コラム


 「経世済民」いずこへ  No.385
 海保青陵は江戸時代中期、丹後国宮津藩の家老・角田市左衛門の長子という恵まれた家庭に生まれた。幼少から儒学を学んだ彼は、しかし考えるところがあったのか22歳で家督を弟に譲ると、自らは各地の諸侯・豪農に「商業の振興」による藩財政の増収「富藩論」を説いて回る、いわば「経済コンサルタント」として全国を遊歴した。

 「諺に、親は苦をする、子は楽をする、孫は乞食するというは理によく合いたることなり」――40を超す著述を精力的に綴った海保が、中でも著名な「稽古談」で書き残した言葉だ。「子の居る場所は恐ろしき処なり。うっかり姑息(一時逃れ)をしている場所にあらず」とその後に続く。「子」とはつまり「二代目」のことだ。

 江戸時代の商人たちには、親子孫の三代にわたって商売を続けることができれば「ひとまず安泰」と考える風潮があった。しかし「商家ほど衰え易きものはなし」といわれたように、暖簾を三代守ることができた商家は、実際は決して多くなかった。とりわけ二代目の責任は重く、「うっかり姑息など、もってのほか」と海保は戒めたのだ。

 「政治家」が、いつの間にか「政治屋」集団になってしまっていることの表徴なのか、衆議院では二世議員が30%超、自民党では52%を占める。そればかりか、平成以降の総理大臣13人中11人までが二世など世襲議員である現状を「異常事態」と指摘する経済評論家・堺屋太一氏は、他方でまた、産業界でいま地方の「青年会議所」が衰退していることを憂いている(月刊「現代」10月号「二代目の研究」)。

 「青年会議所は最盛期には757ものロム(地方会議所)があり、6万7000余の会員がいた。ところが’90年代に入り団塊の世代がメンバーの適齢期である40歳を過ぎたころから衰え、2007年には4万2700人とピークの3分の2以下に減った」「会員数の減少にもまして、変わったのは会員内容。地方の富裕層の二世、三世主流からIT関係やパート派遣など小規模事業の創業者、医師、会計士が増えた」「その結果、中小・零細企業者や有資格者の実用的な会合になり、活動は地味で、尊敬度も低下している」

 はしゃぐ国会議員に、元気のない地方の老舗商店・企業の経営者――同じ「2世」であっても、彼此のこの対照的な違いは一体何に、どこに起因するのか。

 「稽古談」には「上下とも苦しむ事なきが天の理なり」の一節もある。海保が為政者に求めたのは「経世済民」――生活に苦しむ国民を済うための政治。いまは、どうなのか。

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