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街路樹No.793

♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で/プラタナスの散る音に振り返る=はしだのりひことシューベルツ唄「風」 ♪月の青い夜は あなたと二人で歩こうよ/そよぐプラタナス/二つのくつ音=敏いとうとハッピー&ブルー唄「星降る街角」 ♪プラタナスの葉かげにネオンがこぼれる/おもいでがかえる並木通り=ロス・プリモス唄「たそがれの銀座」―― 昭和のヒット曲には「プラタナス」の歌詞が多く登場する。

さらに遡れば太平洋戦争突入直後に灰田勝彦が唄い、戦後はクラリネット奏者・木章治がスイング・ジャズにアレンジしてヒットした「鈴懸の道」の鈴懸は、プラタナスの和名だ。プラタナスの丸くてイガイガな実が、楽器の鈴に似ているとか、山伏が羽織る法衣・篠懸(すずかけ)に着いている房に似ていることから、そんな和名になったとされる。

ヨーロッパ原産で日本には明治時代に持ち込まれたプラタナスがそれほど親しまれているのは、戦後多くの都市で街路樹として植えられたからではないか。日本の気候風土に合い、成長が早いからだ。ソクラテスやプラトンなど古代ギリシャの哲学者がその木陰で弟子たちに講義した「学問の木」という好イメージも手伝っただろう。新宿御苑や静岡市の農業研究機関の庭に生きるプラタナスの古木は、当時の原木と伝えられる。

だから、国交省の調査によると、プラタナスは「街路樹・高木の部」では1967(昭和42)年までは人気ランキングのダントツ1位だった。

しかしその後は順位が年々下がり、2007(平成19)年には9位にまでランクが落ち込んでいる。いま多く植えられている街路樹は1.イチョウ 2.サクラ類 3.ケヤキ 4.ハナミズキ 5.トウカエデ 6.クスノキ 7.モミジバフウ 8.ナナカマドだそうだ。

プラタナスの人気が落ちた原因は、1.葉が大きく、落ち葉の掃除が面倒なこと 2.成長が早い分、毎年ちゃんと剪定をしないと強風や積雪などで倒れる危険性があること、などだそうだ。なるほど、1987(昭和62)年には8位から最近順位を上げているハナミズキなどは、毎年剪定する必要がなさそうな“省エネ街路樹”と言えそうだ。

「でもなぁ…」とも思う。「街路樹の剪定も、季節の風物詩なのに」と。弊社ビルが面する国道のプラタナスは先週、きれいさっぱり剪定されて冬支度を迎えた。

月めくりのカレンダーは、すでに2枚を残すだけ。私たちもこの1年を省み、さてどんな枝葉の無駄を伐り捨て、どんな可能性の幹を伸ばすか、剪定を始める時期だ。

ムネリンNo.794

米メジャーリーグWS(ワールドシリーズ)戦は、1勝3敗で劣勢だったシカゴ・カブスが、優勝に王手を掛けていたクリーブランド・インディアンスに3連勝し、108年ぶり3度目の優勝を果たした。今年は日米ともにプロ野球の終盤が面白い年だった。

そんな中で私たちが嬉しく思うのは、カブスのチームメイトから「ムーニー」、日本では「ムネリン」の名で愛される川﨑宗則内野手の存在だ。WS戦に出場できる25人には入れなかったが、毎季9月から選手枠が40人に拡大される「セプテンバーコールアップ」の1人として、ベンチ・ワークに活躍した。

「ムネリン」は、とにかくイチローの大ファンである。だから2011年オフに海外FAの権利を行使してメジャー移籍を表明、念願のマリナーズとマイナー契約を結んだ。イチローの背番号「51」の後の「52」は他選手が使っていたのでダメだったが、代わりに貰った背番号「61」に大喜びした。だって、後ろから読むと「イチロー」だから。

あれから5年。マリナーズを1年で出され、2年目以降はメジャーのブルージェイズとマイナーのバッファロー・バイソンズを行ったり来たりし、今季からカブスに移籍。「時にはいい結果を残せたこともあるが、自分でも『メジャーで通用している』なんて思ったことは一度もない」と自著「閃きを信じて」に書く。

それなのに、生存競争が熾烈な米野球界にあって、監督やチームメンバー、球団が彼を評価するのは、溌剌としたプレーに加え、ベンチでいつも大声を出し、周囲を巻き込みチームを盛り上げる「モチベーター」としても貴重な存在だからだ。

ベンチから自軍の打者に向かって叫ぶ。「おらおら、行ったらんかーい! 2塁打打ったれ、2塁打!」。それで本当に打者が2塁打を打とうものなら、「ほらほら、オレが言った通りだろうがーっ!」。試合前のロッカーミーティングで声掛けを指名されても「ガタガタ言わずに勝たんかい!」。全部、日本語で通す。それでも同僚選手が言ったそうだ、「言葉は分からないけど、お前の言いたいことは伝わったぞ」と。

「もう日本へ帰ってきたらどうか」と勧める人たちがいることも知っている。しかし「後になって『やっとけば良かった』なんて後悔したくない。もっと野球がうまくなりたいから」。いままでの日本人にはいなかったタイプの日本人……のように見えて、根っこはとても日本人らしい日本人ではなかろうか。ともかく、おめでとうムネリン。

サツマイモの季節No.795

NHK調査によれば、16~29歳女性が一番好きな野菜は「サツマイモ」だそうだ。本当はそれ以外の世代の女性もサツマイモが大好きなのだが、そう口にするのが恥ずかしいから黙っているのではないか、という勝手な憶測は憶測のままとどめておこう。

ともあれ、女性のサツマイモ好きは、生理学的に合理性があるらしい。女性は筋力が弱いため胃下垂・内臓下垂になりやすいうえ、周期的に多く分泌される黄体ホルモンの影響で腸の蠕動が弱まり、便秘になりやすい時期がある。そこでサツマイモのように植物繊維の多い食べ物を好んで摂取し、体調を整えようとする自然の摂理が働くというのだ。江戸時代には「花嫁の閑談さつま芋のこと」などという川柳も残るほどだ。

サツマイモは、原産地の南米ペルーから1590年代に中国を経て琉球→九州と伝わった。栽培の普及に力を入れたのは8代将軍・徳川吉宗だ。

1732(享保17)年の大飢饉で深刻な被害が出た中、サツマイモ作りに取り組んでいた薩摩では餓死者がほとんどいなかったことに注目した吉宗は、かねてからサツマイモ栽培を研究していた儒学者・青木昆陽の著書「蕃藷考(ばんしょこう)」を、庶民にも読めるよう仮名混じり文に書き改め、要点をまとめてその栽培を関東全域に広めた。これが1782(天明2)年の大飢饉など、その後の飢饉で多くの人々の命を救う成果につながった。

江戸で食文化が発展した寛政年間には、「大根百珍」「豆腐百珍」「卵百珍」「鯛百珍」など、同じ素材を使って100余種の料理を作る「百珍物」と呼ばれるメニュー本が出されてブームになった。そのシリーズの中には、123種ものメニューを収めた「甘藷百珍」も出版されたというだけでも、日本人の「サツマイモ好き」ぶりが分かろう。

昭和天皇もサツマイモがお好きだったらしい。戦後、地方の行幸先で、食糧難のため他になく出されたサツマイモを気に入られた陛下は、皇居に戻って料理番にご所望された。「陛下に皮付きのままお出しするわけにはいくまい」と料理番が皮を剥きお出ししたところ、陛下は「皮がおいしかったのに…」と呟かれたとの話も伝わる。

「石焼きィ~いも~」の声を最近、街で聞かなくなった。ならば、サツマイモをキッチンペーパーで厚めに包んで水に濡らし、電子レンジに入れて500Wで2分間。さらにそのまま今度は解凍モードで20分間 ―― ネットに載るそんな「甘い焼き(?)いも」づくりに挑戦してみてはいかがか。ちなみに、筆者は大いに満足した。

「リダンダンシー」No.796

「後ろから羽交い絞めにされた」「甚大な被害を被った」「布陣を敷いた」「成り行きを楽観視している」等々を、読んだだけでピンときた方は、鋭い。すべて重複表現である。前方から羽交い絞めなどできないし、陣を敷くから布陣。ほかに「頭をうなだれた」も、「うなだれる」は「項(うなじ)を垂れる」の省略表現なので、やはり重複である。

日本語の文章や会話には、冗長な表現が多い。「冗長」とは話や文章にムダや必要以上の重複が多いこと。中国・後漢時代の字書「説文解字」によると、「冗長」の「冗」の元字は「宂」で、「宀(家屋)」+「儿(人)」の組み合わせである。「農閑期でヒマになり、人が屋内に居る様子」を表わす。「冗」の付く単語は他にも「冗談」「冗費」「冗漫」「冗員」など、あまり良い意味合いは見当たらない。

しかし、コンピュータの世界では「冗長性」は極めて重要な要素である。企業規模が大きくなればなるほど、企業の心臓部であり神経網でもあるコンピュータとそのネットワークは、「冗長性」によって護られているとさえ言える。どういうことか?

稼働中のコンピュータ設備や回線が何らかの故障で停止した場合、瞬時に予備設備・回線に切り換え、トラブルに伴う影響を最小限に留める必要がある。そのためには本システムと同等の予備システムを常に準備しておくのが最も望ましく、そのことを「システムの冗長化」あるいは「冗長構成」と呼ぶ。同等の性能を持つ設備が並列に配置されたシステムの信頼性は、二倍ではなく二乗に向上するとされる。

もっと身近な例が、買い物をして貰ったレシートの「合計欄」である。「A720円 B380円 C510円」の3商品を買ったレシートの最後には必ず「合計1610円」とある。その合計欄は、あったほうが便利には違いないが、3商品の金額を足せば分かるのだから、無くても済むと言えば済む。しかし万一、2行目のB商品の金額がインク切れで印字がかすれ、見えなかったらどうなるか?

「合計」欄の1行があるからこそ、そこからA・C両商品分を差し引けばB商品の値段が分かる。そのようにデータの一部が壊れても判別できるよう、あえて付け加えられた無駄と言えば言える情報データ(=ビット)を「冗長ビット」と言い、仕組みの中にそうした余裕を持たせる考え方を「冗長性(リダンダンシー)」と呼ぶ。

「リダンダンシー」のない社会、そして会社は、むしろ危険と言うべきなのだ。