2015年7月のレーダー今週のレーダーへ

「セレンディピティ」 No.727

和歌山電鉄貴志川線「貴志」駅長が亡くなった。同社・小嶋光信社長が葬儀委員長を務めた6月28日の社葬には、和歌山県知事や関係市長ほか鉄道利用客・市民ら3000人が参列、見送った。それほど多くに惜しまれて逝った駅長の名は「たま」、三毛猫の。

2003年、同線を運営していた南海電鉄が、赤字拡大を理由に路線廃止を決定。その後、岡山県で公共交通事業を展開する両備グループが経営を引き継ぐことになり「和歌山電鐡」を設立。ただ、同時に行われることになった周辺土地の整備に伴い、これまで駅付近にあった「たま」ほか3匹の猫小屋は、撤去されることになっていた。

新生・和歌山電鐡の始発出発式が行われた2006年4月1日。イベントが終わり本社へ帰ろうとした小嶋社長を、駆け寄ってきた1人の女性が引き止めた。「猫を、駅舎で飼わせてもらえませんか」 飼い主で売店のSさんだった。熱心さに押されて「たま」たちの顔を見た小嶋社長は、しばらく考えた後、Sさんに言った。「うちも会社なので、タダで置くわけにはいきません。仕事をしてもらいますよ」 「仕事?」 「ええ。駅長を」 三毛猫「たま」を見てそう即断した小嶋社長の、頭の柔らかさがすごい。

銀行の与信担当として企業の経営を側面から見てきた小嶋社長は、義父から運輸会社の再建を頼まれて常務に就任。「素人に何ができるか」と冷ややかな従業員たちの前で自ら大型トラックを運転し、信頼と協力を取り付けて会社再建を成功させた。

小嶋氏は孔子の言葉「忠恕(ちゅうじょ)」を座右の銘とし、経営理念にも据える。「忠」は良心とも言うべき誠実な心、「恕」は「心の如し」。つまり「良心に従い、自分のことのように他人を思いやる」の意味だ。「忠恕」の優しい心に包まれ天寿を全うした「たま」は、代わりに11億円もの経済効果をもたらす、まさに“招き猫”になった。

「トップの仕事というのは、景気の悪い時に社員の仕事を作ることです。両備グループの社員数が当初の40人から現在8500人に増えたのは、景気が悪くなればなるほど事業を作ってきたからです」「セレンディピティと言うんですが、大事なのは、目の前に来た好機を察知し、ちゃんと活かせるかどうか。たまちゃんを救ったら、結果としてたまちゃんに救われた ―― そういうたまたまの話です」と講演で小嶋社長。

「セレンディピティ」 ―― いわゆる“棚ボタ”でなく「一生懸命努力した結果、偶然得られる幸運」のことだ。今年も下半期。気持ちを新たに、さあ、がんばろう。

デジャヴ No.728

「私はふと前にも、こんな風に歩いていたことがあったと感じた。異境の不安な黎明を歩くという情況は、私にとって初めての経験のはずであるが、今私の感じている情況は未知ではない。私は出来るだけ過去に類似の情況を探してみたが、無駄であった。それは記憶の外側の、紙一重のところまで来ていながら、不明の原因によって、中に入り得ないようであった。」 作家・大岡昇平は、自身のフィリピンでの戦争体験を基に、代表作「野火」で「デジャヴ」を体感した際の不安な思いを綴った。

デジャヴ ―― 初めて訪れた土地なのに、ふと、前にもこの場所に来たことがあるような気がしたり、何かをしている最中に、以前もまったく同じ状況・環境の中で同じことをしていたように思ったりする不思議な錯覚で、日本語では「既視感」。フランスの心理学者エミール・ブラワックが1917年、論文の中で提唱した。

以来、多くの研究者が、なぜそんな感覚が起きるかの原因解明に取り組んできた。が、「人間の脳が、極めて似ている2つの状況をうまく区別できなくなった時に起こる、一種の記憶障害」(ノーベル生理学・医学賞受賞の利根川進博士)とか、「脳が異常に休息している時、何かの原因で、過去の似た記憶と結びつけられて起こる統覚機能の誤作動」(クラーク大学ウィリアム・バーンハイム教授)など、実に40以上の説が発表されてきたにもかかわらず、明確な裏付けのある説はまだ確立されていない。

ただ、必ずしも特異な体質を持つ人だけに起こる感覚ではないことは分かっている。京都大学大学院・楠見孝教授(認知心理学)の研究によれば、「場所」に関するデジャヴは63%、「人」「出来事」に関するそれは35%、どちらかの体験がある人は72%に及ぶ。その意味ではさほど珍しくない「人間あるある」なのだ。ただし。デジャヴが起こりやすいのは15~25歳で、以降は年齢を重ねるにつれ、デジャヴを感じる頻度が減って来るという。「なるほど、だから最近、体感しなくなったのかと」と筆者は自分に照らして合点したが、諸兄は?……と聞くのは遠慮しておこうか。でも――。

安保関連法案改正をめぐる最近の国会情勢を見ていると、昔口ずさんだこの歌の歌い出しを思い出す人々も少なくないのではあるまいか。「♪この道は、いつか来た道。ああ そうだよ……」(北原白秋作詞・山田耕筰作曲「この道」)。道行く先に「野火」が広がる風景を、つい浮かべる先輩たちの「既視感」を、決して疎かにしてはなるまい。

とかくメダカは… No.729

和名で「メダカ」という名の魚は、いま日本にはいない。

メダカは古くから日本の小川や池に棲み、江戸時代には一般家庭でもペットとして飼われるなど日本人に親しまれてきた魚だ。しかし近年の研究の結果、その種は、かなり明確な違いをもって南日本集団と北日本集団に別れることが分かった。そこで南日本集団のそれを「ミナミメダカ」、北日本集団のは「キタノメダカ」と呼ぶことに、2012年からなった。それに伴い、従来の「メダカ」という魚名は、なくなってしまった。環境省から現在「絶滅危惧Ⅱ種」の指定を受けているのは「ミナミメダカ」のほうだ。

ともあれ、メダカは可愛い。だから、ふと自分も飼ってみたくなる。熱帯魚ほど管理が難しくなさそうだというので、小さな水槽とエアーポンプ、濾過器を用意し、トライする。が、結局失敗し、庭の隅に小さな墓を作ることになった経験が筆者もある。

メダカは本来、意外に強い魚。だから、発泡スチロールのような不透明容器を、陽が当たる屋外に置き、水もたまに換える程度という、ほとんど放置状態でも充分育つ。それなのに、透明な容器で外から丸見えにしたり、濾過器でバクテリアやプランクトンを除去したり、エアーポンプで水流まで作るなど、まるで「熱帯魚扱い」して飼ったりするから、ストレスを溜めた彼らが早死にするのは当然なのだと、後で知った。

メダカは、群れて泳ぐ。捕食者に遭遇した際、1匹だけでいるより群れでいたほうが、誰かが捕まっても他は助かる可能性が高いからだ。「しかも、逃げ切れないと判断した時は、群れの1匹がわざと捕まり、仲間を助ける習性がある」と、名前は忘れたが著名な誰かが最近テレビで喋っていた。「ほほう」と感心し、でも念のため複数の専門家に取材してみたら、「そんな話、聞いたことがない」そうだ。なーんだ、である。

1970年代のテレビ映画「プレイガール」に主演した歌手・沢たまきが、ウイスキーのテレビCMに起用されて囁いたセリフを覚えている。「とかくメダカは群れたがる、か」 沢独得のハスキーボイスに男たちはゾクッと来たが、それはさておき、「とかくメダカは…」の言葉は、作家・平林たい子が、かつて文壇でみられたという派閥的状況をそう揶揄したのが出処。転じて、社内の派閥で多数派に押され、不遇を託つ羽目になった少数派サラリーマンたちが、鬱憤晴らしの酒席で言葉を借りてそう言ったりした。

多数派が強引に事を推し進めつつある国政の現況に、同じ言葉を口にしたくなった。

「基準」 No.730

2005年に開催された愛知万博は、1988年の立案当初、主会場は名古屋からも程近い瀬戸市海上(かいしょ)地区に広がる約2000haの自然豊かな里山、通称「海上の森」を潰して開かれる計画だった。閉幕後は跡地を再整備し、2500戸、7500人が住む大規模ニュータウンに開発して売り出す――周辺を含む土地所有者の多くが地元有力者だったことから、そんな“影の思惑”も噂されていた。

しかし、環境保護団体を中心に反対が広がる中、1999年に「海上の森」で絶滅危惧種「オオタカ」の営巣が確認されたのに続き、翌年にはBIE(博覧会国際事務局)が「愛知万博は自然破壊につながる大規模開発の隠れミノになっている」と批判した文書の存在を地元紙がすっぱ抜いて公になったことから、計画は大幅に変更された。 その「海上の森」の中に、通称「大正池」がある。防砂堰を造った際に出来た、さほど大きくない人工池だが、周りを木々に囲まれた池の中に、水没して立ち枯れた木が十数本あり、鏡のような水面に映っている。ミニチュア版だけど美しくて幽玄なその風景が、長野県・上高地の大正池に似ていることから、そう呼ばれて親しまれている。

万博計画が浮上する何年も前に数度行ったっきりの「大正池」を、先の連休中ふと思い出し、出掛けた。昔より樹木が成長し一段と生い茂った気がする森の中を小一時間進んだ先に、池は、そして池の中の立ち枯れた木々は……昔の姿のまま、佇んでいた。 もしあの時、当初計画通りに「海上の森」が潰されていたら、もし「利権」絡みの噂が本当で大規模な開発計画が強行されていたら、後世同じ地を訪れた多くの人々の大切な思い出や心の安らぎもまた、跡形もなく破壊されていたに違いあるまい。

「国が、たった2500億円も出せなかったのかっていう不満はある。みな『高い』『高い』って言うけど、何を基準に『高い』って言うんだね」と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長・森喜朗元首相は、新国立競技場の建設計画が白紙に戻された不満をぶちまけた。国民は逆に、過去の五輪史上ケタ外れに高額な競技場を建設することに、森さんがなぜそこまで拘るのか、その真意を知りたい。

こうした国家的プロジェクトの推進時には、えてして裏側で「巨大利権」をめぐる様々な蠢きがあるものらしいと、確証はないけれど多くの国民は思っている。庶民感覚を「基準」にした政治・行政を、これからもきっちり監視していかねばなるまい。

濡れ衣 No.730

▽体長6.5m、体重6tのシャチがプールでジャンプし、大量の水しぶきを観客席に浴びせる=鴨川シーワールド ▽シロイルカなどのジャンプに加え、水鉄砲を持った仕掛け人が入場客に水を掛ける=横浜八景島シーパラダイス ▽お馴染みのキャラクターたちが踊りながら観客に放水する=東京ディズニーランド ―― 今年の夏の遊園地は、観客を巻き込んだ「びしょ濡れアトラクション」が大流行。全国30余の遊園地で同様のイベントが繰り広げられるそうだから、日本はなんとも平和な国である。

奈良時代、筑前守に任じられた佐野近世(ちかよ)は、妻と娘・春姫とともに博多に赴任したが、間もなく妻が病死。周囲の勧めもあって迎えた後妻は、春姫の美しさを妬み、姫が地元の漁師の釣り衣をたびたび盗んで困るというウソを、近世に伝えた。ある夜、春姫が濡れた衣を体に掛けて眠っているのを見た近世は激怒し、斬り捨てた。しかしその衣は、後妻が、姫が寝入ったのを見届けてから掛けたものだった。

しばらく後、春姫の亡霊が近世の枕元に立ち、泣いて無実を訴えた。自身の迂闊さを悟った近世は、出家し、姫を弔う碑を建てた ―― 「濡れ衣」という言葉の、いくつかある語源の中の一つだ。福岡市博多区・石堂橋のたもとに、その「濡衣塚」はある。

「濡れ衣」は現代社会でも起こる。とくに話題になるのは、痴漢などの性犯罪事犯。日本は「疑わしきは罰せず」という「推定無罪」の立場をとる法治国家なのに、こと性犯罪に関しては、犯罪事実がなかったことを被疑者自身が立証しない限り、起訴され罰せられる「推定有罪」の矛盾が罷り通っている。事実がないことを立証する ―― 不可能に近い至難なことだから、それは「悪魔の証明」と呼ばれる。

かつて米国は「大量破壊兵器を所有している」としてイラクに軍を派遣し、戦争行為に及んだ。米国に同調した日本も、非戦闘地域での国土復興という名目ながら自衛隊を海外派遣した。しかし結局、大量破壊兵器はイラクのどこからも見つからなかった。

昨年5月の衆院予算委員会。集団的自衛権をめぐる審議で、民主党・岡田委員から「当時の日本は、誤った情報で判断したのではないか」と質(ただ)された安倍首相は、こう答えた。「大量破壊兵器がないことを証明できるチャンスがあったのに、それを証明しなかったのはイラクです」 まるで「悪魔の証明」の論理である。

安保関連法案の審議が参議院に移った。「良識の府」の、「良識」が問われている。