コラム


 裁く責任の重さ  No.430
 事件は今年5月1日正午前、東京都足立区の住宅地で起きた。被害者(66歳女性)の家族がバイクを方向転換させた際、道路を挟んだ向かい側の、加害者(77歳無職男性)の自宅前に置かれていたペットボトルを倒したことがきっかけで口論になり、加害者男性が自宅からサバイバルナイフを持ち出して被害者女性を刺し殺した。

 「被害者の左胸や背中を5回以上も刺したのは、強い殺意の表れ」と主張する検察側。「ナイフを持ち出したのはただ被害者を脅かすため。被害者に掴みかかられそうになり、とっさに刺してしまった」と弁護側。両者は以前から仲が悪く、同様のトラブルがこれまでもあったとされる中で起きた殺人事件を、国民から無作為で選ばれた6人の裁判員が、史上初めて、プロの裁判官とともに裁く――。

 そもそも裁判員制度はなぜ設けられたのか? 「99%を超える有罪率など刑事裁判の現状に『異議あり』と陪審制度の復活を求めた日弁連。刑事裁判に大きな問題はないとする最高裁、法務・検察とのせめぎ合いの中、『ヒョウタンから駒』(ベテラン刑事裁判官)のように生まれたのがこの(裁判員)制度」と中日新聞コラム「中日春秋」。

 「取調室でひとたび自白すれば、被告が法廷で否認しても、裁判官は自白調書の方を重視する傾向が強かった。(略)過度に自白調書に寄りかかる裁判が、今日まで続く冤罪史の背景の一つになってきたことも否めない」(朝日新聞「社説」)、「『やってみたい気はするがわずらわしいし、自分が本当に裁けるのかとも思う』。こんな声を聞いた。共感する人も多いのではないか」(読売新聞「よみうり寸評」)等の意見に同感する。

 しかし、始まったばかりの裁判員制度には、やはりまだ「違和感と戸惑い」を否めない。難解な法律用語を分かり易い言葉や表現に置き換える程度はまだしも、裁判員へのアピールを過剰に意識したような「劇場型プレゼンテーション」的審理の進め方は、本当に相応しいのか。また、無作為抽選による偶然の結果とはいえ、今回は女性5人、男性1人になった裁判員の性別構成の偏りが、事件によっては審理や判決に微妙に影響することはないのか――等々、今後改善してゆく必要も少なくなさそうだ。

 ただ、これだけはガツンと自覚しておかねばなるまい。自身が参加することで生じる責任を、国民・市民もまた厳しく問われる時代になってきたことを。裁判員制度がそうだし、「政権選択」を審判する今回の衆院選でも、投じる一票の責任は、極めて重い。

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