コラム


  紫 色   No.469
 「神山や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色に見ゆらむ」藤原俊成―― 平安歌人が800年以上も前、付近が紫一色に染まる様子を一途な恋に喩えて詠んだ京都・上賀茂「大田神社」の杜若が見頃を迎えている。境内の東側2000㎡に群生する2万5000株が人々の目を楽しませてくれるのは来週末ぐらいまでだそうだ。

 ふと思い浮かべると、この時季に咲く花にはなぜか紫色が多い。杜若の仲間の花菖蒲や文目のほかにも藤や鉄線、都忘れ、露草、矢車菊、雪割草、菫、釣鐘草、蔓日日草、桔梗、アネモネ……図鑑で調べるとまだその数倍を数える。

 紫――独得の雰囲気を持った色である。元々は「紫草」という植物の「紫根」とよばれるその根を乾燥して粉末状の染料にし、織物を染めた色を「紫」と呼ぶようになった。その「紫草」の花の色は紫ではなく白、などというプチ情報は蛇足にしても、栽培が難しい植物で、染色にも手間ヒマがかかったこともあってか、紫色は古代中国や日本でも高貴な人々だけに身につけることが許される「禁色」として扱われた。

 紫式部「源氏物語」で光源氏の最愛の人は「紫の上」だったし、ほかにも「桐壺」「藤壺」など紫系の名を持つ女性が登場する。これら貴族社会が愛した都の紫色はのちに「京紫」と呼ばれ、鎌倉時代には武士の鎧にも使われ始めた。また秀吉や家康が紫色を施した「辻ヶ花」の着物を着たことも分かっている。さらに江戸時代には歌舞伎十八番「助六」で主人公・助六が額に締めた「紫色の鉢巻き」姿が粋とされ、赤みの濃い「京紫」に対して、青みが濃い紫を「江戸紫」と分けて呼ばれるようになった。

 この紫色に関しては、「論語」にも孔子が嘆いた言葉が残る。曰く「悪紫之奪朱也」(紫の朱を奪うを悪む=伝統的な色である朱色より、似て非なる紫色がもてはやされるようになったのは困ったことだ)――曖昧さやごまかしを戒めた言葉とされる。

 「種々の矛盾を内包している自公連立政権は、色に喩えるなら紫。これに対し民主党は主義主張が明確で分かり易い朱色」と、かつて自身のブログで書いていた政治評論家・森田実氏だが、最近は見方がガラリと変わったらしく、「もはやこれ以上、日本の政治を民主党政権にゆだねるのは、日本の破滅に通じるほど危険。総辞職が嫌なら、衆議院を解散し、この夏に同日選挙で信を問うべきだ」と訴えている。

 そういえば、衆議院解散で天皇が発する解散詔書は、通称「紫のふくさ」と呼ばれる。

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