コラム


 舵取り  No.378
 とにかく暑い。今夏もまた記録的な猛暑になるのだろうか。おかげで先の連休でも、涼を求めて水辺に出た人々の水難事故が、残念ながら全国各地で相次いだ。

 連休最後の21日は「海の日」だった。元々は明治9年(1876年)、北海道・東北地方の巡幸を終えた明治天皇が横須賀に戻った7月20日の「海の記念日」が、平成8年から祝日「海の日」になり、15年からは7月第3月曜日に改められたものだ。

 昨年のこの日、当時の「日本丸」船長だった安倍前首相は「本年は平和で美しい海を次世代に引き継ぎ、真の海洋国家を目指して進む船出の年になる」とメッセージを発信した。が、そのわずか2カ月後、「キャプテン安倍」は操舵に失敗して船を座礁させ、職責を放棄して逃げ出した。急きょ交代した「キャプテン福田」も、強いリーダーシップを自ら発揮しているようには見えず、このままでは「日本丸」は一体どうなってしまうのかと、船を降りるわけにはいかない1億3000万人の乗員=国民の不安と焦り憤りは、むしろ日に日に増しているありさまだ。

 旧約聖書「創世記」にある「ノアの方舟(はこぶね)」を思い出す。信心深い老人ノアは、天使アルスヤラルユルからもたらされた大洪水の予言を信じ、方舟を作って非常事態に備えた。ほかの人々にもそう勧めたが、耳を貸す者は誰もいなかった。やがて7カ月と17日間も雨が降り続き、それによる大洪水のため、方舟で標高5000mのアララト山の頂きに着いたノアとその家族8人と家畜を除く、地上のすべての生き物が死んだ。

 しかし大事なのは、ノアのその後の行動だ。雨が止むと、彼はまずカラスを放った。そのカラスがすぐ戻ってきたのを見て、下界では水がまだ引かず羽を休める木や土地がないことを知った。7日後にハトを放つと、木の若葉をくわえて戻ってきた。地表に緑が蘇り始めたが、羽を休めるほどは土が乾いていないと考えた。さらに7日後再び放ったハトは、もう戻ってこなかった。そこでノアは、家族と家畜を連れて船を降りた――リーダーは、そうやってこまめに情報を集め、的確な判断を下すものなのだ。

 日銀・金融政策決定会合や内閣府・月例経済報告、さらに景気ウオッチャー調査など景気や雇用情勢の悪化を示す報告が続いている。ガソリン代や生活物資の値上がりも著しい。にもかかわらず、この難局を乗り切る「舵取り」を、自ら積極的に取ろうとしているようには見えない福田サンに、「船長」としての資格のありやなしやを問いたい。

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