コラム


「もしも・・・」の悲劇、再び  No.357
 イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故が起きて6日が経つ。行方不明の漁師親子を捜すため夜明け前から港を出る僚船に、「早く上げてやってくれ。頼むね」と泣きながら手を合わせ、見送っていた肉親の胸中は察するに余りある。

 事故はなぜ起きたのか――。「あたご」や防衛省の事故直前・直後の対応のまずさ、不透明さが厳しく問われている。見張りは充分だったのか? 交代当直士官らへの情報の受け渡しは確実だったのか? 漁船の多い海域にもかかわらずなぜ自動操舵を続けたのか? 回避行動は適切だったのか? レーダー等の記録は本当に残っていないのか? 危険を知らせる警笛は本当に鳴らしたのか?――次々に出てくる「あたご」側の行動の疑問が、「漁船は自艦の後方を通過すると思った」という交代後の当直士官のひと言で片付けられてしまうとしたら、そのいい加減さを絶対に許せない。

 ただ――。先に沖縄で起きた米軍兵による少女暴行事件の直後、産経新聞が「米軍基地が集結する沖縄の夜の繁華街で、米兵から声を掛けられ、バイクに乗ってしまう無防備さ」を書いた。この時期に口にすべき言葉ではなかろうと筆者も憤った同じ轍を踏むことになりはしないか逡巡しつつ、あえて触れようと思った「数字」がある。

 海難審判庁によると、平成18年中に発生した海難事故4335件中、死亡・行方不明者は202人だが、船種別では漁船が103人(51.0%)と最多で、2位のプレジャーボート43人(21.3%)の倍以上だった。その傾向は毎年ほとんど変わっていない。

 もう1つの「数字」は「救命胴衣の着用率」だ。プレジャーボートでの着用率は29%でまだ低いものの、漁船ではさらに減って6%足らず。しかし、不幸にも事故が起きた場合、救命胴衣を着用していた時の死亡率は16%だが、着用していないと76%に一気に跳ね上がる(海上保安庁調べ)。その「現実」の数字を無視できまい。

 このため「船舶職員・小型船舶操縦者法」を改正し、漁船に1人で乗り漁をする場合、現在は防水型携帯電話など「船外に転落した際に短時間で救出されるための連絡手段」を持っていれば「努力義務」にとどまっていた救命胴衣の着用を、4月1日から、連絡手段の有無にかかわらず完全義務化することになっていた矢先と言えば矢先だった。

 さまざまな「もしも…」や「…だったなら」が悔やまれる事故――と言ってしまってはやはり、いまこの時期に不謹慎との謗(そし)りを免れないのだろうか。

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