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努力No.595

2010年の少し古い調査なのだが、結果がちょっと衝撃的だったのでまだ覚えている。日本青少年研究所が日米中韓4カ国の高校生を対象に行なった意識調査によると、「自分は価値のある人間だと思う」と答えた若者は米国89%、中国88%、韓国75%だったのに対し、日本では何と36%にとどまったというのだ。「私は自分に満足している」という答えも米国78%、中国68%、韓国63%に対し、日本はわずか25%。単に「国民性の違い」では済まされない日本の若者たちの、あまりの自信の無さではないか。

こんな日本の状況を、自著「希望をつむぐ高校」の中で「希望劣化社会」と表現したのは早稲田大学の菊地栄治教授だ。「いまの日本は、若者が未来に希望を持ちづらい社会。単に個人が希望を持てないという話ではなく、若者全体が希望をもてない深刻な社会問題をはらんでいるということだ」 同感だし、そういう社会を作り上げきた責任の多くが私たち大人にあるとの非難も甘受せざるを得まいと思う。しかし――。

「宮崎菜穂子さん」をご存知だろうか。弊社内では誰も知らなかった。26歳のシンガーソングライター。慶応大学3年生在学当時の2006年にファーストシングル「優しい青」でインディーズデビュー。以来、本格的に音楽活動を始め、ほとんど毎日の路上ライブで手売りしたCDは、その後4年半で8万枚を超えたという。

さらに2010年7月、所属する音楽事務所が提案した「今後1年間の路上ライブで日本武道館の最大収容人員に相当する1万5000人の有料サポーター会員(年会費3150円)を集めたら、武道館で単独公演を行う」という企画に応募。雨の日も風の日も雪の日も、自分の身長ほどもあるキーボードを背負い、アンプやスピーカー、看板など50kg近い荷物をカートに乗せて移動しながら各地で路上ライブを行ない、355日目の昨年7月1日、ついに1万5000人会員のノルマを達成。昨年12月からは、今度は武道館を満席にするためのチケットを、再び路上ライブをしながら売り続けてきた。

「私は美人じゃないないし、歌がずば抜けて上手なわけでもない。大した取り柄のない普通の女の子。ただ武道館で歌いたいという小さな頃からの夢を諦めず、チャンスをつかむために努力してきただけです」と彼女。だから、先週発行されたばかりの著書「路上から武道館へ」でこう書く。「手を抜いたら、手を抜いた未来しか待っていない」 そうやって夢を叶えた「普通の女の子」の武道館単独公演が、今月2日、開かれる。

先即制人No.596

いよいよ始まる北海道の厳しい冬を乗り切るため、地元女子高生に欠かせないのは①キティちゃんなどキャラクターが編み込まれた可愛い「ケーパン」(毛糸のパンツ)  ②スカートの下にジャージを履く「埴輪ルック」 ③使用済み分が教室のゴミ箱に溜まる「使い捨てカイロ」 ④シャツの革命児とも呼ぶべき「ヒートテック」様様だと誰かがブログに書いていた。「けれど、あえて最初に挙げるとすれば、北海道の乙女たちが越冬するのに必要なのは、やはり『気合い』だ」のひと言にも笑ったが。

ユニクロの「ヒートテック」を始めとする「保温インナー」の浸透を大歓迎しているのは、女子高生たちだけではない。オジサン世代も然)り。股引を履けば暖かいことは分かっていても、何かの拍子で組んだ脚のズボンの裾と靴下の間から見えると冷やかされそうなのが恥ずかしくて、履くのをグッと辛抱していた痩せ我慢から、オジサンたちを解放してくれたからだ。「スパッツ」なのか「レギンス」のほうが今風の呼び方なのかは知らないが、ともかく最近の「保温インナー」なら、履いていても見咎められないのが助かる。むしろ最近の20~30代男性の着用率は50%を超すそうだ。

イオン「ヒートファクト」、しまむら「ファイバーヒート」、イトーヨーカドー「パワーウォーム」、無印良品「ぬくもりインナー」、西友「エコヒート」、ユニー「ヒートオン」…… 先駆のユニクロ「ヒートテック」を追って各社が続々参入したが、ネットリサーチ会社「ディムスドライブ」調査によると、ブランド認知度は「ヒートテック」が89%とぶっち切りのトップ。2位「ヒートファクト」43%、3位「ファイバーヒート」21%などを大きく引き離している。

ユニクロが「ヒートテック」の発売を開始したのは2003年。昨年は1億枚を売り、10年目の今年は1億3000万枚を目標にしている。他社の猛追にもかかわらず同社がシェアを食われていない第1の理由は、市場にまだ拡大の余地があったこと、第2は文字通り「先発の強み」だろう。「消費者は、ファーストムーバーかフォロワーなのかを冷静に観察している」(流通コンサルタント河合拓氏) 「“ナンバーワン”や“元祖”という位置づけが、いかに消費者の心の中に残るかを物語っている」(同・高橋亮太郎氏) 

つまり紀元前90余年、司馬遷が「史記」に残した教訓は、現代にも立派に生きているということ。すなわち「先即制人(先んずれば、人を制す)」なのである。

「三途の時」にNo.597

先週で終わった「読書週間」の、今年の標語はちょっと良かった。応募3681点から選ばれた入選作は河田衡兵さんの「ホントノキズナ」。「他界した父の書斎を整理していたら、懐かしい本がたくさん出てきて、本を通し父との絆を再確認できた」とは河田さんの受賞の弁。「本との絆」が「本当の絆」とも読める洒落がスマートで秀逸だった。

その「読書週間」中の今月1日は、今年制定された初めての「古典の日」でもあった。9月に施行された「古典の日に関する法律」は、第1条にこう掲げる。「古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、(略)さまざまな場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする」 古典に触れる機会を増やそうという考え方には賛成する。

ただ、「古典は難解」という先入観が先に立ち、なかなかとっつきにくいものだが、古代中国・魏国で大司農(今風に言えば財務大臣)を務めた董遇が、こんな言葉を残している。「読書百遍、義自ずから見わる」。二宮金次郎のモデルとも言われる董遇は、片時も本を放さないほどの読書家だった。その彼に弟子入りを申し出た者がいた。すると董遇はそう言って、申し出を断わったのだそうだ。「私に学ぶより、書物を何度も何度も読みなさい。そうすれば、その意味するところが自然に分かってくる」

実際、江戸時代に寺子屋で学んだ子供たちは、意味や内容を抜きに、教本をひたすら音読することを教えられた。「音読式素読」の提唱者で文学者の安藤忠夫氏も著書「素読のすすめ」で、「表面的文章としての意味は、意識の表層で理解されるだけですが、何度も声を出して読むことにより、表面的な意味の背後にある潜在意識が培われ、心身に刻まれ浄化していくのです」と書いている。「そう言われても、いまどき本を音読して読むのは、ちょっと…」と抵抗がある向きには、「十読は一写に如かず」(何度も読むより、一度手を使って書き写せば、よく理解できる)との古諺はいかがか。

万事に手軽さを求める現代。しかし読書は本来、じっくり時間をかけるべきものだ。「そんな暇はない」って? 董遇はこうも言っている。「暇がないことはないはず。三余の時 ―― すなわち、やることが少ない夜や冬、雨の日に読めばいい」と。多忙な諸兄でも、その気になれば「二余」ぐらいは作れよう。いまちょうど、そんな季節だ。

増える 「暴走老人」No.598

「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ」と語った孔子は、こう続けた。「六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰ず(道理を外すことがなくなる)」 しかし日本では、その名言が当てはまらない時代になってきた。

法務省が16日発表した「2012年版犯罪白書」によると、2011年中の刑法犯の認知件数は213万9700件で、9年連続で減少した。ところが一方で、65歳以上の高齢者の検挙人数は4万8637人と史上最高を記録。20年間で6.3倍に増えた。70歳以上に至っては検挙人数3万2262人で、統計を始めた1979年比10.6倍という史上最多だった。

殺人犯の年齢別構成をグラフにすると、10代後半から急増し、20代前半でピークを描く曲線がどこの国にも共通することから、「ユニバーサル・カーブ」と呼ばれる。日本も、1950年代半ばまではそうだった。しかし近年の日本は、そのカーブのピークが後方世代へ大きくズレてきた世界で唯一の国とされている。

ノンフィクション「暴走老人!」(2007年発刊) を著した作家・藤原智美氏は、高齢者の犯罪が増えている要因として①老人の孤独化 ②老人の貧困化 ③社会福祉の不備など、時代や環境の変化を指摘した。また、医学的要因を挙げる専門家もいる。人は年齢を重ねるにつれストレスや老化によって自律神経のバランスが崩れ、「交感神経優位」の状態に陥る。すると常に緊張・興奮状態が続き、怒りっぽくなるのだと。糖尿病や高血圧などによる薬の長期服用が「交感神経優位」の原因になるともいわれる。

一方、理由は別にあるとする説がある。日本の犯罪史上、少年犯罪がピークだった時代に「少年」だった世代が、そのまま年を重ねて現在の高齢世代になったというものだ。とくに70代以上は、敗戦によってそれまでの常識や価値観が大きく変わり、何を信じればよいのかを見失った。そうした幼少年期の迷いや苦しみ、さらには貧困が、その後の人間形成に影響を及ぼしたのではないかとする説を、笑止千万と無視はできまい。

藤原氏は「暴走老人!」の最後をこう結んでいる。「情報化社会という『社会風景』の地下では、人々の内面=感情、情動のあり方が地鳴りを響かせながら揺れ動いている。だとすれば老人の暴走も、変化を無意識に感じとり苛立っているがゆえの防御なのかもしれない。彼らは『鈍感』なのではなく『敏感』なのであり、彼らの叫びと暴力はひとつの警笛なのだ、と私には思えてならない」 暴走老人予備軍の1人として、同感である。

争点はTTPかNo.599

国民の最大関心事だった「消費税増税」にはもう議論の余地はなく、今衆院選での最大の争点は「TPP」になりそうだ。

TPP(Trans-Pacific Partnership=環太平洋戦略的経済連携協定)―― 環太平洋諸国が経済自由化を目的に多角的に連携する協定で、最大のポイントは関税の撤廃である。

「関税撤廃」と聞いて思い浮かべるのは1894(安政5)年、幕府大老・井伊直弼が孝明天皇の勅許を待たずに調印した日米修好通商条約と、さらにその後オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様に結んだ「安政の五カ国条約」だろう。同時に締結相手国に対し「領事裁判権(=治外法権)」を含む不平等条約を結んだことに起因するわが国の苦渋は、日露戦争後の1907(明治40)年に日露新通商航海条約、1911(同44)年には日米通商航海条約を結び直して関税自主権を回復するまで続いた。あれから100余年後。今度は自ら関税自主権を放棄するような進展に、不安を抱かぬわけにはいくまい。

関税撤廃で懸念されるのは、日本の農産物への深刻な影響だ。コンニャク1706%、コメ778%、落花生737%、でんぷん583%、小豆403%、バター360%、砂糖305%、小麦252%、脱脂粉乳218%等々、外国産品に掛けられている高率の関税が外されると、海外農産物の輸入が急増して国内生産者に大打撃を与えるばかりでなく、それに伴うデフレ効果が関係産業界に悪影響を及ぼすことは、多くの先例が教えるところだ。

たとえば繊維業界。「繊維業界は生産拠点を海外に移したことで企業は製造コストを削減でき、消費者も安く買えるようになったのだから両得ではないか」とTPP賛成派はいう。しかし半面、大きな犠牲も伴った。衣服を安く買えるようになったからといって、消費者はその分多くの服を買うわけではない。生産者の、誰もが工場を海外す資金力があるわけでもない。生産が海外へ移った分、国内の業界規模は縮小し、多くの中小企業が経営に行き詰まり、多くの従業員が失業し、消費がさらに冷え込み、結果として、増えたのは生活保護支給だけという悲しい実態がいまここにある。

「それでも、停滞・沈滞している日本経済の起爆剤になる」と経団連はTPP参加に賛成し、痛手が必至のJAは猛反対する。世論が二分する中での今回の衆院選は、日本が進むべき方向を決める大事な判断の機会だ。しっかり勉強し、一票を投じたい。これまで以上に厳しく問われているのは、先を見据えた、私たち国民自身の選択眼だと思う。