コラム


 客の望みに応える  No.442
 能の大成者・世阿弥が最も得意としていたとされる「丹後物狂」が先月24日、物語の舞台になった京都府宮津市の智恩寺・文殊堂で上演された。松岡心平東大教授が復曲したものを、シテ(親)を26世観世宗家・観世清和氏が、子方(息子)を10歳の長男・三郎太君が演じた。上演は江戸時代以来、宗家による上演は室町時代以来という。

 「物狂能」は、恋人や夫婦や子供など愛する人との別れによって狂乱状態になってしまった主人公が登場するストーリーの能のこと。「丹後物狂」は宮津・白糸の浜に住む岩井左衛門親子の物語だ。

 左衛門は、文殊堂に願をかけて授かった長男・花松を、勉学と修行のため近くの成相寺に預けたが、実家に帰ってきた折、花松が勉強だけでなく遊び芸も上手と知って激怒、勘当してしまう。落胆した花松は海に身を投げたが、偶然通りかかった筑紫の船に助けられ、九州彦山の寺で学問に励み大成、やがて僧として丹後に戻る。しかし親の行方が分からなくなっていたため、文殊堂で日々説法を続けていたところ、子を失い物狂いになった左衛門が偶然立ち寄り、再会を果たす――というハッピーエンドの物語。

 この「丹後物狂」は、時の将軍・足利義満の前で上演することを初めから想定して作られた出し物といわれ、世阿弥は義満が天橋立を訪れた際に演じている。

 観る人をあらかじめ想定したうえでの創作――世阿弥が能の真髄を書き残した「風姿花伝」には、次のような一節がある。「その時々の世相を心得、その時々の人の好みに従って芸を取り出す。これは季節の花を見るがごときである」「時により用に足るものを良い、足りないものを悪いとするだけのこと。その時代の人々、所々によりその時の遍き好みによって、受け入れられるものが用に足るため、花となるのだ」(いずれも水野聡訳「現代語訳 風姿花伝」から) 

 折々の流行りを考え、その時代の人々の好み、観客の望みに応じて演じることの大事さ、能役者のあり方を説いた「風姿花伝」は、読み方や視点を変え、そのまま今日に通じる人生訓、ビジネス訓として読まれることも少なくない。

 世阿弥は言う。「ひたすら世間の理にかかりて、もし欲心に任せば、これ第一、道の廃るべき因縁なり」 世俗の功利に捉われ欲得に執着すると道を踏み外す、の意味。

 たまに日本の古典に触れてみるのもよかろう。

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