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「文明の利器」に潜む恐さNo.573

「ドラえもん」のポケットには1800余もの「ひみつの道具」が入っている。その1つ「ほんやくコンニャク」は、見た目も食感もコンニャク。だが、食べるとあらゆる言語を理解でき、自分が話す言葉も相手が使う言語に翻訳される「食べる自動翻訳機」だ。ネットでも最近、日本語や外国語を自動翻訳してくれるサイトが増えた。ところが――。

奈良観光協会が今春更新したHPの、外国語ページが誤訳だらけというので問題になった。東大寺の「大仏」が「Mr.Osaragi」、「仏の慈悲」を「French mercy」など“トンデモ誤訳”が多数あることが分かったのだ。「大仏」を人名の姓、「仏」を「フランス」の日本語略と認識した「機械翻訳」による誤訳だった。前回作成時の外国語ページは翻訳を1言語150万円で外部委託したが、今回は経費節減のため7カ国語合わせて35万円というネットの自動翻訳システムを利用、そのままアップしたのが原因だった。

ほとんど同じ過ちが今年4月、震災からの復興を支援するため観光庁が音頭を取り東北6県28地域で開催中の「東北観光博」HPの外国語ページでも起きた。たとえば「秋田千秋公園桜まつり」の英語表記が日本語直訳すると「飽きた千秋公園桜まつり」、「六郷のカマクラ行事」が「六つの郷のまくらに使う蚊の行事」、秋田県仙北市「生保内関所跡」は「生命保険による関所跡」等々、珍訳が数え切れなかったという。

原因はやはり機械翻訳による誤訳。「復興に一役買えるなら」と翻訳作業を無償で引き受けた某IT企業が機械翻訳を使用。その監修を誰も行わなかったらしい。

昨年6月には、某社が出版した伝記本「アインシュタイン その生涯と宇宙(上下巻)」の下巻で大量の誤訳が見つかる事件もあった。当初は翻訳を専門家に依頼したが時間の関係で断わられたため、機械翻訳会社に依頼。出来上がった訳のひどさに編集者も自分で直し始めたが、予定に間に合いそうになかったため出版社社長に発行延期を申し入れたものの断わられ、そのまま世に送り出してしまったという。何とも呆れた話だ。

同本は結局回収され、専門家が翻訳し直して再発刊されたが、上下巻各2100円の初版本は珍本扱いされ、ネットオークションで8000円台の値が付いたそうだ。

最近「衝突防止システム」や「危険回避システム」など新機能の搭載を売り物にした車のCMが増えた。見ながらつい「文明の利器」に潜む恐さに妄想を広げ、「もしかするとそのうち…」という“禁句”をそっと飲み込んでいるのは、筆者だけだろうか。

文化No.574

某携帯電話会社のCMで見る “白いお父さん犬”も、平安時代は「びよ、びよ、びよ」と鳴いていたことになる。同時代末期の歴史書「大鏡」には、犬の鳴き声は「ひよ」と書き表されている。濁音表記がなかった時代だから、現代風に直せば「びよ」だろう。現在のように「ワン」という擬音語に変わったのは江戸時代後半からだ。

日本語には擬音・擬態語が極めて多い。その数は、一説によれば他国語の5倍以上の4800。理由は、音節数の違いにあるとされる。例えば同じ「ア」でも発音が微妙に違う英語では、音節数は8000とも3万とも言われる。これに対し日本語の音節は、「あいうえお…」の50音と一部の濁音や半濁音、拗音、促音など合計112足らず。その少なさに伴う表現の不自由さを補うと同時に、本来豊かな感性を繊細に表現するために擬音・擬態語が発達した――専門家の話をまとめると、そういうことらしい。

それら日本の擬音・擬態語は当然、時代々々を映して生まれ、あるいは消える。「ガタピシ」「ギーッ」「カランコロン」「シュッポッポ」はすでに「昭和の擬音」。いま世間に溢れているのは、何かを押すたびに鳴る「ピッ」「ピピピッ」「ピンポーン」や「チン」など電子音ばかりだ。「チロリーン」でさえもう秋の夜の風流な虫の音ではなく、盗撮抑止の警報を兼ねた携帯カメラのシャッター音である。まるで味気がない。

そんな独得の擬音・擬態語を地球規模へ拡散させているのが、アニメを含む日本の漫画の世界進出である。例えば「GWAAA」は、どこかの国際組織の頭文字、ではない。世界30カ国で出版されている尾田栄一郎の漫画「ワンピース」英語版に載る、「グァッ」という擬音の英語表記だ。ところが、そんなふうに初めて見る綴りで表現される日本の擬音・擬態語を、世界の子供たちは感覚的に理解し始めているという。

「ひげの殿下」三笠宮寛仁親王が亡くなられた6日夜、テレビでアイドルグループ「AKB48」の「選抜総選挙」番組を観た。それも、五輪出場を賭けた日本男子バレーボールの大事な「中国戦」の観戦を差し置いてまで。漫画と並んでいまや「世界共通の若者文化」に成長した「アイドル産業」の、頂点の実態を確かめておきたかったからだ。

しかし観終わって、たしかに何百億円もの経済効果があるかも知れないけれど、「文化」と呼ぶには後に何も残らない底の浅さを知る失望感が残った。若者たちがここまでアイドルや漫画に走る国の将来と、世界に及ぼす影響を、オジサン世代は不安に思う。

お客様は神様かNo.575

昭和36年、演歌の大御所・三波春夫の地方公演で。司会の宮尾たかしが舞台上でふいに三波に聞いた。「三波さん、お客様をどう思いますか?」 三波が答えた。「お客様は……神様だと思いますね」 湧き起こった満場の拍手に、2人も驚いた。翌日から同じやりとりが交わされるようになり、名文句「お客様は神様」が誕生した。

航空会社「スカイマーク」が、同社の機内サービスに関する考え方を説明するため座席ポケットに入れた案内文が話題になった。いわく「従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉遣いを当社客室乗務員には義務付けていません」「客室乗務員は保安要員であり、接客は補助的な業務なので、乗務員の私語等お客様に直接関わりのない苦情はお受けしません」「機内での苦情は一切受け付けません。不満のあるお客様は当社『お客様相談センター』あるいは『消費生活センター』へ連絡してください」等々。

「お客様は神様」扱いに慣れた私たちは、たしかに一瞬驚いた。とくに「苦情は消費生活センターへ」と振られた東京都消費生活総合センターや消費者庁は不快感を露(あら)わにして抗議。同社もこれを受け入れ、表現等を直した改訂版に近く差し替えるそうだ。 しかし、利用者サイドの反応は、意外に同社に好意的のように見える。ネットでの声を集約すると、「安全運行さえ保証されるなら、従来の航空会社のような過剰サービスは無用。低運賃を売り物にするため徹底的にコスト削減を図るという同社のコンセプトは理解できる」という評価が、印象では7割ほどを占めていそうに思える。

「三波の『お客様は神様』という言葉は、世間に過って受け取られている」と長女・八島美夕紀さんがHPで書いている。「歌を唄う時は、神前で祈る時のように、心をまっさらにしなければ唄えない。だから、お客様を神様と思って唄う ―― そういう意味です」と。無理難題を何でも受け入れる、という意味合いでは本来なかったのだ。

一方、「お客様は子供」と表現したのは老舗百貨店・三越だった。同社に伝承される接客心得十カ条の「小僧読本」第七条には、こうある。「御客様は子供の如し。余念なく子供衆と見よ。三越の小僧(店員)はそのお相手と思えば間違いなし。いかなる難題も風と受け、笹に雪とこたえ、在店中はいかにも楽しく愉快に、観覧娯楽に身も心も堝化(かか)する(溶かす)までに仕向けざるべからず」 社員にはあくまでも辛抱を求めた。

「モンスタークレーマー」も横行する時代、接客心得の新旧いずれを採るか、悩ましい。

方向感覚No.576

小雨が降り続いた先週末、岐阜県の山間にあるギャラリー・カフェへ車を走らせた。オーナーが店を建てる前からそこに自生していたという庭の「ヤマボウシ」の最後の花が、雨に濡れてきれいだと、ふと思い立って電話すると教えてくれたからだ。

この店へは自宅から高速経由で一時間余。季節々々に訪れるようになってもう6~7年になるのに、山間の道は右左折の目標物が少なくて覚えにくいため、カーナビが頼りだ。40代までは、道路地図と、フロントガラスに吸盤で貼り付けた丸い方位磁石さえあれば、初めてのどんな道でも辿り着いていたのにと、昔の自分との違いにヘコむ。

「ロンドンタクシー運転手の脳の海馬は、一般人より大きい」とイギリスの認知神経学者エレノア・マクガイアー教授が、世界的に権威のある科学誌で2000年に発表した。タクシー運転手16人、一般人50人の脳を調べた結果で、運転手の海馬は体積が平均3%大きかった。神経細胞の数に直すと30%も多いことになるそうだ。

「ロンドンタクシーの運転手は」という点に、この話のポイントはある。ロンドンの街路は「碁盤の目」や放射線状ではなく、迷路のように複雑で判りにくい。にもかかわらず、ロンドンタクシーにはカーナビなど文明の利器は搭載されていない。

運転手は市街の詳細な地図情報をすべて覚え込み、乗客が告げた行き先への最短ルートを頭の中で瞬時に描き出し、車を運ばせなければならない。合格するには平均34カ月かかるこうした「ノリッジ(知識)」試験にパスしないと、ロンドンタクシーの運転手にはなれないのだ。そうやって日々トレーニングしているからこそ、彼らは「脳力」を鍛えられ、それが記憶を司る神経細胞の増加をもたらせているらしい。

人間の脳は、「北」を上にした地図を脳内に描く「メンタルマップ」のイメージ力が、方向感覚を使えば使うほど強化されることも実験で証明されている。その点、「北」ではなく進行方向を上に表示して使うことが多いカーナビは、自分がいまどの方角を向いて走っているのか、自分がいまどこに居るのかが曖昧になる。「ナビ」は、人間が本来持っている方向感覚を、弱めたり歪めたりする危険性が少なくないのだ。

最近は街中でも、スマホで「ナビ」を見ながら歩く若者まで現れた。そんな「ナビ頼り」では、自分がこれから歩むべき人生の道筋すら見つけられなくなるのではないか ―― オジサン世代は自身の反省から、方向感覚の喪失がもたらす結果に気を揉む。

「ゴキちゃん」話No.577

▽小説家・吉川英治は処女作「親鸞」を本名「英次」で書いたが、出版社が「英治」と誤植したのを本人も気に入って筆名にした ▽1991年有馬記念優勝馬「ダイユウサク」の馬主は、馬名を「ダイコウサク」にするつもりだったが、「コ」を「ユ」と間違えて登録されたためそのままにした――などという逸話を上回るのは「ゴキブリ」の名の由来だ。動物学者・岩川友太郎編纂(1884年)の「生物学語彙」で、1カ所目は「御器(=食器)齧)り」と正しくルビが振られていたのに、2カ所目で「カ」が落ちて「ゴキブリ」とされてしまった後者を、「中等教育動物学教科書」(1889年)がそのまま掲載。以来、「ゴキブリ」の和名が定着した。嘘のようで本当の「誤記ぶり」である。

その“ゴキちゃん”の姿を、そろそろ見かける時期。殺虫剤「バルサン」を製造する「Lion」は、天気情報から予測する「ゴキブリ出現指数」をHPに掲載し始めた。

3億年前の古生代石炭紀の化石にも残り、現在世界で4000種、日本には50種いるとされる「ゴキブリ」の、ほとんどの種は人間生活とは無縁で、戸外で腐食物などを食べながらひっそりと暮らす、本来は“野の虫”である。日本の一般住宅で近年多く見かけるようになった小型の「チャバネゴキブリ」だって、寒さに弱いため元々は暖房完備のビル内を主な住処にしていたのに、住宅の暖房環境が発達したおかげで生存域が広がった。つまり快適な生活を追い求める私たちが、むしろ彼らを家庭に招き入れたのだ。

それなのに「ゴキブリ」は、日本での「嫌いな虫ランキング」で「不動の首位」を保つ。1971年にゴキブリ捕獲器「ゴキブリホイホイ」が発売されるや、わずか3カ月で27億円も売れる大ヒット商品になったのも、そんな日本人の、世界的には珍しいと言われるほど極度の「ゴキブリ嫌い」が背景にありそうだ。

それほど「ゴキブリ」嫌いでも、しかし男は人様に「ゴキブリ野郎」などと雑言を浴びせる無礼は慎む。それなのに、思い返せば半世紀前、「ゴキブリ亭主」なる暴言が世間に流行した事実を忘れない。「用もないのに台所をウロチョロする亭主」のことだ。

それが最近、「モテる男の条件」の、「必ず車道側を意識して歩く人」83%に続く2位は、「料理上手な人」70%だとか(=結婚情報サービス「オーネット」調べ)。そんな時代の大きな変わりようを、さて喜んでよいものかどうかと、往年の男子は、最近増えてきた「ゴキブリ殺虫剤」のテレビCMを、いささか複雑な思いで観る季節になってきた。