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世に生を得るは・・・No.561

「国民に嫌われることばかりだが、これをやり切れば、日本はもう一度リンゴがふさふさ(実る国)になる」―― 橋下徹・大阪市長が代表を務める「大阪維新の会」が先ごろ、次期衆院選に向けた公約集を「維新版・船中八策」と名付けて発表した。

①道州制導入、地方分権推進など「統治機構の再構築」 ②プライマリーバランスの黒字化など「行財政改革」 ③人事評価の厳正化など「公務員制度改革」 ④教育委員会制の見直しなど「教育改革」 ⑤積み立て型・掛け捨て型年金の導入など「社会保障制度の改革」 ⑥TPP参加や消費税増税など「経済政策・税制改革」 ⑦沖縄の基地負担軽減など「外交・安全保障」 ⑧参議院の廃止や首相公選制の導入など「憲法改正」――である。

「維新の会」が手本にした「船中八策」は慶応3年(1867年)、坂本龍馬が「新国家体制の基本方針」として起草したとされる。「天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事」で始まり、国家の基本となる憲法を定めることや、外国と平等条約を結び直すこと、海軍力を強めることなど文字通り8方針を掲げている。

龍馬はこの「八策」を、前土佐藩主の山内容堂に大政奉還論を進言するため長崎から京都へ向かう藩船「夕顔丸」船中で考え、それを海援隊・長岡謙吉が書き留めたものが後に成文化された――といわれる。ところが、その原文書も写本も、なぜか見つかっていない。このため、本当は龍馬はその起草に関わっておらず、誰かの手によるものではないかとか、後世になって創作されたのではないかなどとみる歴史家もいる。

さはともあれ、龍馬が卓越した先見性を持ち、既成概念にとらわれず自由奔放に振る舞い、日本の黎明期を駆け抜けていった「時代の風雲児」だったことは誰もが認めるところだろう。司馬遼太郎は小説「竜馬がゆく」の中で、彼にこう語らせている。「頼朝や秀吉や家康が、天下の英雄豪傑を屈服させて国に似たものを作った。が、国に似たものであって、国ではない。源家、豊臣家、徳川家を作っただけじゃ。ニッポンはいまだかつて国がなかった」「おらァ、ニッポンという国をつくるつもりでいる」

さて、その日本という国はいま国民の生活・安全を護る「国家の体(てい)」を成していると言えるのかどうか。「『世に生を得るは事を為すにある』と、竜馬は人生の意義をそのように截断(せつだん)しきっていた」と司馬が書いたほどの強い気概を、いまどれだけの政治家が心に抱いているのか。日々の報道からはそれが全く伝わって来ない現実が寂しい。

「左手」に目をNo.562

歴史作家の加来耕三氏は、講演会でよく「右手の法則・左手の原理」という話をする。その意味を説明する際、例に引くのが「手品」のテクニックだ。マジシャンは右手に持ったカードや玉を華麗な手さばきで操り、消したり出したりするが、その右手をいくら見ていてもタネは分からない。彼らが右手の指を「パチン」と鳴らした瞬間、見ていなければならないのは左手。同様に歴史や世の中についても、「右手」の現象に気を取られて見逃し易い「左手」の、微妙な動きに気を配ることが大事なのだと。

たとえば昨年は、流通を目的とした1円硬貨が1枚も製造されなかったと独立行政法人造幣局が先日発表した。記念品や貨幣セット用を除いて1円硬貨が製造されなかったのは1968年以来43年ぶり。同様に5円硬貨・50円硬貨も昨年、貨幣セット用以外は製造されなかった。しかも5円・50円硬貨は2年連続の製造休止である。

それを「右手」の動きとすれば、「左手」には、その理由になった隠れた動きがある。それは、「お財布ケータイ」など電子マネーの普及が小額貨幣の必要性を年々低下させているという、緩やかだが見逃せない「社会の変化」だ。

日本経済新聞調査によると、主な電子マネーの発行枚数は「EDY」6780万枚(前年比11.1%増)、「Suica」3534万枚(11.2%増)、「WAON」2280万枚(32.6%増)、「PASMO」1902万枚(14.1%増)、「nanaco」1572万枚(26.9%増=2011年11月末現在)。軒並み2ケタの高い伸び率で広まっているのは、①紙幣と硬貨を財布から別々に出したり、釣り銭を頭で計算しながら小銭をやり取りする煩わしさから解放される ②従来の電子決済であるクレジットカードのように使用時にいちいち署名しなくて済む――など電子マネーの便利さが、買い物客と店側の双方から受け入れられているからだ。

その結果、1円・5円・50円の使用頻度が下がって、昨年は新たに製造しなくても足りた。10円硬貨の製造枚数も同22.2%減っている。その他方で100円硬貨が逆に2.6倍と大幅に増えたのは、自販機で使う機会が多いからだ。

硬貨の製造枚数の増減という「右手」の動きには、「左手」に消費生活の新しい変化が潜んでいることを見逃してはならないという話に、加来氏の話は通じよう。

ちなみにだが、500円硬貨の製造も昨年は25.8%減った。もしサラリーマンのランチ代が「1コイン」さえ下回り始めたことを映しているのだとしたら、わびしい。

「その季節」No.563

「必罰して威を明らかにし、信賞して能を尽くさしむ」(罪のある者は必ず罰して主君の威勢を明らかにし、功績ある者には必ず褒美を与えて臣下の能力を発揮させよ)――中国の思想家・韓非は、権謀渦巻く戦国の乱世にあって国家統治の実効を上げる最善策は、「法」の厳格な適用と、合わせて「信賞必罰」であると説いた。

韓非は「人間は自己の利益を第一に考え、打算で動くもの」という人間観を強く抱いていた。だからこそ、民衆や部下を束ね、強力な国家を統治していくために大事なのは、人間の欲望を制御する「法」であり、その「法」に照らし刑罰を厳しく科すべきだとする「法治主義」を強く主張した。 その「法治主義」に則って「信賞必罰」を厳しく実践したのが中国三国時代に、蜀漢の建国者である劉備を支えた名軍師・諸葛孔明だ。歴史書「三国志」に「泣いて馬謖を斬る」の有名な逸話が残るのはご承知の通り。ただ、その内容は「正史三国志」と、いわば時代小説である「三国志演義」とではニュアンスが異なる。

中国後漢末期、長江で起きた曹操軍と劉備・孫権連合軍との「赤壁の戦い」では神がかり的な戦略で曹操軍を退けた孔明だったが、その後の、魏と戦った第一次北伐では敗走を余儀なくされた。敗因は、孔明が実力を評価して幕僚に取り立て、重要な役目を任せた馬謖が、周囲の反対に耳を貸さずに独断専行した作戦が失敗したことにあった。私情としては彼への厳罰は避けたかった孔明。しかし「温情をかけては示しがつかない」と、敗戦の責任をとらせて馬謖を死刑に処した――と「正史三国志」に記される。

しかし「三国志演義」によると、馬謖が問われたのは敗戦そのものの責任ではない。戦場から逃げ帰り本営で軟禁状態に置かれた馬謖が、処罰を恐れ、同郷人に泣きついて逃亡を図ったという「裏切り行為」が咎められたのだ。だから、孔明が泣いたのは馬謖を悼んだからではなく、先帝・劉備から「馬謖を買い被るな」と戒められていたにもかかわらず彼を重用した自分の不明を、孔明は嘆いて涙した、と解釈されている。

さて、3月は人事の季節。忘れてならないことがある。“考課”されるのは部下や社員だけではないことだ。社員・部下一人一人の素養、能力、業績を、この1年間どれだけ正しく把握してきたかという、組織のリーダーや経営トップの「人を見る力」もまた、部下や社員による「衆人環視」下で厳しく問われる時なのだ。その覚悟を、ぜひ。

春なのにNo.564

気象台はまだ観測していないようだが、筆者が出勤途上に立ち寄って散歩する名古屋市内の公園では、ウグイスの初鳴きをもう2週間ほど前に耳にした。

けれど、「声はすれども姿は見えず」なのがウグイス。警戒心が強く、常緑低木が作る藪の中で、ほとんど身を隠しているからだ。にもかかわらず“縄張り”を主張すると同時にメスの気を引くために、一生懸命練習して美声に磨きをかける。

ウグイス社会は一夫多妻。 観察によると一夫六妻ぐらいは珍しくないらしい。藪の中に作る巣は、卵やヒナを蛇などの捕食動物に襲われやすいため、卵から成鳥まで育つ確率が30%未満にとどまる。そこで一夫多妻で子孫を繋ごうと、オスは産卵ピークの5月頃には1日16時間、約3000回も囀るそうだから、かなりの重労働だ。

そんなにがんばって生きているのに、ウグイスはよくメジロと混同される。「うぐいすの 身を逆さまに 初音かな」は江戸時代の俳人で蕪村の最高弟・宝井其角の句。梅の枝に逆さまにぶら下がるようにして花の蜜を吸っている姿を詠んだのだろう。しかし、ウグイスは主に虫をエサにしており、花の蜜は吸わない。花札「梅にウグイス」に描かれている鳥も、どう見てもメジロだ。ウグイスの羽色はいわゆる「ウグイス色」ではなくもっと茶色っぽくて、むしろスズメに似ていることも諸兄の多くは知っておられよう。

しかし、「竹取物語」の主人公・かぐや姫は、竹の筒からではなく、実は竹薮の中にあったウグイスの卵から生まれたとするストーリーのほうが、むしろ古書には多く残ることをご存知だったろうか。鎌倉時代の紀行文「海道記」中の「採竹翁」にも「昔、採竹翁といふものありけり。女を赫奕姫といふ。翁が宅の竹林に、鶯の卵、女の形にかへりて、巣の中にあり」とある。私たちがウグイスに一段の思い入れを抱くのは、そんな原点が日本人としてのDNAに刻み込まれているからだろうか。

―― などと春の話題を書き綴っていると、だんだん気が咎めてくる。こんなことをしていてよいのだろうかと。震災に伴う東北3県の避難者は34万4290人(8日現在)。彼らが今じれったい思いを抑えて待っているのは春告鳥の初鳴きではない。復興どころか復旧さえ妨げている膨大な震災瓦礫を処理するための、全国からの支援だ。「風評被害に遭うと困るから」と受け入れを躊躇う自治体の首長がインタビューで答えていた。同じ言葉を、被災地の人々の目の前で口にできるのか ―― 私たち自身への自問でもある。

ブレーキとアクセルNo.565

車を走らせるのに一番大事なものは何か?―― もちろんエンジン? いいえ。「ブレーキ」であろう。「そんなことはない」と抵抗してみたくなっても、ブレーキが効かないと分かっている車に乗り走らせる勇気がある者など、一人もいまい。

それなのに、私たち日本人は、ブレーキが効かなくなることもある車に、そうとは知らずに大挙して同乗し、これまで暮らしていたことの恐ろしさを、福島原発事故の被害の甚大さ、深刻さを目の当たりにすることで、いま痛感させられている。

時速270kmで疾走する新幹線なら、前方に障害物を発見し急ブレーキを掛けても、停止するまでに約4km、約1分半かかるという。技術的にはもっと短距離・短時間に列車を止めることはできるが、乗客や車体に及ぶ「G(重力)」の影響を考えると、コンピュータで制御してその程度の減速に抑えたほうが安全らしい。

しかし、福島第一原発がもはやコンピュータでコントロールできる状態にないことは衆知の通りだ。同原発1~4号機の廃炉計画についてメーカーの東芝は、事故後間もない昨年4月に通産省に提出したプランでは「技術的には10年半で廃炉可能」としていた。ところが東京電力と政府が昨年12月にまとめた廃炉計画工程表では、「20~25年後に原子炉の解体に着手」し、「廃炉完了は最長40年後」とされている。

ということは、日本の人口を1億2751万人(2010年、総務省「人口推計」)、平均寿命を大まかに80歳とすれば、人口の56%余を占める「40歳以上」世代7170万人は、福島第一原発の完全廃炉を見届けることができないまま生涯を終える計算になる。

前進することばかりを考え、後退はもちろんスピードを落とすことさえ悪と考えて来た日本。テレビCMで最近、ドライバーがブレーキを踏まなくても止まる「衝突回避システム」を謳う車が増え人気を得ているのは、もしかすると、日本人の意識が「ブレーキ」の大事さに気付かされたことの反映なのかと、こじつけてみたくなる。 第一条「不況もまたよし」で始まる松下幸之助翁の「不況克服の十カ条」は、第六条に「時には一服して待つ」を挙げている。ブレーキを踏み、一服する余裕を持つことによって、これから進むべき前途が見えてくると諭しているのだろう。

少なくとも私たちがいまアクセルを踏み込まなければならないのは、震災被害からの一刻も早い復旧・復興と、原発事故収束への対応だけであることは間違いない。