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あくび No.830

人間は一生に24万回あくびをする、という同じ数字をネットのあちこちで見た。しかし、それを誰が、いつ、どうやって数えたかという根拠・出所は確かめられなかった。曖昧な情報が拡散し、やがて事実化していくネット時代を、改めて怖いと思う。

ともあれ、漢字で「欠伸」と書くあくびは、枕草子にも載る動詞「欠(あく)ぶ」の名詞形。「欠」は口を大きく開けている様子を表す象形文字で、だから歌、歓、飲、歎、欲など漢字の旁「欠」の部首名はそのまま「あくび」と呼ばれる。ちなみに「欲」の「谷」は中国では穀物。穀物を食べたくて口を大きく開けるから「欲」なのだそうだ。

あくびは、肉体的・精神的な疲れが溜まってきたので身体を休めるように知らせる生理信号である、と思っていたら違った。むしろ「いま眠ってはいけない」と教える“警報”の意味があるらしい。緊張状態が続く会議中や高速道路の運転中についあくびが出るのは、気の緩みのせいではなく「危険接近、注意!」のアラームなのだ。

昔、大事な一手を指す前には必ずあくびをする将棋の名人がいたという。「あくびには、冷たい血液を脳に送り込んでクールダウンさせる効果があることを知っていたのではないか」と科学ジャーナリスト・北村昌陽氏。そう言われれば天才棋士・藤井聡太四段は、連勝記録が29で止まった日、対局の正念場で何度かあくびしていたそうだ。劣勢の彼はたぶん、無意識に、必死に脳をクールダウンしようとしていたのだろう。

さらに、あくびは伝染する。なぜ伝染するのか、原因はまだ明確には解明されていないが、グループ内の緊張感が緩んできた時、「いま敵に襲われると危険」という情報や認識を共有し合うための連鎖反応とみる考え方が定着しつつあるらしい。

そして面白いのは、あくびの伝染は「種」を超えることだ。よく言われるのは、人間のあくびが飼い犬にうつるという話。実験でも、飼い主があくびをすると飼い犬にうつる率は、飼い主以外がした場合の5倍に高まるそうだ。

まして人間同士ではいわんやをや。イタリアの国立認知科学研究所の実験によると、あくびがうつる確率は①親族 ②恋人 ③友人 ④知人 ⑤他人の順で高いという。

「だから、いまのあくびは退屈だからではなく、むしろ親しみの深さを示すバロメータなのだよ」と、会話の途中につい出てしまったあくびの言い訳を、友人・連れ合いにして顰蹙を買っても、筆者は受け売りなので、責任を負わない。悪しからず。

「止まる」大切さ No.831

自動車学校に通っていた若かりし頃、教官から「車にとって最も大事な機能は何か、分かるか? エンジン? 違う。ハンドル? 違う。ブレーキだよ。だって、ブレーキが効かない危険な車に、君は乗ることができるか?」と、いま思えば当然の話をされ、「なるほど」とやたら腑に落ち感心したことを、まだ覚えている。

車メーカーのCMはかつて「走り」や「燃費」の良さを訴えていた。それが最近は「プリクラッシュセーフティシステム」(トヨタ)、「エマージェンシーブレーキ」(日産)、「シティブレーキアクティブシステム」(ホンダ)など、安全に「止まる」ための自動ブレーキシステムの性能を競っている。高齢者ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えて起こす事故の多さ・怖さが、車の運転で最も大事なブレーキングを “キカイ頼り”にして本当に大丈夫なのかという一抹の不安を押し留める格好になっているようだ。

ともかくも、走るだけでなく、むしろ止まることのほうが大事というのは、車に限らず人の生き方に通じる哲学でもある。 経営の神様・松下幸之助氏が多く遺した名言、教訓の一つに「不況克服の心得十か条」がある。第一条/「不況またよし」と考える。第二条/原点に返って、志を堅持する。第三条/再点検して、自らの力を正しくつかむ。第四条/不撤退の覚悟で取り組む。第五条/旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る。第七条/人材育成に力を注ぐ。第八条/「責任は我にあり」の自覚を。第九条/打てば響く組織づくりを進める。第十条/日頃からなすべきをなしておく ――。

第六条を、わざと飛ばしたことに気付いていただけたなら、嬉しい。松下翁も、大事な十訓の一つにこう加えている。第六条/時には一服して待つ、と。そして「あせってはならない。無理や無茶をすると深みに嵌る。力を養おうと考え、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる」と「止まる」ことの大切さを説いた。

去年から施行された「山の日」が今年は金曜日なので、そのまま11日から実質的な夏休みに入る企業が多い。弊紙も16日まで、そのようにさせていただく。

酷暑のこの季節は、英気を養うため、いったん止まり ―― いや停まって、休むことが人間には大事だ。心をニュートラルに戻し、できればエンジンオイルの汚れとブレーキパッドの減り具合を点検し、休みが明けてからまた静かにアクセルを踏み直そう。

「ブルーオーシャン」 No.832

処暑を過ぎてなおこの暑さ。だからまだ「ブルーオーシャン」の話をしてよかろう。ただし石垣島とか西表島、まして時節柄のグアムの話ではない。テーマは「豆腐」だ。

年商200億円。豆腐業界のトップメーカー・相模屋食料(前橋市)の鳥越淳司社長が言う。「私が入社した当時、業界の多くの人は豆腐という伝統食品に対し、衰退を止めるのがせいぜいで、これ以上やりようがないと考えていた。ネガティブ思考で見るばかり。こんなもったいない話はない。私からすれば、豆腐市場はほとんど開拓が進んでいないブルーオーシャンに見えた」(「日経トップリーダー」2017年2月号)

鳥越氏は1973年生まれの43歳。早稲田大学を卒業後、雪印乳業に入社したが、相模屋食料・現会長の三女と結婚したのがきっかけで2002年同社に入社、04年専務に。05年、周囲の反対を押し切り、41億円を投じ最新鋭の第3工場を建設した。「品質を改良し、生産能力を大きく引き上げるには不可欠」と考えて。新技術を採り入れ賞味期限を延ばすことに成功したことも寄与し、業績が上向いた。07年に社長就任。

その後、鳥越氏が取り組んだのは新商品開発。そして2012年発売の「ザクとうふ」が大ヒットした。アニメ「機動戦士ガンダム」に登場するキャラクター「ザク」を模(かたど)った豆腐。2カ月で100万丁売れた。「なぜガンダムを?」という定番の質問に、鳥越氏が笑顔で応じる答えもいつも同じだ。「自分がガンダム好きで、欲しかったから」

その後も新商品開発が続く。オリーブオイルをかけて食べる女性向きの「ナチュラルとうふ」、もっちり食感が目新しい「焼いておいしい絹厚揚げ」、それまで業界になかった「木綿豆腐3個パック」商品、等々。それらは企画からパッケージデザインまで、鳥越氏一人が考える。「そのほうがスピードが早い。まだ権限移譲はしない」

最盛期に5万軒を数えた豆腐業界。現在は8000軒に減り、なお後継者難などから年間1000軒近く減っているとされる。しかし、鳥越氏は言う。「伝統食品の市場は超成熟市場。誰もが『レッドオーシャン』と思って進出してこない。だからこそ『ブルーオーシャン』に転じる可能性を秘めているのです」(「日経MJヒット塾」講演で)

鳥越氏は著書「『ザクとうふ』の哲学」(PHP研究所刊)「まえがき」の、冒頭の1行に書いている。「私は、白くて四角いものだけがとうふではないと思っています」

同じ勘違いをしていないか、私たちも自身の足元を見直してみる必要は、ないか。