コラム


  “省く”難しさ   No.479
 政府は先ごろ2011年度予算の概算要求基準を閣議決定した。国債の元利払い費を除く一般会計歳出額を10年度予算の71兆円以下に抑えるとともに、成長戦略に重点配分するために設ける「元気な日本復活特別枠」については、予算規模を民主党提案の「2兆円」から「1兆円を相当上回る額」という曖昧な表現にとどめたうえで、その財源を確保するため、全省庁に対し一律10%の予算削減を求めることにした。

 成長分野やマニフェスト施策に配慮しながら、限られた財源をどう配分し、同時に財政の健全化をどう図っていくか ―― 「消費税増税より無駄の排除が先決」という国民の声が強い中、加えて決定的な「ねじれ」が生じた難しい国会運営下で、民主党政権による今後の予算編成はまだまだ問題山積、前途多難である。

 「減らす」といえば、中国・明代の儒学者・洪応明が著書「菜根譚」で書いている。「人生は一分を減省せば、便ち一分を超脱す(人生は少しだけ「減らす」ことを考えれば、その分だけ世俗から抜け出すことができる)」(=訳注・今井宇三郎)。その後に「口数を少なくすれば、不要の過失が減り、人との付き合いを少し控えれば、いざこざや煩わしさが減る。利口ぶるのを減らせば、本性を全うすることができる」と続く。

 そう教えられても、その「少し減らす」ことが、実はなかなか難しい。「世の中には、誰が考えても不必要という“純粋な無駄”など、もともと存在しない」という考え方がある一方、「限られた財源の中での優先順位は付けられても、無駄か否かという二元論は乱暴すぎる」との意見もある。「一律1割削減」といわれても、もっと削れそうな省庁もあれば、客観的に見て問答無用の削減は気の毒という省庁もあろう。

 「省」には「はぶく」だけでなく「かえりみる」の意味があるのはご承知の通り。常に自身の行いを振り返って検証を怠らず、バランスのとれた「省き方」を心掛けることが、人生にも、財政にも肝要といえよう。

 それにしても、である。久しぶりに「菜根譚」を開くと、ついこんな一項に目が寄り道してしまう。「勢利紛華は、近づかざる者を潔しとなし、これに近づきて而も染まざる者を尤も潔しとなす(権勢名利や豪奢華美に近づかないよう心掛ける者は潔白な人である。しかしそれらに近づいても、その悪習に感染しない者こそ最も潔白な人である)」

 政治・経済ほかあらゆる分野で、最近そういうリーダーが見当たらないのが残念だ。

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