでいるところを発見された。

 今年の「新語・流行語大賞」のトップテンにランクインした「無縁社会」。血縁や地縁といった絆が失われ、年間3万人が孤独死している現状を見事に言い表している。荷風の生き様は、そんな現代を生きるわれわれに痛烈なメッセージを投げかけている。

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