コラム


  引越し   No.458
 「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」――米国「ライフ」誌が1999年に掲載した中に、日本人が1人だけいた。江戸時代の絵師・葛飾北斎だった。

 生来の手先の器用さを生かし14歳から版木を彫る仕事に就いていた北斎は、次第に自分も絵描きになりたいと考え、18歳で浮世絵師・勝川春章に入門。役者絵を描いていたがやがて飽き足らなくなり、師匠に内緒で他流派や洋画を学んだことがばれて破門されてしまう。生活に窮したそれからの北斎は仕事を選ばず、役者絵や風景画、美人画はじめ本の挿絵、相撲絵、妖怪画、歴史画、漫画、百人一首、果ては春画まで何でも描いた。生涯に残した作品は3万点超の多きを数えるとされる。

 多いのは作品数ばかりでなく、自ら称した雅号も「北斎」のほか「春朗」「宗理」「可候」「辰政」「画狂人」「戴斗」「卍」等々や、さらにこれらを組み合わせるなどして、生涯で30もの号を名乗ったとされる。それほど頻繁に改号したのは、実は弟子に号を譲って収入にしていたためとの説もあるそうだ。

 北斎の奇行でもっと驚くのは「引っ越し」の多さだ。90歳で没するまでに、なんと93回も引っ越しを繰り返したといわれる。理由は、絵を描くことに熱中していて掃除をせず、部屋の汚れが限界になると引っ越していたからとか。住まいを一度決めると一生そこに住み続けるのが常識だった江戸時代には考えられない「引っ越し魔」。最後の93回目に借りたのは以前住んでいた家で、再び借りた部屋が昔散らかしたままだったのを見て以来、引っ越しをやめた――と伝えられる逸話の真偽は定かではないが。

 芸術家の「引っ越し好き」は洋の東西を問わないらしく、ゴッホは生涯に34回、ベートーベンは北斎に僅差で迫る83回引っ越したとの記録がある。もっとも、ベートーベンの場合は北斎のような「片付けられない症候群」のせいではなく、自分の作品を誰かに盗まれないよう居所を隠すのが目的だったとされる。

 さて、年度替りを前に「引っ越しシーズン」到来である。ただ、総務省「2009年の人口移動状況」によると、東京・名古屋・大阪の三大都市圏への「転入超過数」は10万4369人で前年より4万9709人減った。減少幅が4万人を超えたのは1993年(平成5年)以来16年ぶり。「景気後退で転勤などの移動が減っているため」との分析だが、その去年より「今年は申し込みが少ない」と某引っ越し業者は嘆く。やはり、である。

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