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めまい No.666

1966(昭和41)年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で味噌製造会社の専務宅から出火。一家4人が亡くなり、同社従業員・袴田巌さんが強盗殺人罪で逮捕された「袴田事件」を、ご存知の読者のほうがいまは少なくなっているだろう。

取り調べでは犯行を自供したが、裁判では無実を主張。死刑確定後も再審を求めていた当時30歳、現在78歳の袴田さんに対し、静岡地裁は先週、再審の開始と刑の執行・拘置の停止を決め、袴田さんは即日、48年ぶりに釈放された。検察提出の証拠品を「後日捏造された疑いがある」とし、さらに拘置停止と同時に釈放も決定した異例の措置についても「これ以上拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」とした村山浩明裁判長の判断に、部外者でも背筋がピシッとするような感動を覚えた。

ニュース映像で見る、車椅子の袴田さんの姿は痛々しい。認知症と拘禁反応がうかがえるという。拘禁反応とは、人が長い期間、拘禁状態に置かれた結果起こる精神障害で、気分の変調や誇大妄想、幻覚などが現れる症状。今年3月に医療棟に入るまで長らく独居房に収監されていた袴田さんも、「痛みを出す電気で攻撃されている」「ご飯に毒を盛られている」などと話し、実姉との面会や差し入れも拒否したり、今回も再審・即釈放の決定を聞いても最初は「嘘だ」と信じなかったそうだ。その気持ちを「分かる気がする」などと簡単に口にする勇気はない。 釈放されて東京拘置所を出た袴田さんが車でどこへ向かったのかは知らないが、実はすぐに「車酔い」になってしまったため、車を何度か止めたり、都内の駐車場で休んでいたというニュースも、聞くのが辛かった。

車酔いは、乗り物の揺れや加減速で感じる感覚と、目に映る景色などの視覚刺激、体の筋肉が感じる知覚などの調和が取れなくなって感覚に混乱が生じる不快感。

それはそうだろうと容易に察せられる。独房で48年間、自分が移動することはもちろん、移動する何かを目にすることさえほとんどなかったであろう袴田さんにとって、久しぶりに目にした車窓の外を走り過ぎる大都会・東京の景色は、高層ビルも、氾濫する派手な広告群も、人混みも、一度に受け止めるには情報が多過ぎたはずだ。

ただ ――。そんな目眩がするような環境の中で、実は私たちは日々暮らしている。多すぎる刺激に酔いもせず平気で居られることが本当によいのかどうかと、ふと思う。

「レジェンド」 No.667

「レジェンド」と称される41歳のスキージャンパー葛西紀明選手が先のソチ五輪で獲得したのは、個人で銀、団体で銅という2つのメダルだけではなかった。なんと大会中に、ひと回り年下の女性に国際電話でプロポーズし結婚するという「金メダル」を手に入れていたのだ。彼の快挙に改めて「おめでとう!」の拍手を送りたい。

ところで、「レジェンド」つまり「伝説の――」という表現は、日本では歴史上の偉人を称える際使われる場合が多い。しかし英語圏では「あらゆる分野で非凡な才能や、たゆまぬ努力で能力を発揮し、素晴らしい実績を残している人を称える最高の言葉として、日常的に使われている」と甲南女子大学の引野剛司教授。日本人が西洋的用法に違和感を覚えるとすれば、それは、生きている者が現在も続けている偉業に対して、正しく、充分に評価しない価値観を、日本人は無意識に持っているからかも知れない。

その日本でも、葛西選手以前に登場した「レジェンド」はいくつかある。ホンダが1985~2012年に生産・販売していた高級乗用車は「レジェンド」。宝酒造は1988年、ウイスキーに対抗した琥珀色の高級焼酎「純レジェンド」を発売した。「ホンダも宝酒造も『レジェンド』という言葉を、高級感を演出するためのキャッチコピーに使った。カタカナ語『レジェンド』の一般化は、1980年代から始まったのだろう」と新語ウォッチャー・もりひろし氏は「日経ビジネス」オンラインに寄せている。

一方、社会に広く知られない「レジェンド」の姿もある。経営コンサルタント会社の代表・川邊彌生さんが自社HPで、パリの某高級ブランド店に、ある高齢の女性から届いたという手紙の話を紹介している。それは――。

美しく飾られたその店のショーウインドーを眺めることを楽しみにしている貧しい高齢の女性が、ある日、回転ドアの流れに押されてつい店内に入ってしまった。そのままスカーフの美しさに見とれていると、店員がその中の一つを肩に掛けてくれた。「いえ、私にはとても買えませんから」と戸惑う女性に、店員はにっこり笑いながら「どうぞ絹の手触りを楽しんでください」と商品を手に取るよう勧めた。店員の応対に感激した彼女から後日、店に手紙が届いた。オーナーは翌朝、店員を集め、手紙を読み上げて、言った。「あなたたちはなんて素晴らしい仕事をしているんだ。ありがとう」

「レジェンド」と称えられる信用は、日々の行動の中で生まれ、培われていくのだ。

慣用句 No.668

「STAP細胞」の作製疑惑で理化学研究所・小保方晴子さんの反論会見が開かれた先週同じ日の夜、TBS系列で始まった香取慎吾主演のテレビドラマのタイトルを見て、その皮肉な偶然に、不謹慎かもしれないが少し笑ってしまった。

そのドラマのタイトルは、青年向け漫画誌「グランドジャンプ」に連載中の漫画(原作・横幕智裕、原著・竹谷州史)をベースとする「SMOKING GUN ―― 決定的証拠」。

「smoking gun」とは、撃った直後で硝煙がまだ上っている状態のピストルのこと。そこから「動かぬ証拠」とか「決定的瞬間」を意味する英語の慣用表現として使われる。日本語で言えば「火を見るよりも明らか」という表現になろうか。

このように、2つ以上の単語が連続して使われることで、本来とは全く別の意味の表現として成り立つ慣用句や慣用表現は日本にも多い。例えば「鼻が曲がる」=とても臭い、「腹を立てる」=怒る、「羽を伸ばす」=くつろぐ、「命の洗濯をする」=気ままにのんびり楽しむ、等々もそうだろう。

一方、日本人の多くが知っているが、初めて聞いた時は「エッ、なぜこれがそんな意味に?」と驚いた英語がある。中学で習った「It rains cats and dogs」を「土砂降り」と訳する慣用句だ。その“ココロ”は「雨が急に降り出したため町の野良猫、野良犬が逃げ惑う様子から」との説が有力だが、「イギリスで昔、大雨で洪水になった後、多くの猫や犬の死骸が見つかったため」という、知らないほうがよかったような説もある。

それに比べると、「take off one's hat」(脱帽する)や「play with fire」(火遊びする)、また「last straw」(最後の藁=堪忍袋の緒)や「speak with a forked tongue」(分岐した舌で話す=二枚舌)などは日本語とほとんど共通する慣用表現。また「black sheep」(黒い羊=厄介者)や「wet blanket」(濡れた毛布=興ざめさせる)、「a white elephant」(白い像=持て余し者)、「get into hot water」(熱湯に入る=苦境に陥る)なども、ニュアンスは日本人にもほぼ伝わろう。しかし時には――。

「9.11同時多発テロ」の後、米国高官が口にした「Show the flag」をそのまま「(自衛隊の)旗を見せよ」、つまり「出動させよ」の意味と解釈した小泉政権は、自衛隊の海外派遣に踏み切った。しかし「Show the flag」は本来「旗幟(主義主張や態度)を鮮明にせよ」の意味。慣用句を、どうやら意図的に誤解釈する輩もいるから、気を付けねばならぬ。

「虎の子渡し」 No.669

最近は、家々の庭よりも見上げたマンションのベランダで、鯉のぼりが泳ぐ姿を見掛けることが増えた。間もなく端午の節句。その五月飾りの屏風や鎧兜の絵柄としてよく使われ、魔除けや縁起が良いとされる「吉祥柄」の一つに「虎」がある。

とても大事にしている物を「虎の子」と呼ぶが、そう喩えるのは、虎は動物の中でもとくに、子供を大事にする動物であるからだ。神経質で、なかなか配偶者を得ようとしないうえ、交尾の回数も少ないため、子宝に恵まれにくい。やっと生まれても、無事に育つ子虎が少ない。だから、とにかく大事に、大事に育てる。

そんな虎の子育ての様子から「虎の子渡し」と呼ぶ、まるで“クイズ”のような話が、800年前の宋時代の文人・周密の随筆集「癸辛雑識」に載る。いわく――。

虎が3匹の子供を産むと、その内の1匹は決まって豹になり、隙あらば他の虎の子を食おうとする。ある時、母虎は3匹の子を連れて川を渡ろうとするが、一度に咥えて運べるは1匹だけ。しかも、片岸に豹と虎の子だけを残すと、子虎は豹に食べられてしまう。それを避け、3匹を無事対岸に運ぶにはどうすればよいか――そんなややこしい「頭の体操」から、厳しい家計の遣り繰りのことを「虎の子渡し」と表現する。

家計もそうだが、企業の永遠の課題は資金繰り。その際こわいのが「勘定合って銭足らず」の落とし穴である。売り上げは伸び、儲けも相応に得られているのに、手元の現金を数えると、足りない。その結果、資金繰りがひっ迫し、火の車に陥る。

原因は、売り上げの回収と仕入れの支払いとの間の「時間差」にある。売り上げは立っても、受け取った手形のサイトが長ければ、現金化まで半年以上かかる場合もある。預金に余裕がなければ借り入れに頼らざるを得ず、その返済が負担になって資金繰りが破たんする。「黒字倒産」である。とくにまとまった売り上げが出来た場合や、企業の急速に成長している過程で、むしろ「虎の子渡し」の危険に陥りやすい。

さて、その「虎の子渡し」の正解は、次のような手順になる。①最初に豹を対岸に渡す ②戻って来て、子虎を向こう岸へ渡す ③その帰りに、豹を咥えて来る ④豹をこちら岸に置いて、別の子虎を対岸に渡す ⑤手ぶらで戻って来て、こちら岸に残っていた豹を向こう岸に渡す――これが唯一無二の正解である。 資金繰りも「虎の子渡し」と同じで、答えは1つ。焦ったり、無理をしないことだ。