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忘れる力 No.674

消費税率が8%に引き上げられてから2カ月余。内閣府が先週明らかにした5月第5週の消費動向調査では、▽自動車=前年比約1%減で、4月に比べマイナス幅が縮小 ▽主要家電=気温が上昇しエアコン販売が好調だったこともあり前年比プラスに転じた ▽百貨店=高額商品を中心に前年比12%減(既存店ベース)と落ち込みが続くが、減少幅は前月より縮まった――等と報告されている。

車や家電など高額商品分野では、増税前にみられた駆け込み需要の反動が表れているのは事実だ。しかし、今回の消費増税は目的を「社会保障制度を維持し、将来世代への負担の先送りを減らすため」と謳っており、国民の多くもその必要性を理解し、ある程度の負担増はやむを得ないと受け止めており、そのことが、今回の消費増税が景気を大きく後退させるほど大きな阻害要因にはなっていない理由と理解できよう。

「それに…」と、作家で神経内科医の米山公啓氏はこんな“看立て”を書いている。「人間は、嫌な記憶がいつまでも同じ強さで残っていると、ネガティブな気持ちから逃れられない。つまり、困難を乗り越えるためには忘れることも重要で、嫌なことでも適応していかなければならないとすれば、“忘れていく”という能力を使うことになるだろう。だから(今回の消費増税による)経済への影響もそれほどにはならず、景気はすぐに回復してくるはずだ」 (4月16日付「日経BPネット」 抜粋・要約)

「忘れることもまた能力」などと言ってもらえると、近頃とみに物忘れが良くなったことに呆れたり落ち込んでいる一人としてはずいぶん気が楽になる。三浦勇夫・杏林大学名誉教授(精神科)の著書「『忘れる力』が脳を救う」を読むとなおさらだ。「脳には、これまでの人生の経験のほとんどすべてが詰まっている。しかし同時に、これは要らないだろうという記憶も詰まっている。要らなくなった記憶を積極的に忘れ、新しいものを入れるスペースを確保する――これは“忘れる力”によって頭の中に新しい収納庫を作ったようなものです」(抜粋・要約)。ますます勇気百倍である。

さらに評論家・外山滋比古氏も著書「『忘れる』力」で「忘れることを恐れるのは誤り。かつては健忘症という言い方があった。健という文字はダテではない気がする」(要約)と。なるほどだが、「健」には「健やか」だけでなく「はなはだ」という意味もあることを、たぶんご存知のはずなのにとぼけるのはいかがなものかと思う、外山先生。

知性の発展 No.675

今年はエルニーニョ現象の発生が5年ぶりに予想されるため、その影響で梅雨明けが、場合によっては8月までずれ込む可能性があるそうだ。

そう聞いて憂鬱に思うのは人間の身勝手で、街を歩けばそこかしこで紫陽花をはじめ梔子(くちなし)、花菖蒲、泰山木(たいざんぼく)、木斛(もっこく)、桔梗、藤空木(ふじうつぎ)など季節の花々が、雨の恵みを得て一段と色鮮やかに咲き、私たちの目を楽しませてくれている。

能力を“開花させる”という表現があるように、人間の成長も、花を咲かせるまでにはその土地々々に合った育て方と相応の時間を必要とする。米ハーバード大学ロバート・キーガン教授(発達心理学)は5月29日付「日経ビジネス」のインタビューで、「かつての日本には、終身雇用で社員を家族のように扱い、優秀な人材を時間をかけて育てていく風土があった。日本企業は、優秀な人の年齢と成長段階に見合った育成をし、段階を踏んで成長させていくというプロセスを、完全に捨て去るべきではない」と話している(特集「いくら言っても、人や組織が変わらない理由」) 。

キーガン教授によると、人が組織の中でなかなか変われないのは、「大人の知性」 ―― と言ってもintelligence(知能)ではなく、「自身を深く内省すると同時に自分を取り巻く世界を深く理解する能力」が、「次の段階に成長できないから」だ。

「大人の知性」は3つのステップを辿って成長する、と教授は説く。①環境順応型知性=順応主義で、指示待ちの段階。チームプレーに向いている。②自己主導型知性=課題を設定し自分なりの価値観・視点で方向性を考え、自律的に行動できる段階。③自己容変型知性=1つの価値観だけでなく複数の視点や矛盾を受け入れられる段階で、学ぶことによって導くリーダーの知性――である。知性レベルが複雑になればなるほど、次のステージに成長するのに時間が掛かる。

ところが現実組織の中では、知性が②「自己主導型」レベルを上回る人は半数にも及ばず、③「自己変容型」まで到達している人は数パーセントに過ぎないそうだ。

ただし。だからといって悲観する必要はないらしい。「知性の進化は年齢を重ねることが重要」で、「昔に比べると一(ひと)世代分長生きするようになったため、以前より多くの人を自主容変型知性レベルへ成長させるチャンスが生まれている」からだ。ということは、世界に冠たる長寿国・日本は未来が明るい、という話なら誠に喜ばしいのだが。

「がむしゃら」に No.676

「ショックだったのは、日本は世界での立ち位置を分かっていなかったことだ。この4年間で日本は成長した。ベスト8ぐらいにも届く可能性はあると思っていた。策を弄することなく、本当に世界と勝負できると期待していた」と某スポーツ紙が今回のW杯の結果について書いていたのには驚いた。第1戦コートジボワール(FIFAランキング23位)に1-2、第2戦ギリシャ(12位)に0-0、第3戦コロンビア(8位)に1-4。日本(46位)が決勝トーナメントに進めなかったのは、素人目にも極めて順当だったろう。

「自分たちの力不足。それ以上でも、それ以下でもない」とキャプテン長谷部。「非常にみじめだけど、これが現実。すべてを受け入れないといけない」と本田。「自分の好きなところにボールが来ればある程度できるが、そこを抑えられた時、自分の総合力を問われる。それを考えた時、自分はまだまだ足りないと思った」と岡崎。

今大会での日本の登録メンバー23人中、海外有力クラブに所属するのは12人。前回は4人だった南アフリカ大会の3倍に増えた。世界に通じる優秀な選手が育ってきたのは確かだ。しかし、その個々の能力を十二分に引き出すために問われるのはやはり、チームの総合力。そのレベルが、日本はまだまだ低いということだろう。

例えばコロンビア戦で、ボール支配率は日本56%に対しコロンビア44%、シュート数は日本23に対しコロンビア13、コーナーキックは日本9に対しコロンビア2。いずれも日本が上回ったのに、スコアは逆になった。日本はボールを「持っていた」が「持たされていた」のであって、ゲームの主導権を握っていたわけではなかった。

「ポゼッションという言葉に象徴される『自分たちのサッカー』に縛られ、キープはするがブレークできず相手のゴール前で詰まってしまったザックジャパンは、エースを輝かせることができなかった」とサッカーマガジン「ZONE」(ウェブ版)。同誌がその後に続けた指摘に、激しく同感である。「負けた後の渋谷の交差点でハイタッチを交わす青いユニフォーム姿、1次リーグ突破が既定路線かのようなメディアの事前報道、勝利や敗戦について『自分たちのサッカー』の出来具合を口にする選手のインタビュー…とてつもなく、たくさんの違和感を覚えた日本のW杯狂想曲だった気がする。

現代サッカーは、少しカッコ良さを追い求め過ぎていないか。ゴールに向かって「がむしゃら」にシュートする単純明快さも大事だと思う。それはたぶん、企業経営もまた。