2015年2月のレーダー今週のレーダーへ

失敗に学ぶ文化をNo.706

民事再生法の適用を申請した格安航空会社「スカイマーク」は、大きな失敗を犯して経営破綻に追い込まれたとされる。第1は、国際線への参入をめざし、エアバス社の巨大旅客機「A380」6機の導入を計画したこと。第2は、従来機をボーイング社「B737」からエアバス社「A330」に変えたことだ。前者では、支払いが滞ったため4機の購入を断念、830億円の違約金を求められ、後者では、機種変更に伴う燃料費や整備費の負担増が経営を圧迫し、業績悪化を招いた。

失敗の背景には、IT業界で名を馳せ、2004年に同社の経営を引き継いだ西久保愼一前社長の存在が大きかったと指摘する向きがある。西久保氏は就任後、IT業界と同様の徹底した効率化、コスト削減、成果主義の経営手法を持ち込み、一時は収益が大幅に改善して注目された。しかし、巨大旅客機の導入で他社との差別化を図ろうとした目論見が、為替相場の読み違いもあって裏目に出たといえよう。

「事業は大体において失敗する。それを前提にして改善に取り組むべきだ」とは「ユニクロ」社長・柳井正氏の言葉だ。「失敗は誰にとっても嫌なもの。突きつけられた結果から目を逸らし、蓋をして葬り去りたい気持ちにもなろう。しかし、蓋をしたら最後、必ず同じ失敗を繰り返す。失敗には次の成功につながる成功の芽が潜んでいる。失敗の経験は身につく学習効果として財産になる」と綴る柳井氏の著書「一勝九敗」には、「失敗」の文字を使った小見出しが6本も立てられている。

では組織は「失敗」とどう向き合えばよいのか ―― 米経済誌「ハーバード・ビジネス・レビュー」のグレッチェン・ガベット副編集長は言う。「仕事には複数の同僚・チーム、不具合のあるテクノロジーなど不確実要素が絡み、責任の所在を特定するのが難しい。したがってマネージャーは、責任の曖昧さをもたらす要素を極力取り除き、組織の中に、安心して失敗できる環境、失敗から学ぼうと安心して思えるような文化を作ることが大切だ」(「ダイヤモンドオンライン」2014年9月26日付)

ひたすら効率化を求め、経営体力に見合わない過大投資を計った末のスカイマークの経営破綻。他社の、成功例ばかりでなく失敗例からも学ぼうとする姿勢も大事だろう。「自分の責任を認める意思が強い人は、失敗からより多くを学べる」とも綴るガベット氏の言葉の、まず前段だけでも聞かせたい人が、遠くにも近くにも少なくなさそうだ。

早春賦No.707

冬が、まだ行きつ戻りつしている。「まさに“春は名のみの…”だよね」と後輩の30代に話し掛けたのは、「“風の寒さよ”ですか」と後に続く歌詞の常套の返事を期待したからだが、「?」と怪訝な顔をされて当てが外れた。清冽な文語体で綴られた唱歌「早春賦」の美しい歌詞は、どうやら死語になりつつあるらしい。

「早春賦」の作詞は吉丸一昌。立春過ぎて間もない今頃の季節を詠んだ歌、と解釈するのは間違いであることは以前本欄に書いた。東京音楽学校教授だった吉丸が長野県立大町中学校(現大町高校)の校歌づくりを頼まれ当地を訪れた際、穂高連山の雪が解け始めているのを見て詠んだそうだから、実際はもっと遅い3~4月の情景らしい。

作曲は中田章。「夏の思い出」や「ちいさい秋見つけた」「雪の降る街を」などで知られる作曲家・中田喜直の父である。その喜直はある時、「あなたは夏・秋・冬と季節の名曲を作った。それなのに春の曲はなぜ作らないのか」と聞かれ、こう答えたそうだ。「私には、父・章の『早春賦』を超える春の歌を作ることはできません」

2007年制作のドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌 ~ Diva(ディーヴァ) 早春賦を歌う」で、インドネシアのスマトラ島に住む11歳の少女ディーヴァさんが異国の歌「早春賦」を歌っている。2004年12月、死者23万人を出したスマトラ沖地震で妹を失い、自身も九死に一生を得た彼女に、この歌を教えたのは祖母のサクラさんだ。

サクラさんは太平洋戦争末期、インドネシア・アチェ人の母エマさんと日本人の父との間に生まれた。その日本人は池尻昌言さん。昭和12年に招集され、北支、仏印を転戦後、18年にスマトラ島で現地除隊し、国策会社のアチェ支店を立ち上げた。その後現地のエマさんと結婚してサクラさんが生まれた。そのサクラさんに父・池尻さんが「早春賦」を教えたのだが、池尻さんは、実は作詞者・吉丸一昌の三男だった。一つの歌に思いがけない運命が宿っていることを、ネットサーフィンしていて知った。

唱歌「早春賦」の故郷・長野県安曇野地区は盆地である。周りを囲む山々の大天井岳~蝶ケ岳を結ぶ稜線上から、昨年9月27日に噴火した御嶽山が望める。不明者の捜索が続いていた翌月15日に初冠雪、翌日から捜索が中止された。頂上付近にはまだ7名の不明者が埋もれ、一日も早い捜索再開を待っている。「胸の思いを いかにせよとの この頃か」と歌う三番の歌詞が、一層胸に響く今年の春待ち歌「早春賦」である。

身勝手No.708

朝、マンションが多い街の路上にゴミが散乱している光景を目にし、眉をひそめることがある。ゴミ置き場から引っ張り出した袋を突きエサを漁ったカラスの仕業だ。

真っ黒な容姿が不気味なうえ、行儀が悪く、啼き声もうるさい ―― というのでカラスは現代では嫌われ者。しかし、かつては人々の扱いも違っていた。東征する神武天皇を道案内したとされる三本足の「八咫(やた)カラス」は「導きの神」として信仰の対象だったし、東京・府中市「大国魂神社」の祭礼では、五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの効能があるとして、カラスが描かれた団扇を飾る習わしが現在も残る。詩人・野口雨情も、ねぐらに帰るカラスの姿を優しいまなざしでとらえ、童謡「七つの子」を作詞した ―― 等々、少なくとも日本ではカラスは元来、親しみを持って接せられる存在だった。

同じように、昔は親しまれていたのにいつの間にか嫌われ者になってしまった「黒い生き物」がもう1つある。ゴキブリである。やはり野口雨情作詞の童謡「こがねむし」をご存知だろう。実は雨情が生まれた茨城県地方では昔、ゴキブリのことを「黄金虫」とも呼び、嫌うどころかむしろ歓待していたとの説がある。なぜなら、ゴキブリが出るような家は、食べ物が豊富で、住環境も暖かく住みやすい、裕福な家であることの証拠になるから。だから「ゴキブリ=黄金虫」なのだそうだ、真偽は保証しないけれど。

ともあれ、そのように昔は温かな目で見られていたカラスやゴキブリが、次第に嫌われ者扱いされるようになっていったのはなぜか?

カラスやゴキブリが変質したわけではない。変わっていったのは、私たち人間である。生活が豊かに、贅沢になるにつれ、食べ切れないほど多くの食べ物が作られ、余った食べ物が何の躊躇もなく捨てられている。そのご馳走を目当てにカラスやゴキブリが集まり、栄養を蓄えた彼らが繁殖を繰り返す。

動物学者によると、野生動物の生息数は本来、自然環境下ではエサ不足のため一定数に留まるものなのだそうだ。それを、必要以上に食べ物を作って流通させ、しかし食べ切れなくなって捨てられ、その結果、自然の摂理を超えてカラスやゴキブリを増やし害鳥(虫)化しているのは他ならぬ人間。路地裏でゴミ袋を突いて散らかす狼藉に眉をひそめるのは、「カラスの勝手」どころか、そういう環境を作った人間の「身勝手」なのだ。

バランスが取れた生産・経済活動に、私たちはもっと強い関心を払うべきだ。

残念No.709

ジャスダック上場の大塚家具(本社・東京)で、創業者・会長の父と社長の娘が経営の主導権を巡って激しく対立、文字通り「骨肉の争い」が繰り広げられている。

今回の事態に至る経緯を端折って追うと、大塚勝久会長の5人の子供の長子である久美子氏は1991年、一橋大学経済学部を卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行。94年大塚家具に経営企画室長として入社、96年取締役に就任したが、04年に同社を退社、翌05年コンサルティング会社を設立し、大塚家具を離れていた。

ところが07年、大塚家具の役員が事前に知った増配情報をもとに自社株を買い付けたことはインサイダー取引に当たるとして証取委から課徴金納付勧告を受けた。このため09年に父・勝久社長が会長に退き、代わって久美子氏が社長に就任したのは「インサイダー事件後の混乱収拾には、美大卒の長男・勝之氏(現専務)よりビジネス経験が豊富な久美子氏が適任と判断されたとみられる」と25日付日本経済新聞は報じる。

有り体に言えば “家業”の建て直しのため呼び戻された久美子社長。彼女が着手したのは、勝久会長が考案し、同社を今日まで成長させてきた、「会員制」「高級家具」「まとめ買い」を柱とする独得のビジネスモデルの見直しだった。

営業戦略の転換は、久美子社長とっては近年手頃商品を売り物に成長している「ニトリ」「IKEA」などライバルに対抗する必然策。しかし勝久会長にはそれが自身の成功体験に対する否定と映ったのか、昨14年7月の取締役会で久美子社長の解任と自身の社長兼任を提案、議決された。ところがその後、当時8人だった取締役の中の1人が辞任、会長・社長の支持バランスが崩れたことから、今年1月の取締役会で会長の社長兼務が解かれ、久美子氏が再び社長に復帰、今回のバトルへと騒動が拡大した。

両者の考えのどちらがどうと判断するに足る知識もその立場にもないから、触れるのはよそう。ただ、ニュースを見ていてとても大きな違和感を覚えたことが一点ある。勝久会長が記者会見場で冒頭、幹部社員を背後に並んで立たせたことだ。自分に寄せる社内の賛同者の多さをアピールしたかったのだろう。しかし――。

生殺与奪の資格を持つ権力者は、いかなる理由があろうと、自己の利益に資するためにその威権を利用してはなるまい。その最も愚かな例を今回、上場企業の“お家騒動”を通して見てしまったのではないか。そのことを、残念、と言うより、悲しく思う。