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デコイ No.833

昔、伊豆諸島・鳥島で繁殖していた数百万羽のアホウドリが、絶滅しかかったことがある。上質な羽毛が採れるというので、業者が押しかけ、乱獲したからだ。

姿を消したアホウドリを呼び戻そうと、その後、学者たちが作戦を立てた。本物そっくりに彩色した数十体の木製模型を島のあちこちに置き、上空を通りかかったアホウドリたちに「あっ、仲間だ」と勘違いさせ、居つかせようとしたのだ。作戦は成功した。模型に騙されるところがやはりアホウドリ、などとは失礼だから決して口にしてはならぬ。その際に用いられたような精巧・細密な木製の囮の鳥を「デコイ」と言う。

北朝鮮が先ごろ発射し、わが国襟裳岬の東方約1180㎞まで飛ばしたミサイルは、最後に弾頭部分が3つに分離したとの説がある。大気圏に再突入後、複数の弾頭が複数の目標に向かうように設計された「MIRV(マーヴ)」なのか、それとも、複数のダミー弾頭を放って攪乱する「デコイ」戦法を試したのではないかと推測されている。

北朝鮮ミサイルが飛来した場合、日米はまず大気圏への再突入段階で高高度防衛ミサイル「THAAD(サード)」を放って迎撃。それで撃ち損ねた場合は洋上のイージス艦から発射する「SM3」や陸上配備の「PAC3」で対応すると聞かされている。

当然、第一段階の「THAAD」で食い止められればそれに越したことはない。しかし、米マサチューセッツ工科大学名誉教授でミサイル分野の権威セオドア・ポストル氏は昨年10月、韓国で開かれた国際会議で、こう診断を報告している。「北朝鮮がデコイを使えば、THAADに内蔵された赤外線探索機能は無力化される」

今回の北朝鮮でのミサイル発射について、日本の報道は「襟裳岬上空を通過」したことをしきりに報じている。しかし、ということはミサイルはその直前に、国際法で外国籍の船舶や航空機でも自由に通過できる「国際海峡」である津軽海峡上空の、おそらく幅10km程度という極めて狭い公海上を、見事に擦り抜けて飛んでいるわけだ。その技術の確かさについて、マスコミのほとんどがなぜ触れていないのか理解できない。

不安を煽ったり、目を逸らすつもりも毛頭ない。しかし日本のマスコミは、ただセンセーショナルに報じるだけで、物事を冷静に、客観的に捉えたり、分析する姿勢や能力が備わっていないのではないかと、そのことをむしろ不安に思う。デコイに騙されるアホウドリを嗤う資格などない、と言いたくなる理由はそこにある。

レイアウト No.834

「レイアウト」とは、書籍や新聞、ウエブページの編集、建築やインテリア、オフィスの設計など、いまや私たちの日常生活に定着した外来語。ただ、時には少しこだわりを持って使われる場合がある。「鉄道模型」の世界における「レイアウト」だ。

実物の数分の一に縮小した精巧な鉄道模型を、車両本体だけでなく、駅や踏切、鉄橋や建物、山・川など周囲の情景模型まで作り、その中に車両模型を置く展示法を「ジオラマ」と呼ぶことは多くの方がご存知だろう。一方、ほとんどそれと似ているが微妙に異なるのが「レイアウト」。では両者の違いは何?5…4…3…2…1…。

ブザーが鳴る前に正解を答えられた方は、すでに「マニア」と申し上げてよかろう。周囲の情景模型の中に機関車や列車が、停ったままの状態で展示されているのが「ジオラマ」。これに対し、機関車や列車が実際に動く状態で展示されている模型全体を「レイアウト」と、こだわるマニアは呼び分けているらしい。

「レイアウト」という言葉は1946(昭和21)年発刊の専門誌「鉄道模型趣味」の主筆・山崎喜陽が米国の専門誌を紹介する中で使い始めたのに対し、「ジオラマ」は1970年代に軍隊(ミリタリー)物の模型作りが広まっていく中で混同され、使われるようになったとされる。 静岡・修善寺温泉の素泊まり旅館「花月園」は、現在では温泉好きというより、鉄道模型マニアの間で知る人ぞ知る“聖地”になっている。

国内旅行の日帰り化で客足が遠のく各地の温泉地。花月園も稼働率が年々落ち込んでいった中、主人の三須英二さんは、使われる機会がほとんどなくなった大広間を潰し、趣味の鉄道模型を走らせる「レイアウト」を作ってしまった。その後「鉄道模型を、思う存分遊べます。自作模型も持ち込み可」と専門誌に広告を出したところ、宿泊予約が1.5倍に増えたという。「朝食はサンドイッチと飲み物を用意しますが、夕食は近くの食事処、寿司店、居酒屋、ラーメン店でどうぞ」という割り切り方がまたよい。

鉄道模型を製造・販売する関水金属は昨年3月、JR京都駅ビル9階にコンセプトショップ「KATO京都駅店」をオープンさせた。模型を走らせる「レイアウト」はないが、マニア垂涎の模型の販売と修理を行い、人気を博している。

世の中には「無いと困る物」と「無くても困らない物」の2つが存在する。面白いのは、人はそのどちらに興味を持ち金を使うかと言えば、えてして後者が多いことだ。

竜胆 No.835

万葉歌人・山上憶良は「秋の七草」に「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」を挙げた。最後の「朝顔」は現在の「桔梗」のことで、見た目は「桔梗」に似た「竜胆(りんどう)」が“神セブン”に洩れたのは、開花時期が桔梗のような初秋ではなくもっと遅かったためではないかと、その落選を惜しむ竜胆ファンは少なくない。

1ト月ほど前から、りんどうの鉢植えを花屋でよく見かける。季節の花であるのもさることながら、最近は、9月の第3月曜日「敬老の日」に贈る花として広まりつつあるからのようだ。敬老とりんどうを結び付ける歴史的根拠はないが、高貴なイメージの紫の花の色が“敬老感”にマッチしているという、つまり雰囲気の問題らしい。

それにしてもりんどうは、「竜胆」なんかではなくもう少し楚々とした趣の漢字が当てられてもよかったのではないかとの思いを持つが、「竜胆」(旧字では「龍胆」)の中国語読み「リュウタン」が訛って「リンドウ」になった。なぜ「龍胆」なのかと言えば、その根には唾液・胃液の分泌や腸の蠕動を高めて食欲を盛んにする成分が含まれており、それが“熊”の胆をはるかに上回る“竜”の胆ほど苦いからだ。

伊藤左千夫が描いた悲恋「野菊の墓」にもりんどうは登場する。15歳の政夫が摘んで来たりんどうの花を、2つ年上の民子は受け取り、嬉しそうに言う。「政夫さんはりんどうの様な人だ」「どうして」「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がし竜胆の様な風だからさ」 民子はそう言うと、顔を隠してまた笑う。情景が目に浮かぶこういう恋をこそ「胸キュン」と言うのだと、古き世代の大人たちは思う。

だからというわけではないが、筆者も2週間ほど前、りんどうの鉢植えを買い求めた。置き場所や水やりの仕方を、教わった通り守ったつもりだ。しかし、10日ほどで、10個以上あった蕾がすべて、蕾のまま茶色く萎れて枯れた。悔しくて数日後、別の店でもう一鉢買って試みたが、結果はやはり同じに終わった。失敗した後で検索するのがまさに「非ネット世代」の愚かさだが、ともあれ、同様の失敗例と「どうすればいいの?」の質問を、例えば「YAHOO!知恵袋」に何人もが寄せていた。

紙幅も、自信もないから、鉢植えのりんどうをどうすれば美しく咲かせられるかについて請け売りのアドバイスはしない。ただとにかく、育て、まして立派に花を咲かせさせることの難しさを痛感して思う、況や花ならぬ人においておや、と。

秋の風 No.836

台風18号が列島を縦断し、身を包む空気が秋のそれに入れ替わり始めた気がする。

○ あきかぜの ふきぬけゆくや 人の中(久保田万太郎) …… 平仮名を多用した優しい表現に、秋の涼やかさが伝わる。○ 淋しさに 飯をくふ也 秋の風(小林一茶) …… 62歳で2番目の妻と別れた後に詠まれた句。「酒を呑む」ではなく、あえて「飯をくふ」と詠んだ日常生活感に、かえって寂しさ、侘しさが漂う。

さらに著名な秋の句に「物言ヘば 唇寒し 秋の風」(松尾芭蕉)がある。ただし、その意味を、通説のように「口は災いの元」と解釈するのはたぶん間違いだと以前も本欄に書いた(2014年10月)。元禄9年刊「芭蕉庵小文庫」に載るこの句には「人の短(所)をいふ事なかれ」との前書きがあるが、そう書いたのは芭蕉本人ではなく門下の中村史邦。詩人の清水哲男氏は著書「増殖する俳句歳時記」で「約890に及ぶ芭蕉句に人生教訓的な句はなく、本句だけをそう解釈するのは不自然」(要約)と指摘する。

それよりも清水氏は「『唇』という言葉は江戸時代からあったが、体の部位を指す医術用語。それを俳句に使った芭蕉の感性が斬新で素晴らしい」と称える。

それからいま320余年。初秋に突然、東京・永田町界隈で局地的に吹き始めたのは「解散風」だ。安倍首相は、来週28日に召集予定の臨時国会の冒頭で衆議院を解散するかどうか、帰国後に判断するとの考えを18日に示した。

①内閣支持率が50%を回復した(産経・FNN合同世論調査) ②野党第1党の民進党で“離党ドミノ”が止まらない ③小池百合子・若狭勝両氏の連携による新党結成も準備がまだ整っていない、等々の“気圧配置”を見れば、「いま選挙したほうが自民党は議席を減らさないとの読みが成り立つ」(毎日新聞19日付「社説」要約)からだ。追い風が吹いているチャンスを逃すなという、さすがに政治屋慣れした目敏さである。

しかし、とりわけ今回の解散・総選挙は、自民党を柱とする与党勢力の党利党略ではないかとする論調がマスコミには多い。政府・与党に批判的な朝日新聞が19日付社説で「(解散する)大義がない」としただけなく、与党寄りの読売新聞も同日の社説で、「首相が解散権を行使して選挙に勝ち、重要政策を遂行する推進力を得ようとすることは理解できるが、具体的な争点を明示すべきだ」(要約)と注文を付けた。

国政に一体どんな風を吹かせられるか ―― 主役が私たちであることは間違いない。

勇気 No.837

BS朝日「The Photographers」は、第一線で活躍する日本の写真家を追うドキュメンタリー番組。22日放送分で取り上げた3人の写真家の中に、吉田亮人さんがいた。

吉田さんは1980(昭和55)年、宮崎市に生まれた。家業は中華料理店。父親が、コンロからゴーッと炎が吹き出す調理場で、額に汗し、重い中華鍋を懸命に振る姿を見てきたことが、「働く人」を撮るというライフワークの原点になった。

ただし、滋賀大学を卒業した吉田さんがまず就いたのは、タイの大学での日本語教師だった。1年後に帰国し、京都市で小学校教師になった。やがて同僚教師の女性と結婚し、彼は現在2児の父。

写真家に転向したのは2010(平成22)年である。買ったばかりのカメラを手にインドに行き、自転車で数カ月旅した後、バングラデシュに渡って、写真を撮り続けた。 2012、2013年に日本写真芸術学会奨励賞、2014年に写真集「Brick Yard」出版、2015年にコニカミノルタ フォトプレミオ2014大賞、2016年にはNATIONAL GEOGRAPHIC写真賞2015最優秀賞、日経ナショナルジオグラフィック写真賞最優秀賞を受賞。

今年8月には、80歳の祖母と、それまで彼女を親身に介護し続けていながら、ふいに姿を消し、1年後に自死しているのが発見された23歳の従兄弟との、微笑ましかった日常を撮り溜めていた写真集「The Absence of Two」を発刊、注目を浴びた。 しかし、番組を観て知り、今回触れたくなったのは、彼の作品の話ではない。彼が30歳で教師を辞め、その後の人生を写真家として歩み直すことになった動機だ。

ある日、夫婦の何とはない会話の中で、妻・美和さんがこんなことを口にした。「ねえ、あなた、教員をこのまま続ける気?」。「そうなるんだろうなあ」と返した吉田さんに、美和さんが続けたという。「そうなんだぁ。… つまんないの」

理由を、彼女は番組で話した。「私が好きになった彼の良さを、もっと社会で活かしてほしいと思ってた。子供たちが自分の将来を考えるようになった時、父親の彼には、影響を与えられるような生き方をしていてほしかった」 だから彼女は、パートナーの背中を押したのだ、「(あなたが前から興味を持っていた)写真、やりなよ」と。

「教師」という安定した職場を捨て、30歳からプロ写真家を目指す ―― 本人の努力と、それを支える励まし、勇気。日本にいま必要なのは、そういう情熱かもしれない。