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「悪ふざけ投稿」の裏にNo.637

▽コンビニ店員が店のアイスクリーム冷凍庫に入り込んだ写真をフェイスブックに自ら投稿した ▽ピザ店の学生アルバイトがピザ生地を顔に貼り付けた写真を自分でツイッターに載せた ▽ステーキレストランの従業員が店内の大型冷蔵庫内でふざけている様子を自らツイッターした……若者たちによる低劣な「悪ふざけ投稿」が後を絶たない。本音を言えば、彼らを百叩きのうえ市中引き回しにしてやりたいとさえ思う。

明治大学・斉藤孝教授は「ツイッターやフェイスブックは世界中の人が見る可能性があるのに、(若者たちは)自分たちにとっては“仲間内のツール”でしかないため、その怖さをイメージできない。さらに今の人は、影響を考えて行動する想像力が欠如しているので、模倣犯が相次いでしまうのだろう」と話す(「女性セブン」9月12日号)。

「それらツイッターやフェイスブックなどへの画像付きの投稿が、スマートフォンの普及で、より簡便になったことも要因」(ITジャーナリスト・井上トシユキ氏)とか、「ツイッターにはフォロワー数、フェイスブックには『いいね!』の数など、自分の投稿に対する閲覧者の反応を伝える機能がある。その“数字”が、悪ふざけ投稿を助長しているのではないか」(ネット編集者・中川淳一郎氏)などの指摘もある。

「まったく最近の若い連中は」という大人の嘆きと憤りは当然である。しかし――。

経済評論家・山崎元(はじめ)氏がニュースサイト「zakzak」にこう寄せている。「最近の悪ふざけ投稿は、数年前に頻発した食品メーカーや料亭の食材や賞味期限のごまかし、残り物の使いまわしなどの内部告発とは動機が異なるが、使われている社員と使っている会社との距離が遠くなったことで起こりやすくなった点がよく似ている。クビになって惜しいほどの給料を貰わず、いつでも解雇されうるアルバイトであるがゆえに、後のことを深刻に心配せずイタズラができる。問題の根は深い」

厚労省は1日、労働環境が劣悪な「ブラック企業」に関する電話相談を実施した。すると、1日限りの窓口だったにもかかわらず、「賃金不払い残業」53%、「長時間・過重労働」40%、「パワハラ」16%など、1042件もの相談が寄せられた。田村憲久厚労相は記者会見で「若者を使い捨てにするような企業をなくしていきたい」と口にした。

若者たちによる愚行の連鎖が、非正規雇用が労働者のほぼ4割を占める現在の企業社会の、陰に潜む問題とまったく無縁と言い切れるかどうか、自信がない。

違和感No.638

2020年オリンピックの東京への招致成功を、諸手を挙げて喜びたいのはやまやまだ。それなのに、気持ちの片隅に引っ掛かるいくつかの違和感が、素直にそれを許さない。

福島原発の汚水処理問題について、安倍首相はプレゼンテーションで「状況はコントロールされていることを保証する」と言い切った。「国家指導者による滑らかな演説がIOCの懸念を解消し、東京五輪大会決定の決め手になった」と外電は報じた。

しかし、安倍さんの「保証」を全面的に信じている日本国民が一体どれほどいるだろうか。だって後日、安倍さんの「大丈夫」発言の裏付けを求められた東電の担当者でさえ、「一日も早く(状況を)安定させたい」との“希望”を述べるに止まざるを得なかったではないか。震災・原発被災地の住民が、五輪歓迎一色の報道について「よその国の話のようだ」と新聞取材で答えていた違和感を、国民の多くは理解できるはずだ。

その東北大震災・福島原発事故に伴う悲劇を、五輪を呼び込むための材料として利用したのではないかという後ろめたさも否めない。骨肉種で右膝下肢を失いながらも失意から立ち直り、走幅跳びで日本記録、アジア記録を持つ宮城県気仙沼出身の女性パラリンピアンがプレゼンで話したスピーチは、感動的で、多くのIOC委員の心を揺り動かした。彼女の精一杯の頑張りに、心から労いの拍手を送る。ただ、彼女が震災体験を口にした際、そこに「禁じ手の演出」を感じ、戸惑ったことを筆者は白状する。

今回の五輪招致活動で日本は、実績豊かな国際的招致アドバイザーを何人も雇ったそうだ。先の女性パラリンピアンに限らず猪瀬直樹・東京都知事や水野正人・招致委員会専務理事ら多くのプレゼンターの、日本人らしからぬ派手な身振り手振り、表情、発声、抑揚のすべてが、プロによる助言と特訓の結果であることは明らかだ。その成果を真っ向から否定する勇気はない。ないけれど、あれほどの賑々しさが、別の女性プレゼンターが世界に語りかけて感銘を与えた「お・も・て・な・し」の心という、日本人が本来持つ奥ゆかしさのイメージとの間に、違和感を覚えさせたことも間違いあるまい。

とはいえ、五輪誘致の成功はやはり喜ばしい。そして今回の機会があったからこそ義足の女性パラリンピアンが話した素敵な言葉を耳にする機会を得たことも、よかったと思う。彼女は言った。「私にとって何より大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないことを学びました」 万事に通じる名言を心に刻んでおきたい。

消えた日本語No.639

台風18号が列島を縦断した。今回は台風の進路とは離れた福知山や京都・嵐山に大きな被害をもたらしたり、別の場所では竜巻や突風も発生するなど、最近の気象は、従来経験しなかったような異常さを感じる事態が起きていることに不気味さを覚える。

その台風が通過した数時間後、吹き返しの風がまだ強い中を所用で外出した。「ヒュ~ッ」「ヒュゥゥ~ッ」 独得の風切り音を久しぶりに聞いた。「虎落(もがり)笛」である。

「虎落笛」――本来は、強い風が竹垣や電線などに吹き付けた時に出る笛のような音をいう。「虎落」は中国で昔、虎の侵入を防ぐために、竹を編むように縛って庭の周りに張り巡らせた柵。かつては日本の庭でも見かけた。虎封じに竹を使ったのは、木だと虎は爪を引っかけて乗り越えるが、竹なら滑って入って来られないからだ。

その「虎落」を「もがり」と読ませる由縁は不詳で、ほかに「五月雨」を「さみだれ」、「大人」を「おとな」と読ませるのと同様、熟字を訓読みする「熟字訓」の一例らしい。

ともあれ、竹の柵や塀を見かけなくなったから、ヒュウヒュウという「虎落笛」を聞かなくなったのは当然と言えば当然。同様に、最近耳にしたり口にすることがなくなった日本語はずいぶん多く、かつて「週刊朝日」の出版校閲などに携わった奥山益朗氏の著書「消えた日本語辞典」には約1100語が載る。たとえば――。

▽お侠(きゃん)=はね上がりのお転婆娘。「侠」は侠客めいた男にも使ったが、女の場合は「お侠」と愛称で呼んだ。▽下さいな=店に買い物に行った時、客が言う挨拶言葉。それがいまは「すみません」へと、なぜか謝罪語に変わってしまった。▽腰弁当=弁当を携えて出勤する安サラリーマンを称した。いま呼び名は「愛妻弁当」に変わったが、さて実態はどこまで変わったのかは微妙なところだ。▽しだらない=「締まりがない」の意味で、現在使われている「だらしない」の本来の言い方。「あらたしい」が「新しい」へ、「山茶花(さんざんか)」が「山茶花(さざんか)」へなど、逆読みが定着してしまった倒語の一例である。

同書にはなかったが、最近別の機会で「失恋」の反対語があることを知った。ご存知だろうか。恋愛が成就すること=そのまま「得恋(とくれん)」である。でもなぜ「失恋」の日常語は残っているのに、「得恋」は消えてしまったのか、不思議と言えば不思議だ。

そして――。日本の産業の盛衰を示す「消えた日本語」の象徴といえば、残念ながら「糸偏」であり「金偏」だろうか。こればかりは、何とか別の姿で復活させたいのだが。

ドラマと現実No.640

レール保線を巡るJR北海道の危険意識の欠落ぶりに、開いた口が塞がらない。97カ所もの異常を追加公表した翌々日24日深夜に、さらに約170カ所に異常が見つかったそうだ。その多さもさることながら、約170カ所の「約」ってどういう意味? 正しくカウントできているかどうかさえ自信がないということなのか。

心理学に「集団浅慮」の言葉がある。集団に何か大きなストレスが生じると、内部での意見の一致や結束力が普段以上に強まり、多数意見やリーダーの意見に同調する心理的圧力が高まる結果、客観的な状況判断や意思決定ができなくなる現象をいう。

今回のJR北海道では、異常個所の放置を、社内で談合して決めていたわけではなさそうだから、「謀議」とまでは決め付けられないかも知れない。しかし、異常を完璧に把握し、補修し、人命を安全に輸送してこそ存在を許される鉄道会社として、今回の話はあり得ないほど恐ろしい「集団浅慮」的怠業と断罪されてやむを得まい。

関係者は「要員不足」を口にするが、冗談じゃない。19日に函館線大沼駅構内で貨物列車が脱線。同事故をきっかけに全路線を点検して見つかった97カ所の異常個所を、公表するまでのわずか3日間で「すべて補修」できるだけの要員は居るじゃないか。弁解すればするほど、実態を隠そうとする「集団浅慮」の体質が露見する。

質は全然違うが、22日が最終回だった注目のテレビドラマ「半沢直樹」の結末も、連休明けの職場の話題になったのではあるまいか。常務の不正を暴き、正義を貫き通した主人公・半沢次長。しかし頭取・中野は、懲戒解雇が当然と思われた常務を取締役に降格するだけに止め、他方、銀行の内部改革に貢献した半沢に対しては、「副部長を飛び越し部長に特進か」という大方の予想を覆し、グループ内証券会社への出向を命じた。

部外者には予想外の結末。しかし銀行内部に詳しい関係者の見方は別らしい。常務を解雇すれば、不正な迂回融資も露見するため、銀行の信用失墜とそれに伴う頭取の責任追及を避けられない。また半沢の、本店営業企画部長職としてのグループ内証券会社への出向も、いずれ本店に戻ることを含みに持っていることが銀行関係者なら理解できる。だから「諸事を勘案するとリアルな結末。良く出来たドラマだ」と評価が高いのだ。

ただ……。ドラマはそんなに「良く出来ている」のに、他方で前者のような肝心な現実社会がドラマ以上にお粗末という、逆の姿に乖離した日本の実態が残念でならない。