2015年3月のレーダー今週のレーダーへ

ジャンケン考No.710

いい年のオッサン3人なのに、時々会って昼ご飯を一緒にする中学の同級生がいる。小一時間後、「そろそろお開きにするか」と勘定を払う段になって、毎回行う“おふざけイベント”がある。A「今日はオレが払うよ」 B「いや前回もお前だったから、今日はオレ」 C「いやいや、今日はオレが」 A・B「あっそう? じゃあ、頼むわ」 C「えっ?」というお笑い芸人・ダチョウ倶楽部のネタではない。他愛なさは同じでも周りにバレると恥ずかしいから3人が小声で決行するのは、ジャンケンである。

芳沢光雄・桜美林大学教授(数学)の研究によると、延べ1万1567回に及ぶジャンケンの実験で最初に出す確率は「グー」35%、「パー」33%、「チョキ」32%とか。つまり「グー」が出易く「チョキ」は出にくいから「パー」を出すと勝ち易い――という偶然知ったデータを密かに実践し、勝率を稼いでいる自分をセコイと自白する。

「ジャンケン」は中国から伝わった数を言い当てる「数拳(すうけん)」など古い拳遊びが起源だが、現在のような「グー・チョキ・パー」の強弱関係で成り立つ「三すくみ」のゲームスタイルが日本で確立したのは江戸末期~明治初期らしく、意外に新しい。

そうした日本のジャンケンの裏側にある「三すくみ」ルールについて、ウィーン大学のセップ・リンハルト教授(日本学)は、「上下関係だけでなく相互の依存もまた重視する力の構造でありバランス感覚で、日本独得の考え方」(著書「拳の文化史」)と指摘。また児童文学者・加古里子氏は「上下(関係)や優劣に拘泥し、白黒をはっきりさせ、敵か味方かで処理しようとする大人に対して、子供たちが、勝者も敗者もない状態や、常に勇者であり続けたり劣者にとどまるのでなく、次回には立場を変転し得る点に面白みを感じる」と著書「伝承遊び考 じゃんけん遊び考」に綴る(要約)。

欧米で物事を決める際よく用いられるのは「コイン・トス」。勝者・敗者をたった一度の勝負で決めてしまう二者択一で、そこには「あいこ」などと一時休戦の時間的・精神的余裕を設ける考え方はない。さらにジャンケンを、欧米式のコイン・トスと比べた場合の最大の違いは「先に手を出したほうが不利になる」ことだ。

他国の紛争に介入してすぐ爆弾を落としたがる米国と、専守防衛を貫いてきた日本。「コイン・トス文化」と「ジャンケン文化」の違いが、そんなところにも現れているのだろうか。最近の、日本的文化の良さを逸脱しようとする動きが招く未来を憂慮する。

錯視No.711

ネット時代は、思わぬことが突然、世界的な話題になったりするものだ。ご存知ない方はまず「青と黒のドレス」でネット検索していただいたほうが話は早い。

ある英国の母親が、娘の結婚式で着るために「青と黒」の縞模様のドレスを買い、スマホのカメラで撮って娘にメールした。すると「『白と金』は派手すぎない?」と返事が来て驚いた。「色は『青と黒』だよ」「ウソぉ、どう見ても『白と金』じゃない」「いえ、本当に『青と黒』なの」という実際あったやり取りをネットに上げたところ、「たしかに『白と金』だ」× 「いや『青と黒』だよ」論争が一気に世界中に広がったのだ。

どちらかの配色に見える人は目に異常がある、というわけではない。日本のテレビ局の調査では100人中72%が「青と黒」、28%が「白と金」に見えていたが、その両方が正しい。つまり色の見え方は、人によって違う場合もあり得るのだとか。

「今回の場合、服が明るい光の中にあると認識した人は『青と黒』に、影の中にあると認識した人は『白と金』に見える。周囲の光や色とのバランスで脳が実際とは違う色に勘違いする『錯視』という現象です」と北岡明佳・立命館大学教授(心理学)。

「錯視」の中でも今回のような場合は「色の恒常性」に因るとされる。人間は物体の色をそのまま認識しているわけではない。夕焼けの中では物体は全体に赤っぽく映るが、実際には青い物は青く、緑色の物は緑色に見えるように、脳が色補正を掛けて本来の色に認識しようとする。ただし認識や補正の度合いには個人差があるため、今回のように「青と黒」派×「白と金」派に分かれることがあるのだとか。

しかし ―― と今回の話題に驚きながらも、しばらくしてから納得した。脳が無意識に補正を掛けて見てしまうことなんて、私たちにはむしろ“得意技”だ。だって例えば、誰々は家庭環境が複雑だからとか、シングルマザーだからとか、金持ちだから、貧乏だから、女だから、男だから、等々、他人を勝手に自分の経験や価値観だけに照らして判断し、「色眼鏡」で見て錯視しているなんて、日常茶飯事ではないのか。

ネットで誰かが書き込んでいた“つぶやき”に、脳天をガツンとやられた。「『偏見』という言葉は、ある対象に関して偏った見方をするという意味で使われるが、実は、ある対象の偏った部分だけを見ているということでもあるのではないか」

自分の、とくに「人を見る眼」を、一度疑ってみるべきかも知れない。

人望No.712

父・大塚勝久会長と娘・久美子社長が経営権を巡って対立している大塚家具。27日に開催される注目の株主総会で、議決権ベースで2.76%の株式を保有(昨年末)する従業員持ち株会としては、互いに取締役退任を求めている久美子社長の会社提案にも勝久会長の株主提案にも賛否の議決権を行使せず、投票したい従業員株主はその旨を理事会に書面で郵送のうえ自主投票にする方針であることが分かった。

小紙ごときが口を挟んだり、仮に一方の肩を持ったところで何ら影響がありそうには思えないから触れると、久美子社長が「日経ビジネス」誌上で「『経営権争い』と言われるが、経営権というのは『権限』であって『権利』ではない。そこを理解するのがなかなか難しい」と話していたのは、正しい認識と思う。

結局、今回の件を通して問われているのは、リーダーの「人望」だろう。経営コンサルタント新将命は「後継者や右腕になる人物を選ぶ際、社内での評判をチェックすることも多いが、その場合注意を要するのは、評判の良さが『人望』から来るものか、それとも『人気』から来るものかという点だ。指導者に求められるのは『人気』ではなく『人望』だ」と日本経営合理化協会のネット・コラムで指摘する。

「人望とは、“この人なら”と思わせること」と、ある逸話を著書「『人望力』の条件」に書くのは歴史小説家・童門冬二氏。将軍・徳川秀忠に仕える老中・土井利勝は、タバコ嫌いの秀忠から「城内禁煙」を厳守するように命じられていた。しかし、喫煙をなかなか止められないのは今も昔も同じ。数人がある日ある部屋で隠れ飲みをしていたところ突然、利勝が入ってきた。武士たちは慌ててタバコの火を消し煙を払ったが、時すでに遅し。当然怒鳴り叱られるものと覚悟した彼らに、利勝はニヤリと笑って言った。「うまいか? わしにも一服くれ」 恐る恐る差し出されたタバコを吸い終わった利勝は、「ああうまかった。さ、仕事に戻ろうか」とだけ言い、立ち去った。

武士たちにお咎めはなし。しかも、利勝は後刻、将軍にこう提案までしたという。「タバコ好きにタバコを吸うなというのは酷。城内に喫煙所を作り、ある時間帯だけお認めになってはいかがでしょう」 秀忠も利勝の進言を素直に受け入れたそうだ。

「人は『知』と『情』の存在。『何をやるか』『何のためにやるか』の知的動機だけで人は動かない。『誰のためにやるか』が不可欠。それが『人望』だ」と童門氏は結ぶ。

「蛍の光」No.713

♪蛍の光 窓の雪/書読む月日 重ねつつ/何時しか年も すぎの戸を/開けてぞ今朝は 別れ行く―― 唱歌「蛍の光」を、聴いたり、時には歌ったりする季節だ。

その本題に入る前にいきなり余談で恐縮だが、歌詞中の「すぎの戸」って何かご存知だろうか。歳月が「過ぎる」ことと学舎の「杉(板)の戸」を開けて卒業して行くという意味の掛け言葉であることを筆者が知ったのは、かなり大人になってからだ。諸兄は?

ともあれ「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡「Auld Lang Syne(オールド ラング サイン)」(邦題「久しき昔」)。原曲は別れの歌ではなく、「友情の盃をもう一度交わそう。古き良き日々のために」と、古い友人を迎えて酒を飲みながら昔を懐かしむ歌だ。

日本に伝わったのは明治初期。その後明治14年、小学唱歌集を編纂するに際し、東京師範学校教諭として和文教育に携わった国学者・稲垣千穎が作詞した。

「蛍の光」以外にも「故郷の空」や「仰げば尊し」(原曲「卒業の歌」)など、遡るとスコットランド民謡に発する歌が日本には多い。理由がある。メロディが、「ドレミファソラシド」の内の「ファ」と「シ」、つまり「四(よん)番」「七(なな)番」の音を抜いた「ヨナ抜き」の5音階で構成されている共通点があり、日本人の耳に聴きやすく、歌いやすいからだ。唱歌に限らず千昌夫「北国の春」、渥美二郎「夢追い酒」、谷村新司「昴」、坂本九「上を向いて歩こう」ほか、日本には「ヨナ抜き」音階のヒット曲が多い。

その「蛍の光」を、いまこの季節に限らず年柄年中聴いている、という方もおられよう。例えばパチンコ屋などで、閉店時刻を知らせる定番の曲として。しかし――。 あの曲は「蛍の光」ではない。「別れのワルツ」という別の曲なのだ、メロディは同じでも。メロディは同じ? そう、リズムが違うのだ。「蛍の光」は4拍子、「別れのワルツ」はワルツだから3拍子。この違いを知ったのも、筆者はやはり最近だった。

さらに一点。♪筑紫の極み 陸の奥/海山遠く 隔つとも/その真心は 隔て無く/一つに尽くせ 国の為 ♪千島の奥も 沖縄も/八洲の内の 護りなり/至らん国に 勲しく/努めよ我が兄 恙無く――。現在は1番、2番しか教わらないが、ちゃんとある「蛍の光」の3番、4番の歌詞である。「一つに尽くせ 国の為」「千島の奥も 沖縄も/八洲の内の 護りなり」…… 国会答弁で自衛隊を「わが軍」と口走った安倍さんが、軍靴の音が聞こえて来そうな歌詞の復活を言い出さないよう、厳しく監視していかなければなるまい。