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絵画の所有権 No.906

先年、唐招提寺の鑑真和上坐像(国宝)が東京で公開されたときに拝観した。たくさんの名宝が並ぶ中で、鑑真和上はリアルにそこにおいでになるような存在感があり、感動した。この鑑真和上の坐像は、8世紀に度重なる苦難に失明しながらも不屈の精神で唐の国から波濤を越えて日本に渡海し、戒律を伝えてくれた、とされる和上の生前のお姿を彷彿とさせるものだった。芸術作品が人間に与える影響力の大きさを実感したものである。

村上春樹が、読者からのメールの質問に答えたものが文庫本になっている。その『村上さんのところ』(新潮文庫)の中に、「(質問)なにかお金の使い方に哲学はお持ちですか?」「(回答)僕の現在の唯一の贅沢は、絵画を買うことです。絵画を買うというのは、それを保管することでもあります。言うなれば一時的に預かっているようなものです。生きている間はそれを好きなだけ眺めて過ごすこともできますしね」というものがある。つまり、彼は「絵画を買う」=「一時的に預かる」と思っているのである。

日本がバブル景気の時期、大昭和製紙(現・日本製紙)の名誉会長齊藤了英氏(1916年~1996年)が、自分が死んだら「ゴッホの“医師ガシェの肖像”とルノワールの“ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会”は自分の棺桶に入れて焼いてくれ」と言ったと巷間伝えられている。相続税が大変だから、という理由らしい。この発言は勿論世間で批判された。とんでもない発言であることは論をまたないが、所有権というものの議論に一石を投じたことも間違いない。芸術作品は仮に誰かの所有物になっていたとしても、その所有者は、それを「一時的に預かっているもの」と思うべきである。

敷衍すると、街の建物には必ず所有者がいる。その持ち主は、私だったり、大家さんだったり、役所だったりする。しかし、瀟洒な住宅街、ハイセンスな商店街、情緒たっぷりな下町風…など街のたたずまいは一体誰のものか?

民法では「所有権は物を全面的に支配する物権である」と規定しているが、世の中の多くのものについて、所有者とは「過去」から「未来」に向けての時間の流れのなかで、そのものを「一時的に預かっている人」と考えたほうがしっくりくると思う。『方丈記』(鴨長明)の冒頭「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」にあるように、私たちは長いときのながれのなかの一瞬を生きているのだから。

二足のわらじを履く No.907

江戸時代には博打打ちが博打を取り締まる役目の岡引きを兼ねることがよくあったそうだ。これが同じ人が両立しえない仕事を兼ねる意味の「二足のわらじを履く」の語源となった。現在では相反する仕事を持つ場合だけでなく、単に二つの仕事をこなす場合にも使われている。

いまでいえば精神科医で作家の加賀乙彦や銀行に勤めながらシンガーソングライターとして活躍した小椋佳、IT会社役員でありながらお笑いタレントをこなす厚切りジェイソンなどが思い浮かぶ。身近ではあまり見かけないような気がするが、それもそのはず社員に副業を認めている企業が少ないからだ。

そんななか、大手企業やベンチャー企業を中心に副業解禁の動きが見られるようになってきた。背景には政府が働き方改革関連法の一環で副業・兼業の普及促進を図っていることが挙げられる。具体的には2018年1月厚生労働省によって「モデル就業規則」から副業禁止が削除され、「副業・兼業促進に関するガイドライン」が提示されたことだ。働く側をみても、正社員1000人に行った調査(2018年9月:マクロミル)によると、「副業を経験したことがある」が34%。「今後副業を始めたい」が44%。また、「副業を禁止する企業は魅力がない」と回答した人は83%に及ぶなど、柔軟な働き方を求めているようだ。ただ、副業を始めたい理由の1位が「生活費の足しにするため」(62.7%)で、スキルアップやキャリア形成が少数派だったのは厳しい現実である。

一方、同年9月に(株)リクルートキャリアが企業に行ったアンケートをみると、兼業・副業を推進している企業は全体の28.8%と2017年に行った調査から5.9ポイント上昇しているもののまだまだ低い水準である。戦後、高度成長期を迎えた日本は終身雇用制、年功序列といったわが国特有の働き方が一般的となり、一つの企業で定年まで勤めることが良いとされていた。本業に専念させるため企業の多くは副業禁止が当たり前だったが、時代が変わり終身雇用制が崩壊しつつあるいまでも根強く残っているようだ。

政府が副業・兼業解禁へ大きく舵を切った背景には、人口減少と少子高齢化に伴う労働力不足がある。従来のままの働き方では日本は将来立ち行かなくなってしまうという危機感からだ。いずれにせよ、時代の変化は待ったなしだ。同じ履くならできれば収入にとらわれず、豊かな人生を歩める二足のわらじを履きたいものである。

ムーミンの魅力 No.908

3月16日、埼玉県飯能市にフィンランドの作家トーベ・ヤンソンが描いた『ムーミン』の物語をテーマにした「ムーミンバレーパーク」がオープンした。フィンランド以外では世界初の公式テーマパークとなる。7.3ヘクタールの敷地に物語に登場する「ムーミン谷」や「ムーミン屋敷」をはじめ、アスレチックやツリーハウスのある「おさびし山」、原作者トーベ・ヤンソンの作品を紹介する展示施設など4エリアで構成されている。

ムーミンは日本でおなじみのキャラクターだが、これは1969年にテレビアニメ化された影響が大きい。1972年に再スタートしたシリーズは併せて65話まで続き、繰り返し再放送されたので、いまでも主題歌を覚えている人も多いだろう。その後1990年には原作者のヤンソンも制作に加わった新たなテレビアニメシリーズ『楽しいムーミン一家』が日本で作られ、本国フィンランドにも渡り、世界中でヒットした。

いまでは誰もが知っているムーミンだが、実は原作を読んだことがない人がほとんどではないだろうか?1945年から1970年までに刊行された全9冊のシリーズは、児童文学ではあるが、大人も楽しめる。いや、むしろ大人の方が深く味わえる物語だと思う。

舞台となるムーミン谷は豊かな自然に恵まれた場所だが、火山の噴火や大洪水など度々大きな災害に見舞われる。2作目の『ムーミン谷の彗星』は、彗星が地球に大接近して地球滅亡の危機に直面するお話。戦時下に書かれたもので、戦争を体験したヤンソンの不安や悲しみが色濃く投影されたものと言われている。冒険ものとして楽しく読める作品だが、その背景を知ると読み方が違ってくる。ともあれ、自然の脅威にさらされながらも、それを乗り越えいつもの穏やかな生活に戻るムーミンたちの姿を見るのは楽しいし、元気づけられる。

登場人物は、ムーミン族、ミムラをはじめとする様々な種族のほかニョロニョロやモランなどたくさんの不思議な生き物たち。良い人ばかりでなく、怖がりだったり、わがままだったり偏屈な人もいる。美しい生き物も、ヘンテコな生き物たちも、それぞれの違いを受け入れみんな共に生きている。『ムーミンパパ海へいく』で、みんなから嫌われている魔物モランとムーミンが心を交わすエピソードがある。他者との違いを認め、共生していくという作者ヤンソンの思いが感じられるシーンだ。

ムーミンが世界で愛されている理由は、こんなところにもあるのかもしれない。

「はかり」 No.909

2009年9月18日金曜日、シアトルのセーフコ・フィールドはヤンキース戦ということで超満員だった。実力に勝るヤンキースに2対1とリードされた9回裏、絶対的守護神がマウンドに立つ。勝利の方程式、高速カットボールを操るリベラは先頭のふたりを連続三振に退け、あっさりと2アウトを取った。ゲームセットは目前かと思われたが、マリナーズの代打が二塁打を打ち、イチローに打席が回る。打席に入る前にバットを膝に置いて内股で屈伸する仕草はいつもと同じ。球場が静まり返る。点差からここは長打しかない。内角にきた初球にバットを合わせ、歓喜の右翼スタンドへ叩き込んだ。イチローは何事もなかったようにダイヤモンドを1周すると、ナインの輪に飛び込んだ。

彼にとっては初の逆転サヨナラホームランだが、こんな劇的なシーンも、もはや過去の小さな“出来事”なのかもしれない。3月21日東京ドームのアスレチックス戦は、延長になって終了したのが12回。8回裏で交代を告げられ退いたが、試合が終わっても引退を知った多くの観客が帰ることなく待っていた。「もう一度姿をみたい」とイチローコールを繰り返す。それを“出来事”と表現し、「あんなことが起こるとは、想像してなかった」と語ったように、試合が終了してもなお、待ってくれていたのは想定外だった。

日米通算4257安打、プロ野球における通算安打世界記録保持者としてギネス世界記録に認定され、MLBオールスターゲームにも出場したほどの人物が、球を拾い集めながら若手のバッティングピッチャーを進んで務める姿に、イチローの本質をみることが出来る。この世界で成功するのは一握り。試合に出られず苦しみ、諦めてしまった多くの選手を、28年という野球人生の中で何度も見てきたから生じる自然の姿なのだろう。

他人と自分を比較すると、人はそこから生じる様々な現実、感情に苦しむ。「はかりは自分の中にある」と語るイチローは、他人と比較しないことで自分をコントロールしてきた。小学生の頃、毎日練習して近所の人から「プロ野球選手にでもなるのか」と笑われ、アメリカに行く時も「首位打者になってみたい」と言って笑われたが、決してあきらめなかった。

地元の愛知県豊山町で行われた学童軟式野球大会の閉会式で小学生達を前にこう語った――「出来ると思ったことが必ず出来るとは限らない。だけど、自分が出来ないと思ったら絶対に出来ない。可能性を決めないでほしい」。そう、はかりは自分の中にある。