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「感情失禁」No.608

本日の小欄を、いきなり「失禁」などという言葉から書き始める趣味の悪さをお許し願いたい。しかし、「失禁」という単語を分解して成り立ちを追うと、われわれが日頃抱いているとは違った意味合いがあることを知る。「失」は「本来内側に抑え込んでおくべきものが出てしまう」こと。では、「禁」とは何か。

「禁」の下部分「示」は「人に告げる。教える」から転じて「神のお告げ」、また「神」そのものや「祭壇」を意味する。上部分の「林」は文字通り「木に囲まれた場所」だから、それを上下重ねた「禁」は「自由な出入りが許されない神聖な場所」ということ。そんな大切な場所から何かが漏れてしまうことが「失禁」であって、「Wikipedia」の解説を信じれば電池やコンデンサなどの「液漏れ」も、業界では「失禁」と呼ぶらしい。

しかしもう一つ、老人介護の現場などで最近聞かれる、それらとは別の「失禁」がある。「感情失禁」である。些細なことで涙を流したり、激しく怒り出したり、喜怒哀楽の感情が、抑制しにくくなって漏れ出てしまう症状をいう。原因は、脳梗塞など脳疾患の後遺症や老化によって前頭葉が縮み始めた結果、喜びや悲しみ、恐れや驚きなどの感情を制御する働きの神経伝達物質「セロトニン」が減少するためだ。

「医学的に見ると、現代の60代の肉体は若者に比べても意外なほど遜色ない。『昔の人のほうが足腰が強い』というのは迷信。歩行能力で見る限り、この20年間でむしろ10歳ぐらい若返っている。もっと大事なのは、感情の老化を防ぐことだ」と精神科医・和田秀樹氏が著書「感情から老化していく人 いつまでも感情が若い人」で書いている。「老化といえば、記憶力の衰えが最初にくると思われがちだが、しかし、記憶力より、体力より、もっとも最初に衰えてくるのが感情なのである」と。

▽部下や店員をつい怒鳴ってしまう ▽物を捨てられなくなる ▽カッコよくありたいと思わなくなった ▽何をしてもつまらない ▽議論するのが面倒になった ▽決め付けが多くなる ▽身振り手振りが大きくなる ▽財産を子どもに残してやりたい ▽漢字が書けなくなった ▽負けても平気になる ▽なじみの店ばかりに行く ▽往年のベストセレクションCDを買う……等々は和田氏が挙げる「感情の老化」現象の、他にも数ある中のいくつかだ。さて諸兄に、心当たりが有りや無しや。そして、「感情の老化は、早ければ40代から始まる」のひと言が「とどめ」にならなければよいが。

「シュウカツ」No.609

「シュウカツ」という言葉を近頃よく耳にする。といっても「就活」ではなく、「終活」のほうだ。高齢化社会の反映だろう、元気なうちに、いずれ、しかし必ず訪れる自分の死と向き合い、準備をしておこうという考え方が広まっている。従来の「生前準備」という言葉には、準備する自分もされる周囲も少々抵抗感があったが、「終活」というフランクな言葉に置き換えられたおかげで、大っぴらに口にできるようにはなった。

昨年末の「流行語大賞」でも「終活」はトップ10入りした。受賞者は、「終活」という言葉を創り初めて使ったとされる「週刊朝日」編集部と、昨年10月に41歳で亡くなった流通ジャーナリスト・金子哲雄さん。難病に罹って余命を宣告されていた金子さんは、生前に葬儀場や祭壇に飾る遺影や花、戒名、参列者に振る舞う料理、会葬お礼の文面など、考えられる指示をすべて整えて、逝った。

「遺影」を、あらかじめ自分で用意する人も増えている。たしかに、葬儀に出向いた際、祭壇正面に掲げられた、何かの集合写真から切り取って無理矢理引き伸ばしたらしい遺影を拝見する場合も少なくないから、「自分の時はせめて…」と気に入る写真をプロのカメラマンに撮ってもらっておこうとする気持ちは、かなり理解できよう。

最近の流行はさらに「エンディングノート」を自ら準備することだ。書店の平台にはいま出版各社が趣向を凝らして用意した「エンディングノート」がズラリと並ぶ。書き込む項目は財産相続などの遺言をはじめ、葬儀に関する自分の考え方や希望、認知症など介護が将来必要になった場合の対応や延命治療の要否、自分史、家族へのメッセージなど多岐に及ぶ。店頭でペラペラとめくって見てみるのも悪くなかろう。

そこまで本格的に準備したくないのなら、もっと気軽に「辞世の句」を詠んでおくというのはどうか。これも最近、密かなブームらしい。「不可も可も なき来し方や 日々草」(木村光子・77歳)、「芋虫を 二匹助けた ことくらい」(行広史子・58歳)、「敵七人 大方逝きて 秋暮るる」(高橋光夫・78歳)、「わたくしの なにかが宇宙へ 行くところ」(加藤真理子・41歳)等々は金子兜太監修「元気なうちの辞世の句 300選」からだ。

「辞世の句を考えることは、これまでの人生の総評であるばかりではなく、これから先の生に対する『決意』であり、『願望』を示すことでもある」と書籍編集者の荒木清氏。そういうことならチャレンジしてみようかと、気持ちを少し動かされはしまいか。

体 罰No.610

「スポーツ体罰」問題について新聞2社が過日、世論調査を行なっていた。体罰を「一切認めるべきではない」とする回答が毎日新聞で53%、読売新聞で52%。ともに過半を超えたことより、「その程度」にとどまった低さにむしろ目が行く。「体罰」に対する私たちの考え方や判断には「迷い」がかなり拮抗して存在する実態が表れていよう。

毎日新聞では男性は「認めてもよい」54%、女性「認めるべきではない」62%が、また読売新聞では男性「認められない」47%、女性「認めるべきではない」62%が最多の回答。年代別では、毎日新聞では20~30代で「認めてもよい」が「認めるべきではない」を上回り、読売新聞では20~30代では「認めてもよい」が57%と多数だったのに対し、40~50代で「認められない」が51%、60代以上では57%になった。

両結果を通して、女性に体罰否定派が多いのは理解できる。しかし、若い世代に容認派が多かったのは意外だったのではあるまいか。“夜回り先生”として知られる元高校教師・水谷修氏は「学級崩壊などを経験している世代ほど容認する傾向があるのだろう。教育が信頼されていない証拠」(毎日新聞)と分析する。

逆に体罰否定派が多い昭和世代が、例えばカラオケで選ぶ十八番に美空ひばりの「柔」がある。「勝つと思うな 思えば負けよ」と熱唱しながら、マイクを握る手に力が入る。だが、その歌詞の3番の冒頭に出てくるフレーズは「口で言うより 手の方が早い」、つまり体罰だ。歌詞への共感と世論調査への答えがしっくり結び付かない。

日本の教育現場で「体罰禁止」が明文化されたのは1879(明治12)年制定の「教育令」。教育学者・江森一郎によると、江戸時代の寺子屋や藩校では体罰はほとんどみられなかった(著書「体罰の社会史」)。シーボルトも幕末に「少なくとも知識階級に体刑は行われず、わが国オランダで好まれる鞭刑を見たことがない」と書くなど、日本では、体罰否定の考え方が世界的にみてもずいぶん早くから根づいていた。その風土に変化が表れたのは日露戦争前後で、「帝国陸海軍の教育方法が影響した」と江森氏はいう。

「体罰を全く否定して教育などできない」と先日、某所で講演した伊吹文明衆院議長の言葉には時代錯誤の印象を抱くが、ただ、私たちも他人様を責めてばかりはいられない。なぜなら、昭和世代が好んで口にする「ご指導ご鞭撻を」の「鞭撻」は「鞭で打って懲らしめること」。体罰的表現は、そろそろ改めたほうがいい時代なのかも知れない。

引き際No.611

夜のスポーツニュースでプロ野球のキャンプ情報を観終えてから就寝する季節になった。「今年こそは」の思いが、選手たちは当然、われわれファンにもある。

ただ一方では、たとえば金本知憲外野手(阪神、44歳)、城島健司捕手(同、36歳)、小久保裕紀内野手(ソフトバンク40歳)、石井琢朗内野手(広島、42歳)、田口壮外野手(オリックス、43歳)、今岡誠内野手(ロッテ、38歳)、小笠原孝投手(中日、35歳)、英智(同、36歳)等々、何人ものユニフォーム姿を、今年は見られないのが寂しい。

多くのプロ野球選手が望まずして契約を切られる中、自分で進退を決められるのは「功成り、名を遂げた」一部の選手に限られる。引退表明のタイミングが江川某氏のように早すぎても何かとケチをつけられ、遅すぎればなおさらマスコミに叩かれて名声に傷がつく。ファンの心理は微妙で勝手。イチローの姿をできるだけ長く、球場やテレビ画面を通して観ていたいが、だからといって彼が代打や代走でしか起用されない姿は、正直言って観たくない。「美しく去る」というのは実に難しいものだ。

潔く身を引くことが是とされた日本。外国人に理解されない武士の切腹は、日本における「引き際の美学」の極みといえよう。ところが。その切腹さえ許されなかった武将もいた。関ヶ原の戦いで家康率いる東軍に敗れた西軍・石田三成もその一人だ。

敗軍の将として京都市中を引き回されたあと六条河原で斬首の執行を待っていた三成は、喉の渇きを覚え、警護の者に一杯の水を所望した。すると「水はない。柿があるので、それを食べて我慢せよ」と言われた。そこで三成が「柿なら、身体によくないから要らぬ」と断わったところ、周囲の者たちが「すぐに首を刎ねられる者が、いまさら毒断ちして何になる」と笑った。大勢に笑われる中でしかし三成は、「大志を抱く将たる者は、首を断たれる瞬間まで体を労わり、命を惜しむものだ」と言い、泰然としていた、という話が江戸時代の逸話集「茗話記」に残る。死ぬ間際まで、彼にとっての大志 ―― 豊臣家の再興を願っていた三成の「美しい引き際」だったといえよう。

年度末まで勤めると退職金が減ってしまうのは損だ、というのでさっさと早期退職してしまった多くの公務員の「引き際」が世間の顰蹙を浴びた。その点、企業社会で自身の身の振り方を自分で決められる経営者に望まれる「美しい引き際」は、後継者を育てるという責務=大志を果した時だろう。さて、準備はちゃんと進んでいるだろうか。