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新年に思うNo.604

新春のお慶びを申し上げますとともに、本年も倍旧のご鞭撻をお願い申し上げます。

「正月らしさ」が年々薄らぐ中、でも今年は新しい年の始まりを意識する気持ちが、心の片隅にないわけではないことに気付いた。政権交代を機に、この国が少しは変わるかも知れない、変わって欲しいと願う期待が無意識に作用しているからだろうか。

2005年選挙は自民党296議席、09年は民主党308議席、そして今回は自民党294議席と、「民意の振り子」は三度大きく揺れた。ただし、終わってみると「自民党の議席はもっと少なくてよかった」と答えた有権者が、読売新聞調査によれば52%に及ぶ。「勝ち過ぎ」の咎めを心配する声は自民党内にもあるし、「安倍さんも“勝ち過ぎの悩み”をよく知っている」と前参議院議員・田村耕太郎氏が経済誌WEBサイトの連載コラムに書いている。懸念の第1は、外に敵がいなくなったのをいいことに党内抗争が始まること、第2は議員たちが地元選挙区でいろいろ「勝手な約束」をし始めることだ。

それにしても今回の選挙結果は、日本人に根強い習癖の1つを明らかにした。その習癖とは、群集心理の「スタンピード現象」――たとえば牛や羊などの群れが、何かのきっかけで一斉に同じ方向へ動き、暴走してしまう現象のことだ。

諸兄もこんなジョークもご存知と思う。世界の国々の人が乗った客船が沈没しそうになった時、躊躇う乗客を早く海に飛び込ませるにはどういう言い方をすればよいか。米国人には「いま飛び込めば君はヒーローになれる」。英国人には「紳士は先に飛び込むものだ」。ドイツ人には「規則だからすぐ飛び込んでください」。イタリア人には「美女が海で溺れかけているよ」。そして日本人には「みんな飛び込んでいます」だと。

日本人は「空気を読む」能力に長けている。だからこそ半面、「みんな」という言葉に弱く、他人に同調しやすい。しかもそれが個人だけではない点が問題なのだ。ジャーナリスト・鳥越俊太郎氏は、日本のマスコミが抱える「病理」を指摘して言う。「(スタンピード現象は)米国などでも起こる。でも、米国のジャーナリズムは基本的に、流れに待ったをかけ、バランスを取ろうとする復元力を持っているような気がする。その点が日本のメディアには欠けている」(自著「報道は欠陥商品と疑え」)

そう認識したうえで、私たち国民一人一人が冷静な判断能力を問われる、今年はそんな年になるのではあるまいか。進むべき道を考え、見定め、確かな一歩を踏み出そう。

一年の計No.605

鹿児島県大隈半島、肝属平野の鹿屋)市中心部から車で20分ほどに「柳谷」の集落がある。「やなぎだに」が正式呼称だが、鹿児島弁では普段「やねだん」と発音するそうだ。134世帯、人口278人(2012年11月30日現在)の小集落である。

豊重哲郎さんが1996年に55歳の若さで集落の公民館長(自治会長)に就いたのは、65歳以上が40%近い高齢化集落では珍しいことだった。それまで校区の公民館長を18年、地元中学校のバレーボール部コーチを20年間務め、人望があったからだ。

「今の世の中は高齢者になるほど出番がなくなっていく。住民全員が活躍できる、感動を基にした集落を作りたい」と就任時に話した豊重さんは、98年に休耕地40アールを無償で借り、サツマイモの栽培を提案した。地元高校生に「収益で、東京ドームにイチローを見に行こう」と手伝いを呼び掛けて。結局33万円に終わった収益では東京ドームは無理だったが、しかし福岡ドームにイチローの試合を見せに連れて行った。

畜産が盛んな「やねだん」地区は、糞尿などによる臭いが永年の悩みだった。そこでウナギ養殖の経験があった豊重さんは、ヘドロや排泄物の処理に土着菌を使って成功した経験を活かし、02年から土着菌の生産・販売を集落事業として開始、年間200万円の収益を上げた。その収益で全戸に連絡無線を整備。「母の日」「父の日」「敬老の日」にはその無線を使って、故郷を離れた子供たちからの手紙を、地元高校生が代読して流した。 また剰余金を背景に年間7000円だった自治会費を4000円に値下げし、06年には全世帯に1万円のボーナスまで支給した。08年にもボーナスを出そうとしたが、全戸から辞退され、代わりに高齢者に手押し車がプレゼントされた。

そんな豊重さんが主宰し、地域興しのリーダーを育てる「やねだん故郷創世塾」が年2回開かれている。その第1期生がまとめたと後で知る「創世塾10カ条」が、ぼんやり観ていた正月のテレビの、背景に映っているのが目に止まり、ネットで探した。いわく、①つらい時ほど笑え ②かねっから(かねてから)人財発見すべし ③人の言に逆らうべからず ④情報を人に言っかす(教える)べし ⑤一人でするな、百人ですべし ⑥子どもの目と八十の知恵を生かすべし ⑦リーダーを次の世代へ継ぐべし ⑧涙と汗で人の心を動かすべし ⑨言葉に魂を入れるべし ⑩己の力で地域を攪拌すべし――。

「一年の計」にふさわしい言葉を知った。さて諸兄の、年の初めの「計」やいかに。

「スマホ」を持つならNo.606

日本の携帯電話の普及率は101.4%(2011年末=総務省調べ)。すでに人口を上回っている。最近の特徴は保有者の裾野が急速に広がっていること。本人専用の携帯を持つ小学生は31%、中学生では59%に及ぶという(ネットエイジア調べ)。

親が子供に携帯電話を持たせるのは、安全確認やら連絡の便利さなど止むを得ない事情がある場合もあろう。しかし、一方で心配もある。友人と何時間もムダな長電話をしないか、あまりにも頻繁なメールのやり取りをしないか、有害サイトをこっそり見たり、迷惑メールやフィッシング詐欺などの被害に遭ったりしないか、等々。

米国マサチューセッツ州の母親が、13歳の息子にスマートフォンを与える条件として守ることを求めた「iPhoneの18の約束」の内容が素晴らしいというので、いま話題になっている。紙幅の都合上、要約にとどめるが、たとえば――。

▽パスワードは必ず私に報告すること ▽電話が鳴り、発信者がママかパパだったら必ず出ること ▽学校がある日は午後7時30分まで、週末は9時までに返却すること。親が出るかも知れない固定電話に電話できないような相手には電話もメールもしないこと ▽このテクノロジーを使って嘘をついたり、人を馬鹿にしたりしないこと。人を傷つけるような会話に参加しないこと、喧嘩に参加しないこと ▽ポルノは禁止します ▽公共の場では、携帯を消すかサイレントモードにすること ▽写真やビデオを膨大に撮らないこと。すべてを収録する必要はありません ▽上を向いて歩いてください。あなたの周りの世界をよく見てください。窓から外を見て、鳥の鳴き声を聞いて、知らない人と会話してみてください。グーグル検索なしで考えてみてください……等々。全文をネットで探してご覧になれば、その一つ一つの考え方の正しさに納得するはずだ。

アニメがすでに「文化」にまで育ち、根づいた現代。中には名言も残る。漫画家・士郎正宗は作品「攻殻機動隊」の中で、登場人物にこう言わせている。「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」評論家・宮崎哲也氏も「記憶の外部化―― つまり、何でも記録していると、記憶の意味が薄れてしまう」と、スマホとの付き合い方に警鐘を鳴らす。

マサチューセッツの母親が息子に示した「約束」をまず守らなければならないのは、もしかすると、スマホを片時も離せなくなりつつある「今時の大人たち」かも知れない。

「知らない権利」もNo.607

金色に輝く大きな朝日がまるで出迎えるように昇り始めた25日朝6時48分、アルジェリア人質事件で亡くなった9人の遺体と救出された7人を乗せた政府専用ジャンボジェット機が、17時間の長旅を終え、祖国の地にゆっくりと舞い降りた。痛ましい事件だった。被害者とその遺族、関係者に対し、改めて心から哀悼の意を表したい。

政府は、遺体・生存者の帰国で区切りができたとして同日、これまで伏せてきた被害者の名前を公表した。「(関係者の)理解をいただいた」と菅官房長官は会見で話したが、筆者は思う。関係者は本当に、氏名公表の必要性を得心したうえで承諾したのかと。

今回の事件では、報道各社で作る内閣記者会が22日、被害者氏名の公表を首相官邸に申し入れたことに関し、ネット上では明らかに反対意見が多かった。「氏名公表が事件の真相解明や再発防止に役立つとは思えない」「マスコミの本音は、強引な取材で“お涙頂戴”の報道を作り上げようとするところにあるのではないか?」等々。

こうした指摘に報道サイドからの反論もあった。某大手新聞の元社会部長を名乗るO氏は「亡くなった方のお名前は公表すべきだ。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証しは、その前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない」「実名報道には、悲しみをみんなで共有し、悲しみを癒す力がある」「遠く離れたアルジェリアで非業の死を遂げた勇敢な同胞のために泣きたい。日本人全員と悲しみたい。それこそが悼むことであり、弔うことだと思う」とツイッターに書き込んだ。

これがマスコミ人の共通思考なのだろうか。評論家・佐々木俊尚氏が、ネットで以下のように綴った指摘に同感する。「被害者の物語をつむぐ取材記事というのは、歴史を記録する行為としてとても重要だ。それを『不要』と言い切っちゃいけないのもその通り。ジャーナリズムの本来の仕事の一つでもある」「しかし一方で、そう主張するマスメディアの人の意見に人々が不快感を抱くのは、新聞やテレビが実際にはメディアスクラムで被害者やその遺族を追いかけ回してばかりいるからにほかならない」 

マスコミが事件の当事者、関係者に取材する際、あたかも読者や視聴者の総意の代理人であるかのような態度で口にする言葉は「知る権利」だ。しかし私たちは、常に、必ず、すべてを知りたいわけではない。当事者をそっと見守ってあげるための「知らん権利」「知りたくない権利」もあることを、真にジャーナリストなら、自覚していてほしい。