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投書No.685

徳川家康を祀る静岡市「久能山東照宮」に、「家康公の時計」と呼ばれる西洋時計が神宝として保管されている。1609(慶長14)年7月、スペイン船が千葉県沖で座礁、地元の人々によって乗組員373人のうち317人が救助された。家康は、彼らの滞在に便宜を図っただけでなく、帰国に必要な帆船まで提供した。おかげで彼らが無事帰国することができたお礼として、スペイン国王フェリペ3世から贈られたのがこの時計だった。

歴史的にも価値の高いこの時計には、さらにエピソードがある。1955(昭和30)年6月10日の「時の記念日」に、「家康公の時計」の時報音を聞かせるイベントが行われた。その時貴重なこの時計の存在を知り「これは金になる」と踏んだ不届き者が、5カ月後の11月、時計を盗み出したのだ。

年が明けても解決しなかった事件が、しかし約70日後の2月、急展開した。一人の小学生が地元新聞社に投書を寄せたのがきっかけになった。「大切な時計ですから返してください。捕まったら僕も一緒に謝ってあげるから」 ―― 幼気な子供の訴えに心動かされたのだろう。犯人が新聞社にこっそり時計を返してきた。犯人は結局逮捕されたが、犯人にも血の通ったところがあったと知り、少しほっとする。

さて、投書をきっかけに波紋を広げているのが「盲導犬事件」である。8月1日付朝日新聞の「声」欄に寄せられた投書によると、さいたま市で全盲の男性が通勤途中、パートナーの盲導犬が何者かに傷つけられたという。事件が起きたのは7月28日午前。男性がいつも通り出勤すると、彼のパートナー犬、ラブラドールレトリバーの「オスカー」が着ていたシャツに血が付いていることに、会社の同僚が気付いた。どうやら先端が尖った千枚通し様のもので腰の辺りを数カ所、刺されたらしい。

「オスカー」は手当てを受け現在は治癒していると知り安堵すると同時に、怒りが猛烈にこみ上げてくる。なんと卑劣なことをするのかと。盲導犬は、パートナーに危険を伝える場合を除いては、無駄に声を上げたり反撃しないよう訓練されている。「オスカー」も、主人を動揺させないように、刺されても必死で痛みを堪えていたのだろう。

オーナーによれば、事件後も「オスカー」は人を怖がることなく、顔をまっすぐ上げ、自分に寄り添いながら、導いてくれているという。犯人に問いたい。「そんな『オスカー』の健気な目を、あなたは、まともに見ることができるのか」と。

「夢」の実現へNo.686

9日、ベースボール・マガジン社刊『翔べ、錦織圭!』を図書館で朝一番に借りた数時間前に、試合は終わっていた。貸し出し手続きをする図書館の女性職員の手が、差し出された本の題名を見て一瞬止まったから、「残念でしたよね」と口にすると、「ええ。でも、一生懸命頑張ってくれたんですから、全然よかったんじゃないですか、準優勝でも」。それが多くの国民の思いだろう。「お疲れさまでした」と心から労おう。

錦織圭。大学時代にテニス同好会にいて結婚4も妻・恵理さんと時々楽しんでいた父・清志さんが、出張先のハワイで子供用ラケットを見て、何気なく買って帰ったことが、いま思えば彼が5歳(1994年)からテニスを始めるきっかけになったという。

その後は、▽2001年=全日本ジュニア選手権、全国小学生選手権、全国選抜ジュニア選手権のシングルス3冠 ▽2003年=日本テニス協会・盛田正明前会長の支援で才能あるジュニア選手を育成する米国のアカデミーに留学 ▽2006年=全仏オープン男子ジュニアダブルスで日本男子として史上初めて優勝 ▽2007年=17歳でプロ転向 2008年=ウインブルドン選手権に初出場……等々、彼の輝かしい歩みはここ連日の報道でもう食傷気味だろうと思うから、以降は省略する。 小学校時代の文集に彼が「夢は世界チャンピオンになること。夢に向かって一歩一歩がんばっていきます」と書いていたことも今回知った。

「夢」――日本語の「夢」は「儚(はかな)い物事。不確かな事」など「叶わないもの」の意味合いが強い。しかし英語の「夢=dream」は「抱負・目標・目的」など「(努力して自ら)叶えるもの」の意味だ。「世界チャンピオンになる」という彼の「夢」は、13歳で単身テニス留学したことによって、日本的ではない米国式の前向きな「夢」の実現にあと一歩まで迫るほど、技術だけでなくむしろ精神的に彼を成長させたのだろうと思う。

彼には4歳上の姉・玲奈さんがいる。父・清志さんが話している。「子どもたちには、狭い世界で窮屈に生きるのではなく、いろいろな価値観のある、大きな世界へ羽ばたいてほしい、生き抜いてほしいという願いがありました」 だから「ふたりには、外国で受け入れてもらいやすい、外国の人も呼びやすい名前を付けました。子どもたちへの願いを形にしたいと思ったからです。『レイナ』も『ケイ』も、音(おん)で付けました」 稀有な才能を備えた青年の成長は、やはり「夢」を託して育んだ親の存在があることを知る。

警句No.687

私事で恐縮だが、実力及ばず願いは叶わなかったものの若かりし頃、「新聞は社会の木鐸」の言葉に憧れ、新聞記者になることを志した者にとって、朝日新聞による先日の誤報訂正・謝罪会見は、残念というより腹立たしくてならなかった。

今回の同紙の誤報・謝罪は3点に及ぶ。第一は、東北大震災に伴う東京電力福島第一原発事故について政府事故調査・検証委員会が当時の吉田昌郎所長(故人)から聴取したいわゆる「吉田調書」をスクープ入手し記事化した際、「東電社員の9割が所長の命令に違反して(現場を)撤退した」と報じたのは誤りだったこと。

第二は、「慰安婦問題」で「韓国・済州島で慰安婦を強制連行した」とする吉田清治氏(故人)の証言に基づいたこれまでの報道は、証言自体が虚偽だったと判断し記事を取り消したが、その訂正が遅きに失したうえ、謝罪も不充分だったこと。

第三は、朝日新聞に厳しい論調で寄せた池上彰氏のコラムを一時不掲載にした判断は誤りであったこと、だ。

「Yahoo!意識調査」で朝日新聞の今回の訂正・謝罪会見に「納得した」のは5.1%、「納得できなかった」が87.2%に達した(17日現在)。極めて妥当な国民感覚だろう。

例えば同紙は「吉田調書」問題での誤報の原因を、①記者の思い込み ②「吉田調書」は目に触れることができる者を限定していたため、社内チェックが行き届かなかったため、と弁明した。しかし、調書をその後入手した報道各社は一様に「全文を素直に読めば、そんなふうには読めない」と首を傾げる。朝日新聞は否定したが、記者個人もしくは記事の出稿に関わった関係者が、何かの“意図”を抱き、バイアスを効かせて書いたのではないかとの疑念を、今回の訂正・謝罪会見では払拭できなかった。

実録『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』の著者・門田隆将氏がネット「NEWSポストセブン」に寄せている。「朝日新聞の『吉田調書』報道は、これまで同紙が『従軍慰安婦』報道でも繰り返してきた手法 ―― 情報を独占し、独特の主張、イデオロギーによって加工し、大衆に下げ渡していく構図である」「マスメディアが大衆を導く時代は終わり、日本のジャーナリズムも大衆によって検証され、糾弾されることが当たり前の新時代に入っている」 まったく同感である。ただし――。

言い換えると門田氏の指摘は、情報過多の時代だからこそ私たちも、マスコミ報道を鵜呑みにせず、確かな鑑識眼を持つことが大事と説く警句だと、受け止めねばなるまい。>

「空き家」問題No.688

このところ社会問題の1つになっているのが「空き家」だ。読者諸兄の中にもいらっしゃるのではないか、ご近所の空き家にお困りの方が。筆者もその1人である。

総務省の住宅・土地統計調査によれば、国内の住宅の総数は6063万戸(2013年10月現在)だが、うち13.5%の820万戸が空き家だった。5年前に比べ63万戸増え、過去最高になった。いまや7~8軒のうち1軒が空き家ということになる。

空き家をそのまま放置するとますます荒廃し、台風時に屋根が飛んだり外壁が倒れたりし、近隣住民や通行人に危害を及ぼす恐れがある。また、不審者の侵入などによる放火や犯罪の誘発も懸念される。事実、1989年(平成元)年にベルリンの壁が壊され東西ドイツが統一された際は、社会主義体制下にいた旧東ドイツの人々が、資本主義で相対的に豊かな西ドイツに大挙して押し寄せた結果、東ドイツでは空き家率が30~40%に上る都市が続出。街全体が荒廃し、大きな社会問題になった。

こうした問題が指摘されているにもかかわらず、日本では空き家はなぜ放置されたままなのか ――。その理由の1つが固定資産税だ。土地にかかる固定資産税は200㎡未満の場合、住宅を建てると原則6分の1に減額される。この優遇措置は、空き家になっても変わらない。しかし、家屋を解体して更地にすると優遇措置が適用されなくなり、税額が6倍に跳ね上がる。このため家屋の所有者が解体に消極的になり、結果として空き家のまま放置されることになるのだ。

不動産コンサルタントの長嶋修氏は著書「『空き家』が蝕む日本」の中で、空き家を減らすために、以下の提案をしている。まず1つが「空き家課税」である。たとえば「3年以上空き家にしていた場合は課税される」というもの。売却や賃貸に出すなど住宅として活用されている場合に限って固定資産税軽減措置を適用し、他方、町の価値を毀損するような放置空き家に対しては更なる課税対象とする案。

もう1つは「必要以上に新築住宅をつくりすぎない」ことだ。従来のような景気刺激策としての住宅新築を見直し、人口動態などの指標を基に新築住宅建築基準を設定したり、税制優遇や補助金の額や割合を決め、住宅総量の目安を設定するというもの。

老朽化した空き家は暮らしの安心・安全を脅かし、町の活気、ひいては国の活力さえ奪いかねない。人口減少時代に突入したいま、空き家問題の対処は喫緊の課題である。