コラム


「春一番」  No.360
 陽気が急に春めき、各地の桜の2回目開花予想が1回目より数日早まった。

 「♪ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ」――明治14年「小学唱歌」になった「ちょうちょう」の、一番の歌詞「菜の葉に飽いたら 桜にとまれ」に続く詩が現在の「さくらの花の 花から花へ」に改められたのは昭和22年で戦後。それまでは「さくらの花の さかゆる御世に」だった。その意味でも「歌は世に」つれる。

 「♪雪がとけて川になって 流れてゆきます …もうすぐ春ですねえ〜」と「キャンディーズ」が歌ったのは「春一番」だ。安政6年の旧暦2月13日(新暦3月17日)、長崎県五島沖で春の嵐に出遭った漁師53人が亡くなった。以来、土地の人々がこの季節に吹く強風をそう呼ぶようになった「春一番」を、気象庁が気象用語として正式に使い始めたのは昭和50年からだ。ただし「春一番」は立春から春分までの期間限定で、そのあとは桜の蕾をほころばせる「春二番」、花を散らす「春三番」と続く。

 日本がまだ「さくらの花の さかゆる御世」にあった20年3月10日未明。米空軍B29爆撃機が焼夷弾100万発を投下して約10万人が亡くなった「東京大空襲」は、木造家屋が密集する下町を攻撃地点に選んだばかりでなく、この季節の「春一番」の強風が延焼被害をさらに広げるだろうと予測して計画されたともいわれている。

 その先週3月10日にTBSテレビがドキュメンタリードラマ「東京大空襲 語られなかった33枚の写真」を放映したのに続き、今週は日本テレビが17日「東京大空襲『受難』」、18日「同『邂逅』」と2夜連続で同じテーマでのドラマを放映した。

 それだけではない。TBSは16日深夜(17日午前1時)にも大戦末期に住民と共に生き、死んでいった沖縄県知事・島田叡を描いたドキュメント「『生きろ…』と知事は言った〜島守たちの沖縄戦〜」を放送し、また映画館ではB29搭乗員を斬首刑に処した東海軍司令官・岡田資中将を描いた「明日への遺言」の上映が続いている。

 「戦争モノ」がいま相次ぎ扱われるのは単なる偶然なのか、それとも制作者たちに共通した何らかの危機意識や意図が背景にあるのだろうか――考えてみたが、分からなかった。ただ、こうして日本がかつて直面し乗り越えてきた辛くて悲しい歴史に触れると、それに引きかえ今時の役人や政治家連中の、あまりにも平和ボケした能天気ぶりが一層情けなく目に映り、彼らを吹き飛ばしてくれる「嵐」の到来を望みたくもなる。

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