2015年9月のレーダー今週のレーダーへ

「ハラハラ」 No.735

酒類を製造販売する業界団体が、アルコール飲料のテレビCMなどに関する自主基準を改め、出演者の年齢を従来の20歳以上から25歳以上に引き上げるとともに、CMで「ゴクゴク」とか「グビグビ」といった効果音や、喉元をアップで映すのをやめる方針を決めた(「朝日新聞」1日付)。前者はともかく後者は「(効果音や喉元のアップは)アルコールを我慢している依存症患者の苦痛になるから」というのがその理由だそうだ。

他人を気遣う優しさは大切だ。しかし最近、必要以上に過敏に反応する自主規制が、世に広まり過ぎていないか。最たる風潮が、「○○ハラスメント」の大流行だ。

改めて言えば「ハラスメント」とは、「相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えたりする嫌がらせやイジメなどの行為」。日本では1989(平成元)年、上司から性的嫌がらせを受けた女性が起こした民事訴訟が話題になり、「セクシャル・ハラスメント」の言葉が同年の新語・流行語大賞になった。

以来、立場や権力を傘に着て行う「パワー・ハラスメント」や、出産を控えた女性に対する「マタニティ・ハラスメント」、未婚者への「マリッジ・ハラスメント」、介護疲れをした家族や施設職員による被介護者への「シルバー・ハラスメント」等々、社会的告発が続いた多くの陰湿なハラスメントは絶対に許せない。しかし――。

ネット上のいわゆる「ハラスメントまとめ」や、放送中のドラマ「エイジハラスメント」(テレビ朝日系列)が番組HPで視聴者から募った「新○○ハラスメント」から拾い集めると、▽カラオケ・ハラスメント▽スモーク(タバコ)ハラスメント▽スメル(匂い)ハラスメント▽テクノロジー(パソコンなどIT)ハラスメント▽ゆとり(世代)ハラスメントなど、出てくるは出てくるは、ざっと数えただけでも100余。

そこで産業カウンセラー・大野萌子氏は指摘する。「すぐ『ハラスメントだ』と声を上げる人たちには、自己愛が強く、打たれ弱いという特徴がある。そして、問題が起こった時は『自分のせい』よりも『他人のせい』ととらえがち。それがあまりにも顕著な場合には、毅然とした対応が周囲にも求められる」(「東洋経済オンライン」8月24日)

最も厄介なのは、物事をすぐ極大化して騒ぎ立てる「何でもハラスメント・ハラスメント」、略して「ハラハラ」ではないのか。それに、ビールだって「グビグビ」「ぷはーっ」と喉を鳴らして飲むから、たまらなくウマいのだ。

寄り道 No.736

「白、黒、抹茶、上がり、コーヒー、柚子、さくら」と聞けば、名物「青柳ういろう」のCMソングと分かるのは、名古屋周辺に住む昭和世代までだろうか。「上がり」は「漉し餡」のこと。今上天皇ご成婚の際に献上したことから、そう名付けられた。

その発売元「青柳総本家」のトレードマークが、小野道風の故事に由来する「柳に飛びつく蛙」の図案であることも地元では知られているが、では、描いたのは誰?

地元出身の洋画家・杉本健吉画伯である。吉川英治著「新・平家物語」の挿絵を担当して一躍注目を浴びることになった杉本氏だが、高卒後はデザイン会社で商業デザインを描いていた。中部電力の旧ロゴマーク、名鉄百貨店の旧ロゴマーク、名古屋市営地下鉄の旧ロゴマーク、名鉄電車や名鉄タクシー、市営地下鉄の車両のカラーデザイン等々、意外に多くの足跡が名古屋市民の日常生活の中に残されている。

その杉本画伯が晩年に手掛けた作品が、もう一つある。平成9年に竣工した名古屋能楽堂の「鏡板」である。 能楽堂の、舞台正面の羽目板には必ず「松」の絵が描かれている。能は本来、神が宿る松の木に向かって演じるものだからだ。しかし、松に向かえば客に背を向けて演じることになり、都合が悪い。そこで、客席の後に見えない松があり、それが舞台上の羽目板に鏡のように映っているものと見立てて演じる。だから「鏡板」なのだ。 その「鏡板」に描かれるのは「老松」であることも、能の世界での決まり事。ところが、建設時にその制作を杉本画伯に依頼した名古屋能楽堂は、出来上がってきた作品を見て仰天した。「老松」ではなく、新芽が初々しい「若松」が描かれていたからだ。

「老松でなければ演じられない」と能楽関係者は猛反発したが、杉本画伯は「若い名古屋には若松のほうが似合う」として描き直しに応じない。結局、「若松」とは別に、「老松」の制作を日本画家・松野英世画伯に依頼。奇数年は杉本画伯の「若松」、偶数年は松野画伯の「老松」と、交互に使うことで落着した。だから奇数年の今年、名古屋能楽堂の「鏡板」は、約80を数える全国の能楽堂でも例のない「若松」の絵なのだ。

―――。先日、所用で出掛けた愛知県美浜町内で「杉本美術館」の案内板を見かけ、予定外のハンドルを切った。その結果知ったのが冒頭の「白、黒、抹茶…」と杉本画伯との縁。そして……と、寄り道は、思わぬ発見・新知識に繋がったりするから、楽しい。

「頂上はゴールではない」 No.737

昨年9月に噴火した御嶽山の、入山が規制されている頂上付近に許可なく立ち入った会社員が先週7日、災害対策基本法違反の容疑で書類送検された。彼は趣味で「日本百名山」への登山を5年前から目指しており、62番目の登山として御嶽山に「どうしても登りたかった」のだそうだ。しかも登山後、登山情報サイトに、匿名とはいえ写真を70枚も投稿していたという。最近の四十過ぎた大人の、思考と行動の幼稚さに呆れる。

偶然だが翌8日の地元テレビの深夜番組に、世界では29人目だが日本人としては初の「14座サミッター」竹内洋岳(ひろたか)氏が出演していた。「14座サミッター」とは、エベレストはじめ標高8000mを超す地球上の14の高峰すべての登頂に成功した人のことだ。

子供時代から山登りが好きだった竹内氏は、1995年に20歳でネパール・中国国境のマカルーの登頂に成功。2006年に「プロ登山家」を宣言。その後も挑戦を続け、2012年にダウラギリを登るまで、18年かけて14座を征服した。 だが、「征服した」と表現されることを、ご本人は好まない。「征服という言葉には自然に対する人間の増長した気持ちが込められている。私はそんな気持ちで登っていません。だから、ただ『頂上に立った』とだけ書いてください」と竹内氏は、14座達成後のインタビューで話している。とても謙虚である。

謙虚だけど、同時に、一家言を持つ頑固者であることも、彼の著書を読むと知る。

▽私が「プロ登山家」と名乗ったのは、必ず14座を登りますという宣言です。もし今、自分の仕事に迷いがある人がいるなら、自分が何の「プロ」であるかを改めて意識してみてください。そこに「覚悟」と「誇り」が見えたら、きっと大丈夫です。

▽私は、頂上がゴールだなんて考えたことは、たったの一度もありません。頂上は、あくまで一つの通過点に過ぎないのです。登山とは、山を登って、頂上を通過して、無事に戻ってくる。そこまでやり切って、初めて成功したと言えるのです。

▽高所で低酸素に順応したというのは、能力がシフトしただけで、能力の幅が広がったわけでは決してありません。人は己の能力を過信しがちですが、何かを得るというのは、気付かぬうちに何かを失っている可能性もまたあるんですね。 (=抜粋・要約)

彼の著書「頂きへ、そしてその先へ」は、先の「43歳会社員」だけでなく、日常の私たちへの示唆にも富む。少しずつ気配深まる秋の、読書の一冊に加えてはいかがか。

習慣力 No.738

日本時間20日に行われたラグビーW杯の初戦で、世界ランク13位の日本が同3位で優勝候補の南アフリカに逆転勝ちしたことを、「まぐれ」とは思わない。

そりゃあ日本代表の31人中10人を外国出身選手が占めている実態は正直言って寂しいが、それで大会規定を満たしているのだから全然OKだし、日本ラグビーの水準が体力的にも技術的にもここまで強くなってきたことを、とても嬉しく思う。

しかし残念ながら23日第2戦のスコットランド戦では、日本は10-45で敗れた。前半は健闘したが、後半早々に主戦力アマナキ・レレイ・マフィ選手が負傷退場。また南ア戦で1トライ、2ゴール、5ペナルティ・ゴールと大活躍した五郎丸歩選手もペナルティ・キックを2度失敗するなど、力を充分発揮できなかった。英紙「ガーディアン」はスコットランドの圧勝・日本の完敗を「世界のラグビー界で一定の秩序が回復された」と憎たらしく評価したが、確かに実力差を謙虚に受け止めねばなるまい。

ただ今回、両試合を通して話題になったのが、五郎丸選手がボールをキックする際の独得の動きだ。①ボールを2回まわしてセットし ②後ろに3歩、左に2歩下がり ③中腰になり、両手人差し指を合わせて突き出し ④5歩ステップし、4歩助走して、蹴る――連休中のテレビで何度も観た。4年前から取り組み、今春やっと完成した「平常心で実力を100%発揮するためのプレ・パフォーマンス・ルーティン」だそうだ。

大リーグのイチロー選手はご存知の通り、打席でバットを構え終わるまでに毎回必ず17もの動作をする。女子棒高跳び(屋外)世界記録保持者のエレーナ・イシンバエワ選手(ロシア)は、跳躍前に頭からタオルを被って集中力を高めた後、走り出す直前、助走路でいつも同じ言葉をつぶやく。「Do it, do it, just do it. Just be confident, I'm OK.」(やれる、やれる、きっとやれる。さあ自信をもって。私はやりとげられる)。

P.F.ドラッカー氏は著書「プロフェッショナルの条件」に書いている。「私は、『成果を挙げる人間のタイプ』などというものは存在しないことをかなり前に気付いていた。私が知っている成果を上げる人たちは、その気性や能力、仕事やその方法、性格や知識や関心において千差万別だった。ただ、成果を上げる人たちに共通しているのは、自分の能力や存在を成果に結びつけるうえで必要とされる“習慣的な力”である」

「習慣」をパワーに昇華できるほど確かな意志を持つ ―― 私たちもそこから始めたい。