2012年12月のレーダー今月のレーダーへ

衆院選スタートNo.600

16日の投票に向け、衆院選がスタートした。今回480議席を目指す立候補者は1504人。現行の小選挙区比例代表並立制で行われた1996年の1503人を上回る史上最多になった。ただ4日の立候補受付では、書類の不備などから届出手続きが遅れる政党もあり混乱した。まるで今衆院選をそのまま象徴するようなドタバタぶりに国民が眉をしかめている様子が、けれども当事者の彼らにはたぶん見えていないのだろう。

これに合わせてマスコミ各社が、相次いでトレンド調査を行なっている。その多くがコンピュータで無作為に選んだ番号に電話してアンケートを取る電話調査方式。筆者の自宅にも先週末、それらしい電話があった。テープ音声で支持政党や投票予定の政党を訊いてくる。回答もプッシュボタン。答えた結果がいつ、どのような形で発表されるかについて一切の説明もないまま、「ありがとうございました」という機械的な女声音による謝辞とともに電話は切れた。この間、5分間ほどだったろうか。

この選挙トレンド調査で先週話題になったのは、朝日新聞と読売新聞が各々行なった調査で逆の結果が出たことだ。比例代表の投票先政党に関する回答で、「自民党」をトップとする答えは両紙が同じだったが、2位・3位では「民主党」と「日本維新の会」の順位が入れ替わっていた。アンケート時に、朝日は政党名を答えさせたのに対し、読売は全政党名を読み上げた中から選ばせるという、質問の方法が違ったことが原因ではないかと、第3者である毎日新聞が推測していたのが面白いというか奇妙だった。

こうした調査では、設問の内容や答えさせ方で回答が異なることは珍しくない。政党名を読み上げるにしてもその順番が違えば結果が違ってくることだってあろう。

企業が行う市場調査でも同様だろう。たとえば「新商品発表会」などテンションが高い雰囲気の中で商品を見せ、「これをほしいと思うか?」と尋ねれば、多くが「欲しい」と答えよう。しかし、いざ買う段になり店頭で冷静に性能や価格を他社製品と見比べ直すと、「ウーン」と迷ったりするのが人情というものだ。

数日前のTBS調査では、今回の衆院選の投票に「必ず行く」「行くつもり」の答えが合わせて96%に達していた。これまで以上に日本が今後進む道を大きく左右する分岐点と思うから、その関心の高さを信じたい。ただそれにしても今回、各党の離合集散の理由や主義・政策の違いがとにかく分かりづらいのは、やはり国民不在ではないのか。

商品開発の原点にNo.601

「冷やかし半分」どころか「冷やかし全部」でクルマの試乗会に出掛け、テレビCMで最近目にする「新技術」を体験してきた。1つは、前方に障害物を感知すると作動する自動ブレーキシステム。ただ、そのメーカーのシステムでは、たとえば時速50kmで走行中に突然、人が車の前に飛び出してきた場合でも完璧に停止することを保証するものではない。時速30km未満で走っている場合にのみ作動するという。

もう1つは、赤信号で停まると自動的にエンジンが止まるアイドリングストップ・システム。信号が青になり足をブレーキから離すと、自動的にエンジンが掛かる。省エネは歓迎するものの、昔ポンコツ車を騙し騙し乗っていた経験がある旧世代には、エンジンが勝手に止まってしまう「エンスト感」は、慣れるまで不安を感じそうだ。

ともあれ、クルマに関する技術進歩は、10年も経って乗り替えると燃費や安全性能、環境への配慮などさまざまな点で隔世の感がある。半面、技術革新への驚きはあっても、自分の感覚でクルマを乗りこなし、運転することが楽しくなるようなワクワクする感動が、最近の車には乏しくなっているのが寂しい。いや、もしかするとそれはクルマに限らず、最近のヒット商品全般に共通する傾向ではなかろうか。

経済誌「日経トレンディ」が先日「2012年ヒット商品ランキング」ベスト10を発表した。①東京スカイツリー ②LINE(主にスマートフォンを使ったコミュニケーション・アプリ) ③LCC(格安航空会社) ④マルちゃん正麺(即席めん) ⑤フィットカットカーブ(はさみ) ⑥JINS PC(パソコン用メガネ) ⑦おさわり探偵 なめこ栽培キット(スマートフォン・アプリ) ⑧キリンメッツコーラ ⑨街コン(街ぐるみの合コン・イベント) ⑩黒ビール系飲料だという。筆者は、辛うじて名前は知っていても使ったことや飲食したことはおろか見たことさえない物が実は全部だった。諸兄やいかに。

果たしてそれらを「ヒット商品」と呼んでよいのかどうか。上記ランキングの主催者・渡辺敦美編集長が記者会見で話している。「今年のヒット商品のほとんどは、従来からあった商品に付加価値を付けたもの。かつてのように時代や人々の生活を大きく変えるダイナミズム感に乏しい」と。言い換えるとそれは、ヒット商品を生むチャンスは広くあることを意味する。既存商品を見直し、先入観を捨て、消費者ニーズに向き合って付加価値を見出すという「商品開発の原点」に立ち返ってみようではないか。

「交響曲」の季節No.602

晴れたる青空 ただよう雲よ/小鳥は歌えり 林に森に――耳を澄ますとどこからか大合唱が聴こえてきそうな気がする。ベートーヴェン作曲「交響曲第九番」合唱付きの第4楽章「歓喜(よろこび)の歌」。いわゆる「第九」の季節である。「チケットぴあ」のウエブサイトには、12月だけでも全国86カ所での「第九演奏会」案内が載っている。日本で「第九」の演奏や合唱がなぜ年末行事として定着することになったのかは定かでないが、60年代から広まり、現在では「第九」に参加する市民は20万人を超すといわれる。

そんな師走のクラシック界で今年、新たに注目されているのが、佐村河内守作曲「交響曲第一番“HIROSHIMA”」である。昨年7月に発売されたこのCDが、1年半経った今月3日付の「オリコン」CD総合アルバム部門で、異例の9位にランクインした。先月9日にNHKの情報番組で取り上げられた後、新聞各紙に紹介され、今月初めには再びNHKで紹介番組が再放送されたことも影響しているのだろうか。

佐村河内氏は1963(昭和38)年生まれ。4歳から母親よりピアノのスパルタ教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなしていた。しかしある日、「もうこれ以上私が教えることはない」と告げられて以降、演奏家ではなく作曲を目指す。ただ現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず独学で作曲を勉強。1997(平成9)年にHIV問題を扱った映画「秋桜」、1999(同11)年にはゲームソフト「鬼武者」の音楽を担当した。その彼が2003年秋、子供時代から作っていた12番までの交響曲をすべて廃棄し、書き上げたのがこの「交響曲第一番“HIROSHIMA”」だった。

ただ ――。彼はいま全聾である。高校生当時から不自由だった耳が、2000年ごろには完全に聴力を失った。そのうえ、「頭の中ではボイラー室に閉じ込められたような轟音が鳴り止まない」(佐村河内氏)という頭鳴症にも悩まされ続けている。それでも「記憶にストックした音」(同)、つまり絶対音感を頼りに、この作品を完成させた。

自著「交響曲第一番」(講談社)で佐村河内氏が綴っている。「当たり前の能力が欠けてしまった私は、そのことでより人間らしくなれたのだと思いました。闇で得たものはあまりにも大きく、『欠けたるところのない者こそ欠陥人間である』と、いまさらながらこの自明に気付かされました」 年末とはいえ「忙中閑あり」ともいう。借りてでもよかろう、彼のシンフォニーに耳を傾ける時間を持ってみてはいかがか。

まだまだ遅くないNo.603

先月亡くなった女優・森光子さんは1935(昭和10)年に15歳でデビューした。当初は脇役や有名歌手の前座のジャズ歌手として過ごし、戦時中は中国や東南アジアの戦地を慰問。戦後は進駐軍の基地を転々とするなど、下積み時代が長かった。劇作家・菊田一夫に認められ、林芙美子の半生を描いた舞台「放浪記」の主役の座を射止めたのは1961(同36)年、彼女が41歳のことだ。まさに「遅咲きの花」だった。

後世に名を残す人には、若い頃に人並み以上の努力と胆力で数多くの挫折や失敗を乗り越え、晩期になって大成する人たちが少なくない。

店舗の前にヒゲのおじさんが立つ「ケンタッキーフライドチキン」の創業者カーネル・サンダースが、ケンタッキー州で経営していたガソリンスタンド脇の物置を改造し、6席だけのカフェでフライドチキンを売り出したのは40歳。その後、息子の死や店舗の火災など災難・苦難をいくつも乗り越え、フランチャイズビジネスに切り替えたのは60代半ばだった。その店舗数は現在105カ国・地域に1万7400店を超える。

日清食品の創業者・安藤百福が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発したのは48歳の時だ。第二次大戦後、請われて理事長になった信用金庫が破綻。債務を弁済するため個人資産の全てを返済に充て、借家住まいになった。しかし彼はめげなかった。当時深刻化していた食糧難を解決しようと考え、裏庭に建てた研究小屋で即席めんの開発に着手、1958(同33)年ついに完成させ商品化した。

1799(寛政11)年に久留米の鼈甲細工師の長男に生まれた田中久重は、若い頃「からくり儀右衛門」と呼ばれた。手先が器用で、とても精巧なからくり人形を作っていたからだ。久重は成人になると家業を弟に任せ、自分は西洋技術を学ぶため故郷を離れた。その後、蒸気機関や電信機など当時の最先端技術の開発にかかわった後、1873(明治6)年に上京。1875(同8)年に75歳の高齢で電信機関係の「田中製造所」を設立した。同社は後に「芝浦製作所」と社名を変え、さらに現在の「東芝」へと成長した。

さて今年も、し残したことばかりが気になる1年が間もなく終わろうとしている。数え年でいえばまた一つ歳をとることになる。いろいろ焦りはあろうが、しかし、何かに挑戦するのにまだまだ遅くはないことを、多くの先人が教えてくれる。目標を見定め、新たなる決意で新年を迎えたい。どうか、良いお年を。