コラム


  雁 行   No.497
 出勤途上の名古屋城お堀端で数日前、都鳥とも呼ばれる端正なユリカモメの姿を見た。ユーラシア大陸から渡って来た数十羽が毎年、この近くで冬を越す。

 渡り鳥で思い出すのは、1973年放送のサントリー「角」のテレビCMだ。冬の浜辺の映像を背景に、男声ナレーションが流れる。「月の夜、雁は木の枝をくわえて北の国から渡って来る/飛び疲れると波間に枝を浮かべ、その上に止まって羽を休めるという/そうやって津軽の浜までたどり着くと、いらなくなった枝を浜辺に落として、さらに南の空に飛んでいく/日本で冬を過ごした雁は、早春の頃再び津軽に戻ってきて、自分の枝を拾って北国へ去っていく/あとには生きて帰れなかった雁の数だけ枝が残る/浜の人たちはその枝を集めて風呂を焚き、不運な雁たちの供養をしたのだという」 

 津軽半島外ヶ浜地区に残る民話「雁風呂」は切ない話だ。江戸時代の本草学者・阿部将翁が著した「採薬使記」に載り、また落語でも、漫遊途中の水戸黄門が静岡・掛川宿で大阪の豪商・淀屋辰五郎と出会った折の古典噺「雁風呂」として語られる。

 ところが、地元・津軽の人々はほとんど、そんな伝説を、先のテレビCMが流れるまで知らなかったそうだ。いや、それ以前に、そもそも雁には小枝をくわえながら海を渡ったり、まして、北へ帰る際、落としていった枝を再びくわえて戻る習性などないのだとか。津軽地方の民話に詳しい坂本吉加さんはこの話を「都人たちの文学表現上のロマンチシズム、空想から生まれたのではないか」と著書「津軽の伝統」に書いている。どうやら世の中には、真実を知らないほうがよかった話もあるということか。

 ともあれ「雁」と聞くと、まつわる言葉をいくつか思い出す。「雁書」は、古代中国で匈奴に捕われた漢の蘇武が自分の安全を知らせる手紙を雁の足に付けて飛ばしたことから「手紙」のことを指し、「雁に長幼の列あり」の言葉は、雁が渡るとき1羽を先頭にして逆V字型の隊列を作る姿から生まれた。また、おでんの具「がんもどき」は元々精進料理の一品で、味を雁の肉に似せたことから「雁擬(もど)き」と書くとの説もある。

 さらに、危険を感じた雁の群れが一斉に首を上げる姿が本来の語源の「雁首を揃える」で、厂(がんだれ)状に曲げた腕に糸をぐるぐる巻いて束ねる様子を示したのが「雁字搦め」……と続けると、話はあらら、野党の問責決議攻めで身動きが窮屈な政治話に行き着く。

 師走入り。季節も政治も私たちの暮らしも、寒さが身に沁みるのはまだこれからか。

コラムバックナンバー

What's New
トップ
会社概要
営業商品案内
コラム
大型倒産
繊維倒産集計