コラム


  「容保桜」   No.460
 名古屋でも18日、ソメイヨシノが平年より10日早く咲いた。今年は全国的に桜の開花が早いらしい。ただ、気象庁が今年から開花予想をやめ、民間気象会社が独自に分析し発表することになったため、一部地域では気象会社によって開花予想時期が7~10日間も違っている。花見会の幹事さんをさらに悩ませそうなのが気の毒だ。

 そんな折、京都府庁旧本館の中庭にある1本の桜が、ヤマザクラとオオシマザクラの両方の性質を持つ珍しい品種と分かり、この場所にかつて京都守護職・松平容保(かたもり)の屋敷があったことにちなんで「容保桜」と命名されたニュースをネットで知った。

 京都守護職・松平容保と言えば、幕末の京都は尊皇攘夷派・開国派が入り乱れ、治安が非常に悪かった。そこで幕府は京都守護職を置いて町を警護することを決め、会津藩主・松平容保にその職に就くよう要請した。が、「薪を背負って火を消しに行くようなもの」と言われるほど危険な役目だったから、容保は固辞。その容保を説得するため幕府が持ち出したのが、会津松平家の祖・保科正之が遺した「家訓(かきん)」だった。

 会津藩の、15条から成る「家訓」の最初にこう掲げられていた。「大君の儀、一心に大切に忠勤を存ずべし。列国の例を以って自ら処すべからず。もし二心を懐かばすなはち我が子孫に非ず。面々決して従うべからず」(将軍に忠勤を尽くせ。わが藩は他藩とは違う。もし将軍に異心を抱くならそれは私の子孫ではない。家臣もそんな者に従ってはならない) 松平家の養嗣子である容保は、そう記された「家訓」を突き付けられては抗えず、守護職への就任を断り切れなくなってしまったのだ。

 会津藩の「家訓」にはほかに「婦人女子の言うことは一切聞くな」などという当時ならではの条文もあるが、「風紀や行儀作法を正しく保て」「賄賂やご機嫌取りを求めてはならない」「人に媚びたり口先だけ達者な者を登用するな」「えこひいきしてはならない」「政治は利害関係を持ち出して道理を曲げるようなことがあってはならない」等々、人としての生き方、リーダーとしてのあり方が細かに定められている。

 発見された新種「容保桜」はヤマザクラより花茎が少し長く、やや大きめのピンク色の花を3月下旬~4月上旬に咲かせるという。幕末の激動の時代、翻弄されながらもリーダーとしての務めを全うした容保の生き方に思いを馳せながら、機会があれば立ち寄って、桜の花の咲く様、散り行く様をご覧になってみてはいかがか。

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