コラム


 総選挙が待ち遠しい  No.384
 「総裁選を華々しくやってほしい」――福田首相は首相官邸執務室で麻生太郎自民党幹事長に突然の辞意を伝えた1日夕、そう指示したそうだ。あれから1週間。

 早々と立候補の意志を表明した麻生氏のほか与謝野馨経済財政担当相、石原伸晃自民党元政調会長、小池百合子元防衛相、石破茂前防衛相、さらに棚橋泰文元科学技術相、山本一太参議院議員と、立候補者は8日現在で7人になった。ただ、若手の棚橋、山本両氏は各々20人の推薦人を確保するのに苦労し、連携=一本化を模索しているようだから、10日の告示には結局6人が届け出ることになるのだろうか。

 「百花繚乱」――多くの秀でた人材が、経済も国民の気持ちもすっかり疲れてしまっているこの国を建て直すため、国民に自説を披瀝し、議論を戦わせてくれるなら喜ばしい。しかし残念ながらマスコミ報道を見聞きする限り、立候補者の各自が描くビジョンや信念、中長期展望に基づいた政策の明確な違いや、まして身命を賭して重責に取り組んでくれそうな強い意気込みと覚悟が、国民にはいまひとつ伝わってこない。

 かつて三木赳夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の「三角大福中」が「権謀術数の渦巻く中、仲間を裏切ってまで首相の座を狙い、奪い取った」時代があった(評論家・上杉隆氏)。その5人衆の生き残りの中曽根氏が読売新聞3日付「談論」で語っている。「最近の首相辞任の二つの例を我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている」

 そういう軟弱な世襲議員でさえ総理大臣になれる時代になってしまったのは「小泉さんが後継者の育成に失敗したからだ」と御厨(みくりや)貴東大教授は日経ビジネスオンラインのインタビューで語る。「派閥は政治家が政策や政局運営を勉強し、スキルを磨く場でもあった。派閥を復活しろと言うつもりはないが、政治家を育成するシステムが完全に壊れたことは大きい。ある意味、誰でも総理になれる時代になったということだ」

 中曽根氏はまた6日のテレビ番組でこうも言った。「(総理大臣は)石にかじりついてでも職責を尽くすもので、気概が薄れている。首相がサラリーマン化した」と。

 冗談じゃない。オジサン世代、高齢者世代の企業家やサラリーマンこそ、必死になって各々の職責を果たし、日本経済を支えてきたではないか。にもかかわらず、その労苦に報おうとしない政治に怒っているのだ。解散総選挙が近いといわれる。待ち遠しい。
(2008年9月8日付のコラム)

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