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羊年No.702

謹んで新年のお慶びを申し上げます。重ねて、本年も変わらぬご愛読と、倍旧のご鞭撻を心からお願い申し上げます。

その名もズバリ「羊神社」が、全国に2つある。一つは群馬県安中市の「羊神社」で、祭神は奈良時代の上野国で活躍した伝説上の豪族・多胡羊太夫(たこひつじだゆう)(藤原宗勝)。もう1つの「羊神社」は、その羊太夫が都へ上る際には必ず立ち寄った屋敷跡で、名古屋市北区にある――という由来はもとより存在さえ、近くに住んでいるのに元旦のテレビで見るまで知らなかった。しかもその神社の狛犬ならぬ“狛羊”が珍しいと知り、翌日車で出掛けたが、住宅街にある神社への道はすべて規制され、近づくこともできなかった。「興味本位での参拝は不謹慎」と戒める神様からの無言のお咎めと受け止めることにした。

「子(ね)」(=種子)に始まり「亥(い)」(=実の芯)で終わる十二支は、植物の成長過程を12段階に分けて表わしたとされ、その8段階目に当たる「未」は、未だ熟し切らない途中を示す。それを「子→ネズミ」「丑→牛」「寅→虎」…「未→羊」と身近な動物に置き換えたのは、読み書きができない者にも覚えやすいようにとの発想だったらしい。

「羊」は、羊の頭部のイメージから生まれた象形文字。その羊は、神への生贄や、人間の食用にも供する、とても大切な生き物だった。だからだろう、「羊」と組み合わせた多くの会意文字が生まれた。中国・後漢時代の漢字辞書「設文解字(せつもんかいじ)」によれば、「羊+食」=「養」は、羊の肉は栄養が豊富で体が養われるから。「羊+君」=「群」は、羊が丸くまとまっている様子。「羊+示(ネ)」=「祥」は、神様に羊を供えることから「おめでたい」の意味。「羊+我」=「義」は、羊を多く持っているほうが財産家だから(「義」は所有権の意味)。「羊+大」=「美」は、姿が良い大きな羊は「美しい」「うまい」とされたから ―― 等々とされる。

爪が2つに分かれている羊の蹄(ひづめ)は「黄金の蹄」と言われる。羊を野草地に放ち、羊がきれいに草を食べ終わった後に牧草の種を撒くと、その上を歩いた羊の蹄が土を具合良く耕しながら種を植え付け、またその糞で肥沃な土地に変わっていくからだ。そんな未年にあやかって、地道に耕しながら、ぜひとも飛躍・飛翔の1年にしたい。

その「翔」も「羊+羽」の会意文字だ。「羊(よう)」は「揚(よう)」に通じ、羽を得て飛び立つ様子を表わす。私たちも、それぞれの目標に向かって大きく羽ばたこうではないか。

リーダーの違いNo.703

20日の大寒に向けて寒い日が続いている。日本の史上最低気温は明治35年1月25日に旭川市で観測された-41℃だが、113年前のこの日はまた、別の歴史的一日として日本人の記憶に残る。前々日の23日、青森―田代新湯間を1日2泊で踏破する雪中行軍に出た陸軍第8師団青森歩兵第5連隊210名が、翌24日からの猛吹雪のため八甲田山中で遭難、199名が亡くなる世界最大級の山岳遭難事故が起きたからだ。

最大の原因は天候の悪化。しかし、それだけでもなかった。▽隊員の多くが岩手県出身で冬山知識が乏しかったのに、民間の案内人を同行させなかった ▽服装が冬山行軍用としては貧弱だったうえ、下着や軍手軍足の予備がなかったため、行軍の汗で濡れた後に冷え、低体温や凍傷をもたらした ▽食料・飲料に凍結対策が施されておらず飲食できなかった――などのほか、そもそも▽行軍命令が出たのは出発4日前で、準備期間が短すぎた ▽指揮官はK大尉だったが、極限場面では観戦武官として随行していた少佐が命令を下したり、大事な場面では将校を集めて会議し判断を「集団の責任」に委ねるなどして指揮命令系統が混乱した――等々、多くの問題があったとされる。

一方、ほぼ同じ時期の1月20日~31日の11泊12日間に、青森隊とは逆コースだがやはり八甲田山を含む雪中行軍を、1人の落伍者もなく成功させた部隊があった。F大尉を指揮官とする弘前第31連隊37名だった。この弘前隊は、▽冬山に詳しい地元民を案内人に雇った ▽寒さに体を慣らすため8日間かけて予行訓練した ▽握り飯を油紙に包み、水筒には酒を入れるなどして凍結を防いだ ▽汗で下着が濡れ、凍傷の原因にならないよう20分置きに小休止した――等々、こと細かい対策を講じていた。

これらに加え、青森隊K大尉、弘前隊F大尉という2人のリーダーが極限下で発した言葉の違いが、部下の士気に大きく影響したとされる。絶体絶命の猛吹雪の中で、青森隊K大尉がこう口にしたのを多くの方がご存知だろう。「天はわれわれを見放した」 一縷の望みを絶つその言葉に部下たちは絶望し、生き抜こうと思う気力を失っていった。他方、同じような場面で弘前隊F大尉は、活を入れた。「吾人(ごじん)若し天に抗するの気力なくんば、天は必ず吾人を亡ぼさん。諸子夫れ天に勝てよ」(山下康博著「指揮官の決断 八甲田山死の雪中行軍に学ぶリーダーシップ」) その励ましに、部下たちは萎えかけていた気持ちを立て直した。リーダーのひと言は、いつも、極めて重いのだ。

向上心No.704

現在は廃刊した米国の写真誌「LIFE」が1999年、「この1000年で最も重要な功績を発した世界の人物100人」を掲載した際、たった一人、86位だけど選ばれた日本人がいた。著書「武士道」で世界に著名な新渡戸稲造? トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎? いずれも「No」。江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎である。

北斎の代表作「富嶽三十六景」には46枚の富士山図が収まる。タイトルと数が合わないのは、36景が好評だったため後に10景描き加えられたからだ。中でも、舟を飲み込みそうな大波の彼方に富士山が見える「神奈川沖浪裏」は、私たちが「ダヴィンチ」と聞けば「モナリザ」を思い浮かべると同様、世界的によく知られるという。 デッサン集「富嶽百景」を75歳で出版した北斎は、そのあとがきにこう書いている。

「私は6歳から物の形を写す癖があり、50歳頃から多くの図画を描いた。しかし、70歳までに描いた作品は取るに足らぬものばかり。73歳になって生き物の骨格や草木の生え具合をいささか悟ることができた。だから86歳でますます腕に磨きをかけ、90歳で奥義を究め、100歳になれば神妙の域に達すると考える。さらに100歳を超えて描くものは、命を得たかのような作品になろう。願わくば長寿の神には、私の予言が世迷い事ではないことを見届けてほしい」(現代文に意訳)

「天才」の名声を戴くゴッホだが、生前に売れた作品は1枚だけ。存命中の評価は決して高くなかったと言われる。しかし北斎は違う。生きている内から高い評価を得、作品には他の絵師たちの倍近い値が付いたという。

そんな人気絵師・北斎はしかし、自身の才能を驕(おご)ることは生涯なかった。むしろ晩年になってなお旺盛な向上心を持ち続け、「人物を描くには骨格を知らなければならない」と江戸の名接骨医・名倉弥次兵衛に弟子入りまでして筋骨の構造を学び、画法に活かそうとしたという。ゴッホやモネは、そういう研究熱心な北斎の真摯で細やかな表現力に感化されて作品を描き、作曲家ドビュッシーもイメージを広げて交響曲「海」を着想するなど、世界の芸術家に影響を与えた。

向上心 ―― 夏目漱石は名作「こヽろ」で、登場人物「K」にこう言わせている。「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」。ストレートに胸に刺さる。 1月も4週目。でも、決めかねていた「一年の計」を決意するのに、まだ遅すぎまい。

「不気味の谷」No.705

メンバー7人の平均年齢が31歳を超えてなお“アイドル”を名乗るのはいかがなものかと思うけれど、ともあれアイドル・グループ「関ジャニ∞」の村上信五と、女装タレントのマツコ・デラックスが司会する日本テレビ系列の深夜番組「月曜から夜ふかし」が昨年暮れ、ロボット工学における「不気味の谷」現象に触れていた。

「不気味の谷」現象は、わが国ロボット研究の先駆者、東京工業大学の森正弘名誉教授が1970年に提唱した専門用語である。外観や動作・仕草がより人間らしいロボットを作っていくと、人はロボットに好感、親近感を抱き始める。しかし、精度をさらに、人間とほとんど見分けがつかなくなるまで高めてしまうと、ある段階で突然、人はロボットに違和感=不気味さを覚え、上昇カーブを描いていた親近感が急激に落ち込む ―― 人間がロボットに対して抱く感情にはそうした「不気味の谷」がある、というのだ。

番組「月曜から…」では、大阪大学の石黒浩教授が監修して製作したマツコの等身大アンドロイド(人型ロボット)「マツコロイド」が持ち込まれた。肌の質感やまばたき、口の動きなど、実に精密・精巧に作られていた。しかし、その「マツコロイド」をスタジオで見た相方の村上が、一瞬驚いた直後に発した言葉は「気持ち悪ッ!」。マツコの親友ミッツ・マングローブも、まったく同じ言葉を口にした。

2001年、米国でSF映画「ファイナル・ファンタジー」が制作された。世界初のフルCGによる「実写リアリズム」作品。制作費1億3700万ドルが投じられたこの映画はしかし、数週間わずか3200万ドルの興行収入を得ただけで公開が打ち切られ、ギネス記録的大失敗になった。著名映画評論家ロジャー・エバートはこう評した。「原因は、登場人物などを人間に似せて作り過ぎた『不気味の谷』の法則にあるのではないか」

改めて「不気味の谷」の提唱者・森教授は言う。「ロボットにやらせたいことはいっぱいある。しかし、人に似せ過ぎる必要はない。技術は良いことばかりではなく、デメリットが出ることがあるので、充分セーブしながら使わなければならない」

子供だけでなく大人まで熱中する最近のオンラインゲーム。登場するキャラクターの多くは、実写並みに精巧に描かれたアンドロイドだ。そんなゲーム感覚に慣れ切ってしまったから、何の怨恨もない生身の人間にいきなり斧を振り下ろすような女子大生が出てくる世の中になってしまったのではないかと、「不気味の谷」時代の不気味さを思う。